白血病で死亡の兄の思い胸に 24歳…|「孤独地獄」の体験が吉と出た人の共…|元号もまた「象徴」化した「平成」と…|他 (3/30 日本歴史ニュース)

白血病で死亡の兄の思い胸に 24歳女性が伝統の造花

2019/03/30 11:49
 奈良市の世界遺産・薬師寺で毎年3月に営まれている修二会(しゅにえ)「花会式(はなえしき)」。古都に春を告げる風物詩として親しまれ、サクラやモモ、ユリなど10種約1千本の色鮮やかな造花(つくりばな)が国宝・薬師三尊像を彩る。平安時代にルーツがある造花の制作に携わるのが、同市の増田夏海さん(24)。「兄が好きだった花会式を後世に残したい」。白血病のため15歳で亡くなった兄の思いも込め、伝統を守っていくと決めた。(桑島浩任)
 花会式は、堀河天皇が皇后の病気が治るよう薬師如来に祈願し、回復したお礼に皇后が造花を供えたのが由来とされる。かつては僧侶や村人らが花を作っていたが、現在は奈良市内の2軒が無償で行っている。そのうちの1軒が増田家だ。
 夏海さんは幼い頃、祖父の伊佐男さんが自宅で花作りに精を出していた姿をよく覚えている。4歳上の兄、茂樹さんと一緒に眺め、時には手伝った。
 茂樹さんは早くから「花作りは僕が継ぐ」と宣言していた。だが、病魔が襲った。茂樹さんが中学1年の夏を過ぎた頃、倦怠(けんたい)感とめまいが治まらず、風邪に似た症状もしばらく続き、白……

「孤独地獄」の体験が吉と出た人の共通点

2019/03/30 11:00
「大久保は特別頭がよかったわけでもないし、剣が優れていたわけでもない。ところが、“人斬り半次郎”と呼ばれた桐野利秋ですら、大久保に文句を言いに行くときは、恐ろしくてしらふでは会えなかった。そこで、芋焼酎を引っ掛け、勢いをつけて行くのですが、大久保に『なんじゃち?』と睨まれたとたん、酔いが覚めたといいます。
維新後も彼が内務卿のときは、内務省の建物の入り口に立っただけで、大久保がいるかいないかがわかった。いると私語がまるで聞こえてこない。シーンとしていたという伝説があります」
その迫力、重厚感はどこから生まれたのか。加来さんは大久保が20代のときの事件に焦点を当てる。

元号もまた「象徴」化した「平成」という時代(坂東太郎)

2019/03/30 11:00
 いよいよ平成もわずかとなりました。
崩御と即位が同時という大変さ 2016年8月8日のビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」で筆者が「そうしたお考えであったか」と得心した個所があります。
 「天皇の終焉に当たって」「様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行する」のが「非常に厳しい状況下」で「こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来する」という部分でした。
 皇室典範4条は「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とあり、元号法は「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」と定めます。崩御は弔事で新天皇即位は慶事。これが「同時に進行する」のですが、実際には弔辞が先行します。当事者であった今上天皇が「こうした事態を避け」たいとお思いになっていたと知ったのです。
 昭和天皇のご不例から取材現場は混迷を極めました。崩御を意味する隠語「Xデー」に備えつつも命数を読むような記事は当然書けず、かといって「その日」がいつかは決定的に重要なニュースだから取材せざるを得ません。鉄則たる現場への直……

江戸時代の伝説や風習題材に 小布施で北斎漫画の企画展

2019/03/30 10:46
 江戸時代の浮世絵師葛飾北斎(1760〜1849年)の作品を収蔵する上高井郡小布施町の北斎館は30日から、絵手本「北斎漫画」の企画展「面白すぎる!!北斎漫画の世界3」(信濃毎日新聞社共催)を開く。北斎 ...

一斉に咲く桜、結びついた同質的な国民像 次の時代は…

2019/03/30 10:35
 花見シーズンの到来だ。時代ごとに人は、桜へ様々なイメージを託してきた。そして平成が幕を閉じる。咲いては散る薄紅の花びらに、次の世では何を思い描くのか。
 花冷えの30日、東京都立井の頭公園では、ブルーシートを広げて仲間とお酒を楽しんだり、スマホのカメラをかざしたりする人たちがいた。
 大学時代の友人とお花見をしていた好井崇博さん(27)は、桜について「学生の時は卒業を思い浮かべたけれど、社会人になると事業年度の始まりや出会いといったイメージかな」。
 友人らと楽しんでいた西山恭子さん(27)にとっては「ぱっと咲いてぱっと散る、はかない感じ」。開花、満開、桜前線などとことさら気にするのは、限られた間しか楽しめないからだと思う。「桜に特別さを覚えるのは、四季のある日本特有の感覚かも」
大正ごろから別格 歴史を振り返ると、庶民を含めて集団で飲食を伴いながら桜に親しむようになるのは、江戸時代からだと言われる。明治の頃は陽気で開放的な花というイメージが強かったが、鑑賞の対象としては、梅やつつじなど数ある花のうちの一つに過ぎなかった。
 それが大……

