マリンレジャーと海産グルメで知られる風光明媚な勝浦は 奥深い歴史の宝庫だった!|作品を並べていよいよ始動 ギャラリー&雑貨屋をオープン!(下)(古民家で暮らそ…

マリンレジャーと海産グルメで知られる風光明媚な勝浦は、奥深い歴史の宝庫だった!

2020/02/23 20:34
時代は下り、安土桃山時代。勝浦港の南端、太平洋に突き出た懸崖の地・八幡岬には安房正木氏(あわまさきし)の居城・勝浦城がありました。天正十八(1590)年、豊臣秀吉の小田原城攻略に際し、後北条家の眷属であった正木氏は、徳川家康配下の植村泰忠、本多忠勝に攻められ落城。城主正木頼忠の息女・十四歳のお万は、炎上する城を脱出、弟・為春を背負って、母とともに伊豆・韮山に逃れたと伝わります。海に面した高さ40メートルの断崖絶壁を、白布をたらして滑り降りたとされ、この故事からこの断崖は名勝「お万の布さらし」と呼ばれています。
このお万、母親が伊豆の土豪・蔭山氏と再婚、沼津本陣で自身の父を殺した勢力の頭目である徳川家康に見初められ、側室に迎えられるというどんでん返しの運命が待ち受けていました。ときに十七歳。「蔭山殿」「お万の方」として、徳川御三家のうちの二家にあたる紀伊徳川家(八代将軍吉宗の家系)の祖・頼宣、水戸徳川家の祖・頼房(水戸光圀=水戸黄門の父)を生み落とします。
一方で、こんな武勇伝も。浄土宗信者で日蓮宗を目の敵にしていた家康は、当時浄土宗派と日蓮宗派でたびたび行われていた宗論(他宗派同士で行われる討論)で、圧倒的な弁舌で知られていた日蓮宗の日遠を疎ましく思っていました。宗論に登壇する予定だった日遠の弟子の論者を家康の家臣が襲撃し怪我を負わせ、宗論に不当に介……

作品を並べていよいよ始動 ギャラリー&雑貨屋をオープン!(下)(古民家で暮らそう!:22)(DANRO)

2020/02/23 19:10
「連載21(ギャラリー&雑貨屋をオープン!中)」で紹介させていただいた豆皿型のテーブルの他にも、廃材のパレットは使い道がたくさんあって、よく見てみると我が家のあちこちにパレット材を使って作ったものがあります。
パレットは、外で保管されて重たいものを乗せるために作られたものなので、かなり硬い木で作られていることが多いようです。良い感じに古い感じを表現できる材木ですが、とにかく釘を抜く作業がとても大変です。それが終わったら、表面をデッキブラシで洗って乾かし、表面がささくれだっているものはサンダーで少し磨きます。あまりやり過ぎるときれいになり過ぎるので、適度なところでやめて、あとはステインで着色します。
パレットに、セリアで買ったアイアンのパーツを付けて、ポストカード立てを作りました。100均のパーツで作ったとは思えない雰囲気になってくれて、気に入っています。
それとレジカウンター。ネットで探してもなかなか気に入ったものがなく、自分で作りました。引き出しを作るのが面倒でしたが、キャスターも付けて動かせるようにして自分仕様にできるのが、DIYの良いところです。パレット材を使って作ると、重厚な雰囲気になりますので、古民家の空間にぴったりの素材だと思います。