新春 特大の一服 奈良・西大寺で大茶盛式|大阪の芸人がヤクザと接近し 闇営業 に手を染めるまで…|K原さんちの里山探検:/32 オニグルミ 堅果割った…|他

新春、特大の一服 奈良・西大寺で大茶盛式

2020/01/15 16:48
 奈良市の西大寺で15日、顔が覆い隠されてしまうほどの大きな茶わんで抹茶を味わう「大茶盛(おおちゃもり)式」の初釜が開かれた。茶わんは直径30~40センチ、重さ5キロ前後あり、抹茶をたてる茶せんも特大サイズ。参加者は重さに少し戸惑いながら、新春の一服を味わった=写真・梅田麻衣子撮影。鎌倉時代に西大寺…

大阪の芸人がヤクザと接近し「闇営業」に手を染めるまでの歴史(NEWS ポストセブン)

2020/01/15 16:00
 大阪を象徴する芸能文化といえば、「吉本のお笑い」を思い浮かべる人が多いだろう。吉本新喜劇をはじめ、大阪の市井の人々には、吉本のお笑い文化が深く根付いている。その吉本にとって、2019年は闇営業で揺れた一年だった。事務所を通さず反社会勢力の忘年会に出席し、ギャラを受け取っていた問題で、雨上がり決死隊・宮迫博之とロンドンブーツ1号2号・田村亮の号泣会見は連日メディアを騒がせた。

K原さんちの里山探検:/32 オニグルミ 堅果割った犯人は? /鳥取

2020/01/15 15:57
 オニグルミは、日本人にとって馴染(なじ)みの深い木の実です。縄文時代より利用されていたことが遺跡からも分かっています。分布は、北海道から九州で、国外では樺太地域に少し被(かぶ)るくらいなので、世界的に見てもほぼ日本でしか見られない樹木となっています。
 山や里に生えているものですが、海辺や湖畔の砂浜では川の流れで運ばれたオニグルミの実を拾うこともあります。山道を歩いていると登山道の脇でオニグルミが転がっていることも。目に入ると手を伸ばさずにはいられません。きっと脳の深いところで私たちの祖先が、どんぐりと一緒に必死に集めてそれを食し、命を繋(つな)いでいた記憶が刻まれているのでは、と思うくらいにワクワクしてしまいます。

【新刊紹介】江戸の暗黒世界の実態:中嶋繁雄著『江戸の牢屋』(nippon.com)

2020/01/15 15:55
江戸時代の「牢屋敷」が現在の刑務所と大きく異なるのは、囚徒が外に出て陽光を浴びることが許されないことだった。「皮膚病が蔓延し、非衛生的で暗い獄舎暮らしは、とても悲惨なものだった」と、歴史ノンフィクション作家の著者は述べる。
「地獄の沙汰も金次第」で、新入りは金の小粒を飲み込んで牢内に持ち込み、牢名主に納める。これで、手加減してもらうのだ。金が工面できない囚徒は、死を覚悟しなければならない時もあった。
牢屋敷の朝は早い。毎朝七ツ(午前4時)には点呼が行われ、夜は五ツ(午後8時)になるとおしゃべりが禁じられ、暗黒の幕が下ろされる。入獄者が激増し、一畳に18人という混雑状態になると、人減らしの殺人が行われた。一夜で3、4人が犠牲となることも。牢医師には狡猾の者がいて、急病死として片付け、牢名主側から袖の下を受け取っていた。
8代将軍、徳川吉宗は獄舎の不正をただすため、“密偵”を牢屋敷に潜入させた。その報告をもとに、獄の悪徳役人たちを厳しく摘発した。
吉田松陰は、密航に失敗した安政元年(1854年)と、その5年後に伝馬町牢屋敷に入獄した。『江戸獄記』で牢内の裏事情を書いている。牢内ではご法度の金銀、刃物、火道具などが半ば公然と出回っていた。役人が賄賂をもらって、黙認していたのだ。
松陰は「牢獄奉行」になって、自分の手で理想的な牢獄をつく……

