大河ドラマであまりメインに据えられない信長 景気の…|ふすまや壁紙 はがして中を見たい お宝が眠ってるかも|後奈良天皇らの自筆文書と確認 愛知・豊橋 私設図書館…|他

大河ドラマであまりメインに据えられない信長 「景気のいい話」にならない奇妙な符合(堀井憲一郎)

2020/04/05 16:35
大河ドラマで織田信長だけが主人公なのは1本だけNHK大河ドラマでは、じつは織田信長を主人公にしたものが少ない。
意外な感に打たれるが、信長単体で主人公だったのは1992年緒形直人の『信長 KING OF ZIPANGU』だけである。
それより前、1973年の『国盗り物語』は前半が斎藤道三(平幹二朗)、後半が信長(高橋英樹)となっていたので、後半部分の主人公ではあった。この半分ものを入れても2本でしかない。
意外に少ない。
とはいえ、秀吉や家康の主人公ものも、多いわけではない。
秀吉だと1965年の緒形拳の『太閤記』、1996年の竹中直人の『秀吉』の2本。
家康も1983年滝田栄の『徳川家康』、2000年津川雅彦の『葵 徳川三代』の2本である。葵徳川三代では、49話中32話めで家康は死んで、そのあと秀忠の物語になるが、全体の三分の二は家康が主人公だった。
それぞれ2本ずつである。
前田利家や黒田官兵衛を主人公にした「裏・秀吉もの」ただ、これは主人公に据えられたものに限った場合、である。
まいどまいど、秀吉や家康をメインにしてるわけにはいかないので、周辺の人物を主人公に仕立て、物語は秀吉や家康の動きで展開していくという、いわば「裏・秀吉もの」や「裏・家康もの」(秀吉もの・家康ものの変種)も多く作られている。……

ふすまや壁紙、はがして中を見たい お宝が眠ってるかも

2020/04/05 16:21
 古い家のふすまや壁紙をはがして中を見ようと、全国を駆けまわる人たちがいる。いったい何をしているのか。3月中旬、雪の舞う長野県立科町を訪ねると、焼き鳥用の串を薄く削った特製のヘラを持った人たちが待っていた。
 地元の公民館に集まったのは、静岡や群馬、茨城などから来た20~40代の日本史の研究者や博物館の学芸員ら6人。さまざまな大きさの和紙が重ねて貼り合わされ、畳1枚ほどの大きさになった古い茶色の紙の束を囲んだ。それぞれの紙に墨書きの文字が記されている。近くにある旧家「土屋家」で修復工事をした際、壁紙の裏から出てきたという。
 重なってくっついている紙をはがすため、カビ防止のエタノール水溶液を吹き付けてから糊(のり)をふやかす。ここで焼き鳥用の串を薄く削ってつくった特製のヘラなど小道具の出番だ。紙のあいだに差し込み、破れないように1枚ずつ、そっとはがしていく。
 土屋家は江戸時代に芦田宿の本陣だった。大名や貴人などが泊まったことで知られる。壁紙から見つかった書き付けは、いずれも江戸時代の帳面の一部で、「茂八の畑の取れ高は米に換算すると2斗8升8合分」「大岡越前の家臣が江戸に向けて送った手紙が(中継地点だった本陣に)着いた」などと書かれている。
 なぜ壁紙の奥に潜んでいたのか…

後奈良天皇らの自筆文書と確認 愛知・豊橋、私設図書館に所蔵:話題のニュース(TOKYO Web)

2020/04/05 15:58
 江戸時代末期から明治時代まで愛知県豊橋市にあった私設図書館「羽田八幡宮文庫」で保管され、和歌などが記された書が、戦国時代―江戸時代初期に後奈良天皇と後陽成天皇が自ら書いた文書「宸翰」だったことが、5日までに豊橋市図書館の調査で分かった。
 図書館によると、後奈良天皇の宸翰は縦約32センチ、横約55センチ。藤原為家の和歌で、山の桜が一夜で満開になったのどかな情景を詠んだものと、藤原基家の和歌で、女性のつれない態度を鳥がなかなか鳴かないことに例えた2首が書かれている。
 後陽成天皇の宸翰は縦約52センチ、横約32センチ。豪放な筆致で「花鳥風月」と記されている。

「鎮花祭」でウイルス退散も祈願

2020/04/05 12:41
奈良市の世界遺産、春日大社の境内にある神社でサクラの花を供えて無病息災を祈る伝統行事「鎮花祭」が行われ、ことしは感染が拡大する新型コロナウイルスの退散も祈願されました。
春日大社の境内にある水谷神社で行われた「鎮花祭」は700年以上前の鎌倉時代に神前にサクラの花を供えて疫病の流行を封じたのが始まりとされています。
5日朝は、サクラの花が供えられた本殿で、神職が祝詞を読み上げたあと、4人のみこが伝統の神楽を舞って、感染が拡大している新型コロナウイルスなど疫病の退散を祈願しました。
例年では午後から狂言が奉納されますが、ことしは感染を防ぐため、取りやめられました。
大阪・太子町から訪れた50代の男性は、「疫病を払う神事ということでインターネットで調べて来ましたが、神楽が見応えがありました。新型コロナウイルスに家族が感染しないようお祈りさせてもらいました」と話していました。

「祇王寺」の小さなお庭で四季の美と心通わすひとときを【京都・奥嵯峨】

2020/04/05 12:30
京都の観光地で人気の嵐山。渡月橋、竹林、天龍寺など人気のスポットが多々ありますが、その喧騒を離れ、ひっそりと心を落ち着かせることができる場所があります。渡月橋と反対側の奥嵯峨の方面に佇む、竹林に囲まれた尼寺「祇王寺」です。朝の早い時間に訪れると、決して広くはなく派手でもないその尼寺には、ただただ静かに時が流れ、無限に四季の美が広がっていました。
平家物語に登場する“悲恋の尼寺”
嵯峨嵐山駅から、嵐山の観光名所の竹林を抜け20分ほど歩くと、少し長い坂道の先にある 「祇王寺」に辿り着きます。法然上人の門弟良鎮により創建された昔の往生院の敷地内にあり、平家物語にも登場しています。
平氏全盛の頃、白拍子(平安時代末期から室町時代初期にかけて行われた歌舞を演じた舞女)の祇王と祇女という姉妹がおり、姉の祇王が平清盛の寵愛を得て、妹の祇女も有名となりました。そこに仏御前という白拍子が清盛の屋敷に現れ、清盛はたちまち心移りしてしまいます。
都を追われるように去ることになった祇王は、「萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき」と障子に歌を書き残して、母・刀自と祇女とともに出家。入寺したのが祇王寺だそうです。その後、剃髪した仏御前も仏門に入り、4人で往生の本懐を遂げたと記され、「祇王寺」は“悲恋の尼寺”として知られています。
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