徳川斉昭はなぜ水戸にウメを植えたのか

徳川斉昭はなぜ水戸にウメを植えたのか

2020/02/09 08:00
水戸藩の9代目藩主であり、江戸幕府最後の将軍・慶喜(よしのぶ)の父、斉昭(なりあき)。ウメの少なかった水戸に小石川後楽園のウメの実を自ら集めて送り、名園・偕楽園をつくり、領民にも開放しました。2020年東京大会に向けて江戸の園芸を見つめ直す12回シリーズ。第11回は斉昭をとりこにしたウメの魅力に迫ります。
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■ウメの名園・水戸の偕楽園
ウメは冬の寒さに負けず美しく咲き、春の訪れを告げる花木として親しまれてきました。中国原産ですが、日本では奈良時代には広く栽培されていました。
水戸徳川家第9代藩主・徳川斉昭(1800~1860年)が生まれたのは、水戸黄門で有名な第2代藩主の光圀(みつくに)が亡くなってからちょうど100年後のことです。「一張一弛(いっちょういっし)」を重んじた斉昭は、藩校の弘道館で勉強したあとに心身を癒すための施設として、偕楽園を構想し、つくりました。
■花の美しさと果実の利用
江戸時代、ウメは全国の城郭庭園(大名庭園)に好んで植えられました。斉昭は水戸にウメを植えた理由を「種梅記(しゅばいき)」に残しています。
①花は雪の中でも先駆けて咲き、詩歌のよき題材となる。②果実には酸が含まれ、食すと人々の喉の渇きを取り、疲れを癒やす。③梅干しは保存が利き、防腐・殺菌効果もあるので、軍事の際の非常食として……