子どもと学校に尽くしてこそ 母親 というイメージがつ…|(いにしえナビ)見栄えより軽さ 正成着用か:朝日新聞…|日本1周の旅 に見立ててウオーキング|他

子どもと学校に尽くしてこそ「母親」というイメージがつらい

2020/05/22 11:34
このあと、長女はインフルエンザにかかってしまい、今でも文句を言っています(笑)。これらのことを思うと、早めの休校はよい決定だったのではないかと思います。

(いにしえナビ)見栄えより軽さ 正成着用か:朝日新聞デジタル

2020/05/22 11:30
笑ってる場合かヒゲ一人で野鳥撮影 学びの日々水曜どうでしょうチーフディレクターの藤村さんがコロナ禍で考えた「心躍ること」。それは? 
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「日本1周の旅」に見立ててウオーキング

2020/05/22 10:44
 日課でウオーキングを20年間続けている島根県安来市久白町の石田英明さん(80)が、歩いた距離を地図に記録し「日本1周の旅」に見立てた健康づくりに励んでいる。日本列島の海岸線沿いの国道を通るルート約1万2千キロを「日本1周」と定義。現在2周目に挑戦中で「頑張って完歩したい」と意気盛んだ。
 同市内の鉄鋼工場を定年退職後、体力維持を目的に61歳の時に自宅周辺でウオーキングを始めた。次第にただ歩くだけでは物足りなくなり、北海道から沖縄県まで日本1周の旅に見立てた目標設定を思いついた。
 1周目は2001年10月にスタートし、自宅からJR荒島駅や古墳公園・古代出雲王陵の丘を巡る6キロコースを毎日散策。1カ月ごとに歩行距離を計算して地図の該当区間に赤線を引き視覚化した。
 目標を決めたことで意欲が高まり、多い日はコースを4回歩いたことも。着々と歩を進め、05年1月に合計距離が1万2280キロに達し、3年4カ月かけて完遂した。「毎日歩くうち、知らなかった人ともあいさつや会話が生まれ、ウオーキングがさらに楽しくなった」。地図に赤線を書き込む作業を通じて地理にも詳しくなったという。
 その後もウオーキングに取り組み、傘寿を前に2周目への挑戦を決意。コースを8キロに延長し、18年10月からチャレンジを続けている。進行状況は地元老人会の会報で随時報告。「皆……

「玖珠」ってどう読むの? 「倶知安」「目達原」ほか難読名称の陸上自衛隊駐屯地5選

2020/05/22 10:10
全国47都道府県すべてに陸海空、いずれかの自衛隊の基地や駐屯地があります。地元の人にとっては馴染み深い名称であっても、そうでない人にはなかなか読めないところも多々あります。難読の陸上自衛隊駐屯地を5つ、見て行きます。
難読漢字を使ったり当て字だったり 奥深き駐屯地名称 陸海空の各自衛隊で最も人員規模が大きいのは陸上自衛隊です。陸上自衛隊の駐屯地は奈良県以外の全国46都道府県に合計150か所以上あります。それだけあると、馴染みがない限り読み方がわからないような難読駐屯地もいくつか見受けられます。そうした駐屯地を5つ挙げてみました。
玖珠駐屯地に所在する西部方面戦車隊の前身である第4戦車大隊の10式戦車と96式装輪装甲車(柘植優介撮影)。玖珠駐屯地(大分県玖珠町) 玖珠は「くす」と読みます。駐屯地がある玖珠町は玖珠郡に属し、町の中心には1級河川の玖珠川が横切るように流れ、玖珠盆地が広がっています。まさに「玖珠」とはこの地域では様々な場所で見られるポピュラーな名称なのですが、「玖」と「珠」の両方の字とも、多用される字ではないため、馴染みがないと読めないことも多いようです。
 しかし、「くす」の地名自体は歴史が古く、西暦730年代にはすでに「久須」や「球珠」という形で呼ばれていたそうです。
 玖珠駐屯地は陸上自衛隊が発足したのちにできた駐屯地で、……

「縄文時代の巨大集落」が人気観光スポットへ “邪馬台国時代のクニ”がヒントに(西日本新聞)

2020/05/22 10:03
 「吉野ケ里から学んだからこそ、世界遺産推進の機運が生まれた」。青森県世界文化遺産登録推進室長の岡田康博(62)はそう明言する。来年の登録を目指す「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中核となる三内丸山遺跡(青森市)に長く関わってきた保存・整備の「顔」だ。(敬称略)
【写真】「邪馬台国時代のクニ」として大ブームを巻き起こした吉野ケ里遺跡
 運動公園建設に伴う同遺跡の調査開始は1992年。岡田はすぐに、第一級の考古学的価値に気付いた。「これを好事家だけのものにしてはいけない。縄文ファンの裾野を広げるきっかけにしたい」
 全国の遺跡を見て回ったが、弥生時代の豊富な出土資料から専門家の注目度が極めて高い「唐古・鍵」(奈良県)などでもほとんど人影はなかった。ほぼ唯一の例外が吉野ケ里だった。92年の見学者は100万人を超え、累計600万人に達していた。弥生集落跡の“老舗”「登呂」(静岡市)が年間20万人程度だったことと比べると、爆発的な勢いだった。

