和泉式部が詠んだ? 住民らが歌碑建立 地域の宝物に|社告:北陸弥生人のわざとこころ 大阪で特別展|古墳や人形 罫線に 楽しい一筆箋 歴史に憩う市博物館…|他

和泉式部が詠んだ? 住民らが歌碑建立 「地域の宝物に」

2019/10/19 17:30
 小倉百人一首56番目の和歌「あらざらむ この世の外の思い出に 今ひとたびの逢うこともがな」を詠んだ和泉式部。「篠山の民話集」によると、和泉式部が丹後へ旅する途中、市内に立ち寄ったと伝わり、同市桑原地区では和泉式部が桑を植えたので、「桑原」になったという伝説や、旅の途中で宿した子・加祢(かね)を同市大山宮地区で産み、母子が別れた場所を「別れじの橋」や「鐘(加祢)ヶ坂」と呼んだとされるなど、ゆかりの地がある。
和泉式部の歌碑を除幕する関係者ら 「心ある―」は、出典が不明ながら、和泉式部が詠んだ歌と伝わる。
 住民で、歌碑建立に尽力した長尾勝美さん(71)は、「和泉式部が来た時に藤坂はどんな村だったのか。千年の昔に思いを馳せることにロマンを感じる」と言い、「藤坂には国重要文化財の妙見堂、巨木の大カツラ、由緒ある春日神社がある。この歌碑も地域の宝物として後世に残ることを祈ります」と話していた。

社告:北陸弥生人のわざとこころ 大阪で特別展

2019/10/19 16:43
 19日(土)から大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で開催する特別展「北陸の弥生世界 わざとこころ」の会期中、考古学セミナーとワークショップを開きます。いずれも参加無料(入場料は必要)=写真は弥生土器壺(重要文化財・石川県小松市埋蔵文化財センター提供)。
 <考古学セミナー>11月3日(日)=「日本海をめぐる北陸弥生社会の地域間交流」(久田正弘・石川県埋蔵文化財センターグループリーダー)▽11月9日(土)=「弥生時代の表玄関、日本海ルート」(禰冝田佳男・弥生文化博物館館長)▽11月30日(土)=「北陸の拠点集落・八日市地方遺跡」(下濱貴子・小松市埋蔵文化財センター参事)▽12月14日(土)=「越のクニの鉄器普及―柄付き鉄製ヤリガンナ発見の衝撃―」(林大智・石川県埋蔵文化財センター主幹)。いずれも14~16時、同博物館1階ホール。各定員170人(当日先着順。開館時から整理券を配布)
 <ワークショップ>11月16日(土)10時から=「木庖丁(きぼうちょう)をつくろう」 弥生時代の収穫具「木庖丁」を作ります。「関西文化の日」で入場も無料
 ◆特別展「北陸の弥生世界 わざとこころ」◆19日(土)~12月15日(日)。大阪府立弥生文化博物館(0725・46・2162)
 主催 毎日新聞社など

古墳や人形、罫線に 楽しい一筆箋 歴史に憩う市博物館が製作 橿原 /奈良

2019/10/19 16:36
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即位の礼、着々本番へ 平安衣装の着付け練習励む

2019/10/19 16:01
 国学院大教授で同会代表の茂木貞純(さだすみ)さん(68)によると、束帯の着付けは衣紋方二人で行う。着る人の体形に合わせ、順序や所作を誤りなく着付けていく。大口袴(おおくちばかま)、表袴(うえのはかま)、単(ひとえ)、下襲(したがさね)、裾(きょ)、袍(ほう)と重ねて、最後に石帯(せきたい)と呼ぶ帯を結ぶ。「二人が協力して、手順よく、着崩れしないよう素早く着けなければならず、大変難しい」と話す。

歴史を感じさせる近江商人の町!情緒ある八幡堀を散策しよう

2019/10/19 15:00
(C)Shutterstock.com
八幡堀は安土・桃山時代に豊臣秀吉の姉を母に持つ豊臣秀次が城主であった八幡山城居城の城下町が栄える原因となった町の一大動脈です。
・・・そう聞いてもあまりパッとしないかもしれませんが、実はこの八幡堀のある近江八幡市、あの織田信長が政権を握っていた安土桃山時代に居城としていた安土城の跡が残る町なのです。その安土城が落城した後に豊臣秀次が城を築いて開かれた町がこの近江八幡市。
そんな時代の大動脈であった八幡堀は近江商人の発祥と発展に大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国(のちの滋賀県)において大津と並ぶ賑わいを見せていました。
昭和初期までは常に町の人々の経済・流通路としての役割を果たしていたのですが、戦後には陸上交通が発展したことによって廃れてしまったのです。
最近では観光名所として整備され、船に乗ってこの八幡堀を遊覧しながら昔の街並みを満喫することができるようになりました。
歴史を感じる八幡堀界隈

秀吉提案伝える古文書 将棋の「王将」を「大将」に 徳島城博物館きょうから特別展

2019/10/19 15:00
 将棋の「王将」は「大将」になるかもしれなかった? 将棋に関する県内外の資料を紹介する特別展「王手 将棋の日本史」が19日から11月24日まで、徳島市の徳島城博物館で開かれる。インドから東南アジアを経て平安時代に日本に伝わり、天下人から庶民まで幅広く愛された将棋。現在の形になったのは15~16世紀とみられる。豊臣秀吉が駒の名称変更を朝廷に提案した古文書などをはじめ、肖像画、将棋盤、駒など、歴史、美術史的な資料100点が展示される。国内の将棋関連の資料が一堂に集まるのは初めて。
 最も興味深いのは、豊臣秀吉にまつわる古文書「お湯殿の上の日記 第五七」(東京大史料編纂所蔵)。15~19世紀に朝廷に仕えた女官が書いた職務日誌で、秀吉が1595年、菊亭晴季ら公家3人を通じて「王将」を「大将」と改めるよう朝廷に提案し、天皇が許可したとする内容が書かれている。しかし、記述はそれで終わっており、提案理由や後に名称変更が行われなかった経緯などは分かっていない。
 江戸時代には、大橋本家が徳川家康から将棋界の取りまとめ役に当たる将棋所を任された。その大橋本家が考案した「大局将棋」の復元品(大阪商業大アミューズメント産業研究所蔵)も注目を集めそうだ。縦1・3メートル、横1・1メートルの盤に、各陣営402枚ずつの駒を並べる破格のスケールの将棋だ。
 「熊兵」「森鬼」……