文化庁「歴史の道百選」 多良海道追加選定 江戸時代の面影残す 諫早-佐賀・太良 /長崎

2020/01/15 15:37
 江戸時代の「長崎街道」のうち、諫早市―佐賀県太良町間の「多良通(たらみち)(多良海道)」の一部が、文化庁の「歴史の道百選」に追加選定された。選定を記念し、講演会や街道を歩くイベントなどが開かれる。【足立旬子】
 「歴史の道百選」は、人やモノ、情報の交流の舞台となった道や水路などを選定する。長崎街道の日見峠(長崎市)や井樋尾峠(諫早市)などは既に選ばれており、今回、有明海沿いの多良海道が追加された。
 多良海道は、佐賀藩が江戸初期に整備した幹線で、他藩の領地を通らずに往来でき、長崎の警備や出島の情報…

【阿部亮のつぶやき世界一周】戦国時代の幕開け「応仁の乱」とは? 11年間続き京都など大荒廃

2020/01/15 15:30
 先日、友人たちとの宴会で「日本の3大〇〇」の話題になり「3大悪女は誰?」の問題が出た。北条政子と淀殿は、すぐに答えられたが、3人目は誰も思い出せずにいたら、隣の席の初老の紳士が「日野富子!」と答えてくれて、日本史の大転換点「応仁の乱」の原因を作った大悪女と教えてくれた。
 ただ私も友人たちも、小学校以来何度も学んだはずの「応仁の乱」の記憶が非常に曖昧な事に気付いて愕然(がくぜん)とした。
 応仁の乱は、室町時代中期1467年に起こった内乱。8代将軍の実子(将軍と正妻・日野富子の間の子)と、将軍の実弟との跡目争いがきっかけだった。
 当初は将軍家が存在する京都が戦場だったが、有力大名間の勢力争いや、大名家の家督争いも続発し、地方にも戦線が拡大。戦いに駆り出される主戦力=下級武士や足軽(雇われ兵)は乱戦の中、次第に商家や寺社に強盗や焼き討ちを掛けたり、主君を裏切り強い者に寝返ったり、武力・財力を蓄えた豪族が各地に台頭したりする事態になった。
 結果的に応仁の乱は11年間続き、その間に各地で十数回の合戦が行われ、首都の京都や近畿各所は大荒廃。9代将軍には日野富子が推す実子が就いて、足利幕府は形式的には織田信長が15代将軍を追放した1573年まで続いたが、幕府は応仁の乱以降は有名無実化した。
 日本史的には応仁の乱~豊臣秀吉が全国を平定し……

食べ物探しチュー?土器に爪痕 乾燥中に登った痕か 別のつぼには2体の骨 田原本の唐古・鍵遺跡 /奈良

2020/01/15 15:28
 弥生時代を代表する大環濠集落、唐古・鍵遺跡(田原本町)で1988年、不思議なつぼが見つかった。ふっくらとした胴部に、幾つも刻まれた縦線。3~4本ずつ並んだ線刻は、何だろう。
 「ネズミの爪痕です。土をこねてつぼを作り、並べて乾燥させている間にネズミが上ろうとしたようですね」。田原本町埋蔵文化財センター長の藤田三郎さんが、笑いながら教えてくれた。
 同遺跡は紀元前5世紀~3世紀ごろの長期にわたって栄え、ヤマト王権誕生の礎になったムラと考えられてい…

吉兆とされる降雪の中、国重文「新野の雪祭り」 長野・阿南町の伊豆神社

2020/01/15 15:14
 室町時代から600年以上続く阿南町新野の伝統芸能「新野の雪祭り」(国重要無形民俗文化財)が、14日夕から15日朝にかけて同所の伊豆神社であった。地元住民らが五穀豊穣を願い、夜通し舞を奉納した。
 祭り当日に雪が降ると豊年の吉兆とされる。新野では14日午後9時ごろから雪が降り始め、辺り一面が銀世界に包まれた。
 15日午前1時すぎ、若い男衆らが「乱声(ランジョウ)、乱声」と叫びながら、神々の支度部屋の壁を棒でたたき、早く出てくるよう催促。庭の大松明がともされ、最高権威の神「幸法」が登場すると、祭りは最高潮に達した。
 ぼたん雪が舞い散る幻想的な雰囲気の中、幸法は飛び跳ねたり、ゆっくりと腰を落としたりする独特な舞を披露。他にも幸法をまねる「茂登喜」や馬形をまとって矢を放つ「競馬」などの神が現れ、計14種類の舞を繰り広げた。
 新野雪祭り保存会の勝野喜代始会長(66)は「雪が降り、お祝いのよう。今年がいい年になるよう祈りたい」と笑顔を見せた。
(中日新聞)