3月29日に尼崎城の天守がオープン! 海城の痕跡をたどり、寺町を歩く(朝日新聞デジタル&[アンド])

2019/03/30 10:06
尼崎の地名の由来は諸説あるが、鎌倉時代や室町時代には「海人(あま)崎」「海崎」とも記され、「漁民・海民が住む海に突き出た土地」を意味する。現在はすっかり工業地帯となって内陸化してしまったが、尼崎は江戸時代半ばまでは海に面した地だった。大物(だいもつ)駅や大物主(おおものぬし)神社あたりにはかつて大物浦(だいもつのうら)があり、阪神高速3号神戸線のやや南側あたりまで大阪湾が迫っていた。現在でも築地の地名があるのもこのためだ。
【写真】寺町には11もの寺が残り、城下町の様子を今に伝えている
尼崎・築地出身の城郭画家、荻原一青(1908~1975)が失われつつあった尼崎城の姿を残すべく描いた「摂津尼崎琴浦城図」には、尼崎城が大阪湾に面した広大な海城として描かれている。琴浦城といわれるのは、尼崎より西の広い地域の浜辺が、かつて琴浦と呼ばれた景勝地だったからだ。異浦(殊浦)=ことのほか美しい、とする説もあり、それは幻想的な景観だったと思われる。大阪湾と一体化した尼崎城は、まるで海に浮かんでいるかのように見えたようだ。本丸の北東隅(現在の尼崎市立文化財収蔵庫本館の北……

「侍(さむらい)」と「武士」ってどう違うの?それぞれの語源から違いについて紹介

2019/03/30 09:21
そもそも士という漢字は男性器の象形から転じて成人男性を指し、大人は自分の力や技量で生活を立てることから、現代でも弁護士や介護士などのように、特定の職能を示す言葉として使われ続けています。
また、武士を「もののふ」と読むこともありますが、これは律令時代の物部(もののべ、もののふ)氏と同じく、物≒得物=武器=武(軍事や刑罰、治安維持など)を表わし、部(べ、ふ)とはそれを担当し、取り扱う者すなわち武人を意味します。
まとめ現代では侍も武士もほとんど同じ意味で使われていますが、それぞれの語源に基づくニュアンスは、おおむね以下のようになります。
【侍】貴人に仕える職能者で、必ずしも武人ではない
【武士】武をもって生きる者で、必ずしも仕官していない
17世紀初頭に出版された『日葡辞書(日本語⇔ポルトガル語)』では、BushiやMononofuには「武人、軍人」的な訳語が当てられている一方で、Saburai(さぶらい)には「貴人」などと訳されており、かつて侍は武士の中でも特別な、高貴な存在と認識されていたことがうかがわれます。

列島各地から桜の便りが届き、日本…

2019/03/30 07:20
 【越山若水】列島各地から桜の便りが届き、日本人には心の躍る季節がやって来た。福井でも待望の開花が宣言され、いよいよ花見シーズン。名所の人混みが目に浮かびそうだ▼日本人の桜好きは平安時代になって顕著になった。奈良時代「万葉集」の花、梅に代わり圧倒的な人気を博した。その代表格といえば西行法師のあの歌だろう▼「ねがはくは花のしたにて春しなんそのきさらぎのもちづきのころ」(山家集)。もし願いがかなうのであれば、如月(きさらぎ)の満月のころ桜の花の下で死にたいものだ…▼この国民的名歌そのまま、西行は大往生したと伝えられる。しかしよくよく考えると、首をかしげることがある。如月は旧暦2月、太陽暦3月。桜は弥生3月、太陽暦の4月で、つじつまが合わない▼疑問に答えてくれるのは、畑違いながら俳人の長谷川櫂(かい)さん。僧侶である西行は釈迦(しゃか)の命日の2月15日ごろに死にたいと詠んだ。ただいくら暖冬でも桜が咲くには早すぎる▼ここで奇跡が起きたという。西行が他界した1190年2月16日は、前年に閏(うるう)4月があったため例年より1カ月近く遅い太陽暦3月30日に相当した▼西行は月と……

花見の前で後で楽しもう 墨堤の歩み浮世絵に すみだ郷土文化資料館で

2019/03/30 07:09
 午前九時〜午後五時。入館料百円など。月曜、第四火曜日は休館(四月二十九日、五月六日は開館、五月七日は休館)。問い合わせは、同資料館=電03(5619)7034=へ。