三好の豪農住宅、国重文に 徳善家と木村家隠居屋 文化審答申 /徳島

2019/10/19 14:43
 国の文化審議会は18日、三好市西祖谷山村徳善の豪農住宅「徳善家住宅」を新たに重要文化財(建造物)に指定するよう文部科学相に答申した。「山岳地帯における上級農家住宅の近世における発展を示す」と評価された。指定されれば、県内の国重要文化財(建造物)は20件となる。【大坂和也】
 県や三好市教委によると、徳善家住宅はJR大歩危駅の北東約400メートル、祖谷山の西端に位置する。馬場として使われていたとされる平地、石垣などを含めた約2108平方メートルの指定が答申された。
 主屋は1866(慶応2)年に建てられた木造入母屋造で、茅葺(かやぶ)き平屋建て。現在は茅葺き屋根を…

『紀の国坂赤坂溜池遠景』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第48回

2019/10/19 14:00
将軍継嗣問題の最中に描かれた意味深な名画赤坂見附(港区)の交差点から四谷(新宿区)方面へと上る「弁慶堀」沿いの坂は、江戸時代には堀の外側に御三家の一つ・紀州徳川家の屋敷があった。そのため、現在も「紀伊国坂(きのくにざか)」と呼ばれている。
第47回『外桜田弁慶堀糀町』で触れたが、江戸時代には桜田門と半蔵門の間の内堀(現・桜田堀)が「弁慶堀」だった。江戸築城で活躍した大工・弁慶小左衛門に由来する。当時、小左衛門が岩本町(千代田区)の小さな水路に架けた橋も「弁慶橋」と呼ばれていた。明治期に水路は埋め立てられたことで橋は不要になったが、その部材を再利用して紀尾井町(千代田区)と赤坂の間に新たな弁慶橋を架けた。その周辺の外堀が「弁慶堀」と呼ばれるようになり、今ではこちらが広く知られている。
広重の絵は、紀伊国坂の途中から外堀、赤坂、溜池方面を見下ろし、坂を上って屋敷へ戻る紀州徳川家の行列を描いている。毛槍(やり)を手にする者を先頭に、多くの供侍(ともざむらい)たちが口を「へ」の字に曲げるほど力を込め、足を踏ん張るような独特の歩き方なのが印象的だ。
年月印から、描いたのは1857(安政4)年と思われる。紀州和歌山藩主は徳川慶福(よしとみ)で、後に14代将軍家茂(いえもち)となる。当時は将軍継嗣問題で、慶福を推す南紀派と、一橋徳川家の慶喜(よしのぶ、後の1……

【高僧・行基】東大寺の大仏を造った名プロデューサー

2019/10/19 14:00
 奈良時代に聖武天皇の勅願で建立された奈良・東大寺。そこに納められた盧舎那仏(るしゃなぶつ=大仏)の造立は官民を超えた国家事業だった。その勧進(民間から資金、資材などを募る役)をつとめたのが高僧、行基(ぎょうき、668~749年)。国民をまとめあげて、大事業を成功に導く原動力になった。それは、民衆のために展開してきたボランティアによる社会事業の集大成だったのかもしれない。(編集委員・上坂徹)
没後に開眼供養
 「東大寺の盧舎那大仏の像が完成して、開眼供養が行われた。(聖武天皇から譲位された)孝謙天皇はみずから文武の官人をひきつれて、盛大な法会を行った。僧1万人を招請し、さまざまな楽人がすべて集められた」
 「すべての皇族・官人・諸氏族による歌舞が行われた。そのすばらしさは書き尽くせないほどだった。仏法が東方に伝わって以来、斎会(さいえ=食事を供する法会)としていまだかつてこのような盛大なものはなかった」(『続日本紀』)
 天平勝宝4(752)年、インド僧の菩提僊那(ぼだいせんな)を導師に営まれた大仏の開眼供養。行基はこの3年前、行基49院の一つ、喜光寺(奈良市)で没していたため、この場にその姿はなかった。ただ、一番弟子の景静(けいせい)が法会を統括する都講を務めた。

あす上野国分寺まつり /群馬

2019/10/19 12:45
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真教と時衆:時宗二祖上人七百年御遠忌記念特別展/2 リアル追求「二祖」像 一目で「本人」と分かるように /神奈川

2019/10/19 12:43
 本展の主役は時宗二祖の真教。チラシやポスターでもメインの写真は真教の彫像を使用している。小田原市・蓮台寺の「真教坐像」だ。蓮台寺像は二祖の大法要が営まれる清浄光寺の遊行寺宝物館(第1会場)で展示している。
 現存する時宗の祖師像の中で最も古い大変貴重な彫像である。近年の解体修理によって面部の裏より「墨書銘」が発見され、文保2(1318)年、真教82歳の時に造られた彫像(寿像)であることが判明した。リアルな顔の彫刻は、生きている本人を目の前にして彫ったためと思われる。
 ではなぜ、リアルな表現で真教の彫像をつくる必要があったのか。そこには真教の思想が深く関わっている。