春を祈るハンカチが埋め尽くす寺 知恵の文殊さん が…|馬上の武者が正月に疾走 高知|くぎ分析 木棺構造解明 高取・常喜院山古墳に埋設 3…|他

春を祈るハンカチが埋め尽くす寺 「知恵の文殊さん」が助ける合格

2020/01/12 17:23
 奈良時代の高僧、行基の生誕の地とされ、知恵をつかさどる文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が本尊。「知恵の文殊さん」と親しまれ、多くの受験生が訪れる。
 かつては本堂の壁にチョークで志望校を書く「落書き寺」として有名だった。しかし壁の傷みがひどくなり、朱印を押したハンカチに願いを書いてもらうようになったという。「志望校合格」などと書かれた白いハンカチは柱や壁を覆い尽くし、重なり合っている箇所も。
 高校受験を控えた同区の太田遊良さん(15)は「これからがラストスパート。友人と一緒の志望校に行けるようがんばりたい」と話した。【幾島健太郎】

馬上の武者が正月に疾走、高知

2020/01/12 16:16
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くぎ分析、木棺構造解明 高取・常喜院山古墳に埋設 31日まで、橿考研で成果展示 /奈良

2020/01/12 15:46
 県立橿原考古学研究所(橿原市)は、高取町の常喜院山古墳(7世紀ごろ)に埋設されていた木棺(もっかん)の構造を解明した。木の部分は腐食してほとんど残っていなかったが、見つかった鉄のくぎやそこに付着していた木片から調査を進めた。31日まで同研究所のアトリウムで研究成果を展示している。【藤原弘】
 発掘調査は2017年、高取町清水谷の国道169号高取バイパス建設事業に伴い実施。直径20メートル程度の円墳と推定され、木棺の痕跡が2カ所あった。うち、1カ所では鉄くぎ31本が木棺に打ち込まれた時の立ったままの状態などで見つかり、付着した木片を走査型電子顕微鏡で分析。木棺の本体とふたが別の材で作られていたとみられることが判明した。
 木棺の身の大きさは、幅60センチ、長さ1・7メートルまでに収まり、高さは40センチ以上、ふたは本体…

装束姿の新成人…国学院大学で「成人加冠式」

2020/01/12 14:51
Top stories内戦続くリビアで停戦発効、ロシア・トルコが呼び掛け台湾総統・再選の蔡氏、過去最多得票 中国の圧力裏目にエリザベス英女王、ヘンリー王子らと13日に会合 危機打開目指す顔面欠損の患者、安価な「新たな顔」を3Dプリンターで手に ブラジルセレーナが出産後初のツアー制覇、賞金は豪森林火災の基金に寄付

ヤマザキマリと久住昌之がNHK「天皇のディナー」出演、歴史を動かした料理に舌鼓打つ

2020/01/12 13:00
本日1月12日19時30分よりNHK総合で放送される「天皇のディナー~歴史を動かした美食~」に、ヤマザキマリ、久住昌之が出演する。
「天皇のディナー~歴史を動かした美食~」は、歴代天皇の食にまつわる驚きの事実を取り上げ、その料理を再現する教養番組。飛鳥時代に和食の原点となった天武天皇の肉食禁止令や、大正時代に英国皇太子をもてなした宮中晩餐会といった、歴史を動かした料理の数々に、ヤマザキと久住は舌鼓を打つ。
「天皇のディナー~歴史を動かした美食~」放送局:NHK総合
放送日時:2020年1月12日(日)19:30~20:42
出演:谷原章介、保里小百合、大和田伸也、足立梨花、福田充徳、ヤマザキマリ、久住昌之、山本博文(東京大学史料編纂所教授)
語り:花澤香菜、井上二郎

新成人が“希望の矢”を放つ…京都・三十三間堂で「通し矢」

2020/01/12 12:02
 1月13日の「成人の日」を前に、京都の三十三間堂では12日、新成人たちが弓の腕前を披露する「通し矢」が行われています。
 袴姿の新成人たちが60m先にある的を狙って次々と矢を放ちます。「通し矢」は江戸時代に武士たちが弓の技術を競ったのが始まりと言われ、今では弓道の全国大会となっています。
 「20年分の想いとこれからの未来に向けての希望をもとに(弓を)引いていきたいと思います。」(新成人)
 「20年間支えてくれた両親に感謝の気持ちをもって(弓を)放ちたいと思います。」(新成人)
 12日は新成人ら約1500人が参加しました。

尼子家の台頭を許してしまった西軍最強軍団・大内家(BEST TIMES)

2020/01/12 12:00
 応仁・文明の乱において、大内政弘は当初から西軍についていた。そして、総大将の山名宗全が文明5年(1473)に没し、宗全の跡を継いだ政豊が東軍と和睦してからは山名氏が戦線から離脱したため、政弘は実質的な西軍の総大将とみなされるようになっている。
 文明9年に応仁・文明の乱が終結し、大内政弘は本国の周防に帰国するが、翌年には、はやくも少弐政資を討つため北九州に出陣する。古くから大宰府の責任者として大宰少弐を相伝してきた少弐氏は、室町時代には筑前・肥前・豊前・壱岐・対馬の守護を兼ねていたが、大内氏によって筑前・豊前を奪われてしまう。そのため、応仁・文明の乱で大内政弘が上京している隙に、筑前・豊前を回復していたためである。九州に渡海した政弘は、政資を筑前から追放することに成功はするが、少弐氏を滅ぼすには至らなかった。
 大内政弘は明応4年に没し、跡を子の大内義興が継ぐ。このとき、家督相続の混乱をねらって、肥前・筑後に逼塞していた少弐政資が大内氏に対して兵を挙げた。そのため、義興は明応6年、2万余の軍勢で北九州に出陣する。そして、政資と子の高経を肥前で自害に追い込んだのである。これにより、北九州は義興によって征圧されることなった。
 そのころ幕府では、明応の政変により、10代将軍足利義材(義稙)が管領細川政元によって廃立され、京都から追放されていた。義……