ご友人が明かす天皇陛下の普段の服装、お風呂上がりもスーツ姿

2019/03/30 07:00
公務ではスーツ姿が多い天皇陛下(写真:時事通信フォト)
 ご退位まで、残すところ約1か月となった天皇陛下。すでにその日に向けて、連日、様々な儀式や行事を皇后美智子さまとともに務められているが、公務で目にする陛下のお姿は、いつもきっちりとしていて、スーツあるいは燕尾服という出で立ちが常。
 国賓を招いての晩餐会などでは、国際儀礼(プロトコール)に則って燕尾服の上に、最高位の勲章“大勲位菊花章頸飾”(だいくんいきっかしょうけいしょく)と、“綬”(じゅ)と呼ばれるタスキのようなものを、斜めに身に着けることもある。
 また皇室の伝統として継承されてきた祭祀では、平安時代から続く黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)という、天皇だけに許された装束に身を包む。
 では、カメラやマスコミの取材がない時の、普段の生活では、どのような姿でリラックスされているのだろうか。そこで70年来の交流があるという陛下のご友人であり、『天皇陛下のプロポーズ』(小学館)の著書でもある織田和雄さん(83)に取材したところ、意外な情報を語ってくれた。
「陛下は皇太子時代から、いつ……

新元号の発表前に再考、元号が「借り物の字」で出来ている意味(堀井 憲一郎)

2019/03/30 06:02
中国王朝のシステムまもなく新元号が発表される。
元号というのは、21世紀の社会から見れば、かなり奇妙な存在である。
みんなもうすうすそう感じている。
ただ、そこを深く掘ってもどこにも行きつかないということも直観的に感じられるから、そのへんは触れないままになる。まあ、みんな、忙しいからね。これから日常的に使うツールのひとつにもなるので関心は高いのだが、深く関わろうとはしない。
元号は漢字二文字で表される(例外的に四文字だったことが奈良時代に少し流行ったが、基本二文字である)。
そもそも元号は日本のシステムではない。
漢字二文字で(ときに四文字で)年を表すというシステムもべつだん日本人がやりたかった方式ではないだろう。
中国王朝のシステムである。
元号そのものは「漢」の時代から始まったものとされている。
どうやら「皇帝システム」と直結しているようだ。
中国の各地にいろいろいた「王」を圧倒し、それをまとめ、広大なエリアをひとつの国にしたのは秦の始皇帝である(西洋紀元で言えば「キリスト生誕の前221年」)。
……

イチから分かる元号 最長は? 最多漢字は?

2019/03/30 06:00
日本最初の元号は「大化」。645年、中大兄皇子らによる「大化の改新」で天皇中心の中央集権的な国家づくりが始まったころに定められた。7世紀に一時の中断期があったのを除いて「平成」まで連綿と続き、その数は247に上る。
元号は、古代中国で君主が時間をも支配するという思想のもと、紀元前140年、前漢の武帝の時代に誕生した制度だが、現在でも使用されているのは日本だけ。「本家」中国では約2千年後の清朝を最後に消滅し、西暦が使われるようになった。
■247の元号、改元ペースは平均5年半に1度
明治以降、改元は天皇の即位に伴う「代始(だいはじめ)改元」となり、天皇一代に一つの元号が定められる「一世一元」が確立した。ただ、歴史をひもとけば改元はもっと頻繁に行われている。「大化」元年(645年)から平成31年(2019年)までに使われた元号は247。平均して5年半に1度のペースで改元が繰り返されていたことになる。
改元の理由の一つが、吉兆が現れたことによる「祥瑞(しょうずい)改元」。「大化の改新」から5年後の650年、珍しい白キジが天皇に献上されたのを祝し、「……

尼崎城で鉄砲・変身体験、市民愛で再建

2019/03/30 06:00
展示費用については広く寄付を募ったところ、目標の1億円を大きく超える約2億円が集まったため、江戸時代の尼崎城と城下町を再現したVR(仮想現実)シアターや、剣術体験ゲームなどのデジタルを駆使した豪華な展示が実現した。寄付をしたのは、地元の人や出身者など尼崎市に関係の深い人や企業が多かったという。
また、甲冑や打掛を身につけて武士や姫になりきるゾーンも。豪華な衣装は5種類あり、おとな用と子ども用が用意されている。家族やカップルで変身し、金襖の前で写真を撮れば盛り上がりそうだ。
公開前日に尼崎城をバックに孫と写真を撮っていた女性は、「今日は近くに来たので写真だけでも撮ろうと思って途中下車しました。以前はこの辺に住んでいたんで。人がたくさん来たらいいですね」と期待を寄せた。入城料は一般500円(1階までは無料)。
取材・写真/太田浩子