松浦武四郎日誌の現代語訳を出版

2020/05/22 09:28
北海道の名付け親の松浦武四郎が江戸時代、紋別市や滝上町周辺を旅した時に書いた日誌を現代語に訳した本が出版されました。
松浦武四郎について研究している「しょこつがわ連携研究会」は、1858年に武四郎が紋別市と滝上町を流れる渚滑川流域を旅した時に書いた「西部志与古都誌」をこのたび現代語に翻訳しました。
翻訳した本には当時の人たちの生活やアイヌの人たちが労働力として連行されたことなど武四郎が見た渚滑川流域の様子が書かれています。
「しょこつがわ連携研究会」の高橋浩徳さんは「武四郎が江戸時代にアイヌの人たちに尊敬の気持ちを抱きながら蝦夷地を調査した足跡をみなさんに知ってほしい」と話しています。
研究会では本を300冊自費出版し、紋別市と滝上町の図書館、中学校、高校に寄贈したほか、出版費用として500円を寄付した人に本を送ることにしています。

「アマビエ」など妖怪150体 多治見のイラストレーター、児童書刊行

2020/05/22 08:51
 岐阜県多治見市姫町のイラストレーター中山けーしょーさん(57)=本名・啓昌=がイラストから文章、デザインまでを手掛けた児童書「伝承や古典にのこる!日本の怖い妖怪」全3巻が刊行された。東京のほるぷ出版から依頼を受けて約2年間かけてまとめた力作で、新型コロナウイルスの感染拡大で注目を集める疫病よけの妖怪「アマビエ」も掲載。「日本には1500種類以上の妖怪の伝承がある。世界的にも桁違いの多さで、日本の文化。日本人が伝えてきた妖怪の世界を楽しんでほしい」と話している。
 書籍は「里の妖怪たち」「水辺と道の妖怪たち」「山の妖怪たち」の3巻。各巻とも64ページ、税別3200円。妖怪研究家で国際日本文化センター所長の小松和彦さんが監修した。「轆轤(ろくろ)首」や「ぬりかべ」「一つ目小僧」と、各地に伝承が残る妖怪約150体を浮世絵や怪談、取材を基にまとめた。飛騨地域に伝説が残る人の心を読む妖怪「覚(さとり)」をはじめ、県内に伝承がある妖怪も掲載している。
 中山さんは名古屋市出身。金沢美術工芸大で絵を学び、広告代理店や印刷会社など複数の会社に勤める傍ら、趣味や副業でイラストを描いてきた。2008年に求人広告の出版社を退職して独立。これまでに50冊以上の書籍でイラストやデザインを手掛けてきた。
 妖怪の書籍を請け負うのは初めてで、「容姿は創作ではなく、江戸時代……

月は牡牛座から双子座へ 「水とオイルにこだわる 」 : Keiko 公式ブログ

2020/05/22 08:00
こんにちは
keiko的Lunalogy運営スタッフのMです
5月20日~25日は、二十四節気・「小満(しょうまん)」の初候に当たる、
「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」ですね
文字通り、カイコが桑の葉を盛んに食べ始める頃のこと
カイコは蝶や蛾などと同じ仲間でありながら、
人間によって完全に家畜化された昆虫。
野生回帰能力は無く、人間の管理なしでは生きることができません
カイコを飼い育て、その繭(まゆ)から絹糸を生産する養蚕の歴史は古く、
中国より弥生時代に伝わったとされています
広く全国的に行われるようになったのは、奈良時代以後。
明治時代には中国を抜き、世界一の生糸(きいと)輸出国となるまでに登りつめた日本でしたが、
世界大恐慌や第二次世界大戦が起こったこと、
および、戦後の化学繊維普及の波に押され、その後は著しく衰退
最盛期には221万戸もの数が確認されていたという養蚕農家も、
2016年のデータでは、350戸を下回っています
カイコは、約1ヶ月半という短い一生の内に、卵→幼虫→サナギ→成虫と姿を変えます。
以下に、非常に簡単ではありますが、カイコが辿る一生をおまとめいたします
~カイコの一生~
1、大きさ約1ミリほどの卵から生まれる。カラ……

「飲食店を救いたい」立ち上がった1人の住職 配送料無料の「寺デリバリー」に反響

2020/05/22 08:00
[ちちんぷいぷい-毎日放送]2020年5月13日放送の「今日の拡散希望さん」のコーナーでは、新型コロナウイルスの影響を受けて、大阪のあるお寺の住職さんが始めた活動について紹介していました。
大阪・松原市にある「法泉寺」。室町時代後期に創建し、住職の恵我(えが)了悟さんは18代目、檀家はおよそ250軒です。
新型コロナで、法要や行事は3月中旬以降全て自粛、法事や月参りもキャンセルが相次いでいます。そこで、空いた時間に地域貢献できないかと始めたのが、お寺のデリバリーサービスです。