ふるさと納税 笠置町も返礼品導入 訪問・体験型で誘客図る /京都

2020/01/15 14:52
 笠置町が14日、返礼品付きふるさと納税を開始した。全国で返礼品の“豪華さ競争”が過熱し問題になる中、町は名刹(めいさつ)・笠置寺での修行場巡りや「山の幸」の食事付き料理旅館宿泊など、訪問・体験型を主にし、過疎のまちの観光誘客・交流人口増を狙う。町によると、これで府内全市町村が返礼品付きふるさと納税を実施することになる。
 町はこれまで、返礼品無しのふるさと納税を受け付け、年間100万円程度が寄せられている。一方、町の人…

埋没林公園、愛称を募集 大田 /島根

2020/01/15 14:34
 4000年前の三瓶山の噴火で埋もれた縄文時代の巨大な杉を展示する「三瓶小豆原埋没林公園」(2003年開園、大田市三瓶町多根)に親しみを持ってもらおうと、埋没林の特徴や魅力をイメージできる公園の愛称を県が募集している。公園には最大で高さ12メートルの巨木が7本並び、年間約2万人が訪れる。埋没林は04…

古代出雲人は縄文人寄り DNA解析で判明

2020/01/15 12:50
◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆
 古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている――。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。
 出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3~7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。
 調査したのは遺伝子研究の専門家である国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の神沢秀明研究員。神沢研究員によると、猪目洞窟遺跡から出た人骨7体の歯や側頭骨から骨粉を採取し、石灰やたんぱく質を溶かすなどしてDNAを抽出した。
 そのうち6体から、母系統から受け継がれるミトコンドリア内のDNA情報を解析。6体のうち3体が日本列島に元々住む縄文系、3体が大陸から渡ってきた渡来系だと判明したという。
 さらに6体のうち残存状態が良かった縄文系と渡来系の各1体について、父母両系統からの情報を受け継ぐ、細胞核内のDNA情報を調べた。すると、古墳時代の出雲人2体は両者とも、東京都の…

「道祖土」…この名字、読めますか? 小正月に行われる火祭り行事「どんど焼き」とも関連が…!(まいどなニュース)

2020/01/15 12:15
「道祖土」…この名字、読めますか? 姓氏研究家・森岡浩が日本人の難読名字を紹介します。
【画像】読み方は…こちら
   ◇   ◇
埼玉県に多い名字で、道祖神に由来している。
道祖神とは、村外からやってくる疫病や悪霊の襲来を防ぐ神で、道の神ともいわれた。その信仰は地域によって違いがあるが、ご神体は石であることが多く、村の境目や峠、辻などに、自然石や、石に文字や像を刻んだものを置く風習は全国各地に広く見られた。現在は「どうそしん」と音読みするが、本来は「さえのかみ」「さいのかみ」といった。
1月14日か15日に門松や注連(しめ)飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く「どんど焼き」(左義長とも)は、平安時代に行われた宮中行事が起源とされるが、地方では道祖神の祭りとして行われることが多く、「さいとやき」と呼んで「道祖土焼」という漢字をあてた。ここから、道祖土の部分を「さいと」「さいど」と読む名字が生まれたとみられる。
現在、「道祖土」という名字は埼玉県比企郡川島町周辺に多い。また、青森県にある「妻神」「才神」と書いて「さいかみ」と読む名字も、「道祖神(さいのかみ)」に由来している。
◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅……

田中優子の江戸から見ると:河鍋暁斎の嵐の中で

2020/01/15 12:11
 昨年12月4日のこのコラムで「曽我(そが)蕭白(しょうはく)が現代アートになる日」という文章を書いた。そこでは、江戸美術と写真家・十文字美信氏の写真を組み合わせた新しいアートの出現について書いた。
 それを企画したコレクターの加納節雄氏がこんどは、松岡正剛氏の編集工学研究所にしつらえられた書籍2万冊を収める天井高4メートル強のスペース「本楼」に、個人蔵の河鍋暁斎作品約150点を林立させたのである。この「本楼」は単なる書斎ではない。吉田玉男氏が文楽を演じ、小堀宗実氏が本茶会を開催し、本條秀太郎氏が三味線の会を催し、NHKもスタジオ代わりにしたところだ。この河鍋暁斎展の日は、まさに「曽我蕭白が現代アートになる日」が毎日新聞に掲載…