珠洲焼復興40周年プロジェクトが始動|涙なくして朗読できない 大塔宮と雛鶴の最期…… 龍起…|小野小町 デビューイベントを開催デビュー曲披露を前に…|他

珠洲焼復興40周年プロジェクトが始動

2019/09/18 20:27
中世の日本を代表する焼き物の一つ「珠洲焼」の復興40周年を記念したプロジェクトが始まった。そのスタートとなる展覧会、会場は、東京だ。
この展覧会は珠洲焼の復興40周年と珠洲焼資料館30周年を記念して珠洲市などが企画した。会場の渋谷ヒカリエでは珠洲焼の歴史を形づくる平安時代から室町時代にかけて製作された珠洲焼の名品20点が並んだ。また、学芸員らによって土を固めながら様々な文様を施す「たたき」の技法などが紹介された。この展覧会は10月、地元の珠洲市でも規模を拡大して開かれるほか、シンポジウムやトークイベントなども順次、予定されていて、市では多くの来場者を呼び込みたいとしている。

涙なくして朗読できない、大塔宮と雛鶴の最期……『龍起伝』第18話:雛鶴峠

2019/09/18 20:06
2019年9月1日から全20話を毎日1話ずつ公開している朗読歌唱ドラマ『龍起伝 ~楠木正成と久子~』のうち、第18話「雛鶴峠」を、2019年9月18日(水)午後8時0分に、公開しました。鎌倉時代末期の武将、楠木正成の生涯を現代からタイムスリップして正成の妻の久子と入れ替わってしまった女性の目線で描く『龍起伝 ~楠木正成と久子~』。第18話では、謀反の疑いをかけられ、鎌倉にある土牢に幽閉された大塔宮を救い出すべく、正季と雛鶴が鎌倉にむかいます。しかしその鎌倉には、鎌倉奪還を目指す北条の軍勢が迫っていました……。
『龍起伝 ~楠木正成と久子~』第18話「雛鶴峠」は、自分で作った作品ながら、朗読をしていてついつい涙声になってしまい、何度も録音をやり直した回です。雛鶴が鎌倉に幽閉された大塔宮に寄り添っていたことは、さまざま文献に書かれていますが、なぜ彼女が鎌倉にいたのかについては諸説があります。『龍起伝』で正季が雛鶴に片想いの恋心を抱いていたというのは全くの創作ですが、その正季がそばにいるからか、雛鶴と大塔宮の悲しみが、正季の悲しみを通して、筆者に伝わってくるのでした。さらに「つづれの皇子」が雛鶴峠で生まれた後、どうなったかについては、これまた諸説がありますが、私は畿内で生き延びたという説を採用させていただきました。
こちらは、2019年9月18日公開の朗読……

小野小町、デビューイベントを開催デビュー曲披露を前に脱出イリュージョン

2019/09/18 19:36
 愛知県出身の女性4人組ユニット、小野小町(おののこまち)のデビューイベントが18日、東京・渋谷MODIで開催された。
 平安時代の歌人・小野小町から名前を取った女性4人のパフォーマンスグループで、歌のみならず殺陣、イリュージョン、日本舞踊なども行う“和風エンターテイメントユニット”。歌手、クミコ(64)が、キャンディーズや山口百恵さん(60)らトップアイドルを数多く手掛けた音楽プロデューサー、酒井政利氏(83)が手がけた。
 この日は、デビュー曲「伝説小町」を歌う直前に脱出イリュージョンを披露。リーダーの小西麗菜(22)は、「メジャーデビューできるのは奇跡のようだと感じている」と集まったファンに話し、坂中楓(25)は報道陣に「レコード大賞新人賞も狙っている」と豊富を口にした。

紙すきやドレスショー 佐用の皆田和紙、魅力PRへ

2019/09/18 19:30
 兵庫県佐用町の伝統工芸品「皆田和紙」。厚手で破れにくい和紙として評価される一方、継承者不足が課題となっている。皆田和紙保存会は21、22日、和紙の魅力をPRする「皆田和紙大博覧会」を同町佐用のさよう文化情報センターで初開催。紙すき体験や和紙の販売、和紙を使ったドレスのファッションショーなどを通し、裾野を広げようとしている。
 皆田和紙は、室町時代には既に生産されていたとされ、旧上月町や岡山県美作市で作られた。1968年に生産が途絶えたが、70年に再開した。現在は同保存会が皆田和紙紙すき文化伝承館(佐用町上月)で紙作りや体験会の開催に取り組むが、15人ほどの保存会メンバーは高齢化し、継承が課題となっている。

[TKU-NEWS 夕方 19.09.18 ] 豊臣秀吉の文書 多良木町で発見

2019/09/18 19:00
世界遺産『宗像大社』に関わる豊臣秀吉の文書が球磨郡多良木町で見つかりました。今から433年前の安土桃山時代に秀吉が送った2つの古文書で、多良木町に住む宗像家の子孫が今年7月、町に寄贈。町が調査した結果、宗像大社の大宮司で戦国武将だった宗像氏貞の死後、家が断絶した後に秀吉が宗像才鶴という女性に宛てた武功などを認める判物と朱印状であることが分かりました。才鶴はこれまで謎の人物とされていましたが、家が断絶したあとも秀吉が『後継者である』と認めていたことがうかがえ、大宮司の宗像家との関係が初めて明確になりました。古文書は宗像家と肥後に移り住んだ宗像家を初めて結びつけたものでもあり「戦国時代から江戸過渡期における女性史や武家の存続、地域における文書の伝来など様々な考察を期待できる史料だ」と九州大学の花岡興史博士。同町埋蔵文化財センターで今月25日から10月6日まで展示されます。