「ご本人登場」って英語で言えますか?【金ため英会話】

2020/05/22 07:58
モノマネ番組におけるご本人登場の歴史は古く、一説によると鎌倉時代にお調子者の農民が、琵琶法師のモノマネで平家物語を歌った際に、本物の琵琶法師に後ろから琵琶で叩かれたことがルーツなのだとか。
もともとドッキリとしての演出でしたが、最近は予定調和の様相を呈し、「家に帰るまでが遠足」のように、「ご本人登場までがモノマネ」となっています。
伝統と実績に裏づけされた由緒ある登場芸を、例文で学んでみませんか?
今週は「ご本人登場」というフレーズを英語で紹介。
「ご本人登場」とは、日本のモノマネ番組を理解する上で最も重要な概念のひとつです。
これを英語でいうと…‘The actual person showing up’ is one of the most important concepts to understand Japanese impersonation shows.
Point:The actual person showing up=ご本人登場
モノマネをするそっくりさんは、もちろん日本だけの文化ではありません。
トランプ大統領と金正恩委員長のそっくりさんは世界中で話題になりましたし、政治家に限らず幅広いジャンルで人気です。
エルビス・プレスリ……

【アマビエ・チャレンジ】夏木マリ 生きることを考える時間(スポニチアネックス)

2020/05/22 05:30
 新型コロナ禍で、疫病を鎮める言い伝えがある妖怪「アマビエ」が人気だ。江戸時代の瓦版に載った半人半魚の妖怪で「病がはやったら私の写し絵を人々に見せよ」と告げたという。“令和の瓦版”スポニチでは、著名人がコロナ退散を祈願して本紙に寄稿してくれたアマビエの写し絵を毎日掲載します。江戸の人々は妖怪のお告げ通り、その絵を門口に貼ったと伝えられています。
 【女優・夏木マリ】
 汚染された水により海の生き物が死んでいく事実、これまでの大災害、氷山が解け、干ばつが襲う。そして、終わらない戦争…。今、地球の空気は奇麗になり、この疫病は、あなたたちを目覚めさせるために来たのだという手紙を見ました。
 アマビエ、私自身も200年近く前にこの国を目覚めさせるために現れたのです。今、あなたのカレンダーには、仕事も旅の予定もないけど、その代わりたっぷり時間はある。私が現れる時は、生きることを考える時間なのです。
 ◆夏木 マリ(なつき・まり)1952年(昭27)5月2日生まれ、東京都出身の68歳。71年に本名の中島淳子で歌手デビュー。73年に現在の芸名で発表した「絹の靴下」がヒットし、注目を集めた。93年から主宰舞台「印象派」をスタート。01年にジブリ映画「千と千尋の神隠し」で湯婆婆(ゆばーば)の声を担当。11年5月にパーカッション奏者の斎藤ノヴと結婚した。

悪病退散のお札 希望者の閲覧、撮影可

2020/05/22 05:13
 浜松市立中央図書館(中区)の書庫に、病気よけ、魔よけのため、幕末から明治初期にかけ、家々に掲げられたお札が眠る。希望すれば実物を見たり、写真を撮ったりできる。新型コロナウイルスの感染が収束しない中、同館では「昔の人の祈りに思いをはせてみては」と呼び掛ける。

勾玉づくり 家で挑戦を 子ども対象「セット」配布

2020/05/22 05:12
 セットには、削りやすい軟らかい滑石一個と研磨紙三種類、ひも、パンフレットなどが入っている。目の粗い研磨紙で滑石を勾玉の形に削り、目の細かい研磨紙で仕上げる。市教委がセットの提供や配布の受け付けに協力している。

夏目漱石『夢十夜』の第六夜を、ふと思い出した。 鎌倉時代の仏師・運慶が、護国寺の山門で仁王像を彫っている。ところが語…

2020/05/22 00:53
 夏目漱石『夢十夜』の第六夜を、ふと思い出した。
 鎌倉時代の仏師・運慶が、護国寺の山門で仁王像を彫っている。ところが語り手の「自分」も含めて、大勢の見物人はなぜか明治の人間ばかりなのである。語り手には「古くさい」と見える当時の装束に身を固め、一心不乱に木を彫り続ける運慶。すると語り手の傍で眺めていた若い男が、運慶の見事な所作を賛美し、「木の中に埋まっている仁王を鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すのだから迷いもなく正確なのだ」と解説した。
 それを聞いた「自分」も仁王が彫ってみたくなり、家に帰って片端から木を彫った。しかし仁王は出て来ない。「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った」と、その最後部で漱石は「自分」に完敗を認めさせている。
 漱石が『夢十夜』の連作を朝日新聞に書いたのが明治41年(1908年)の7月から8月にかけてであり、続く9月1日より、同じ朝日新聞に連載されたのが『三四郎』であった。その小説で漱石は、熊本から上京する三四郎の「これからは日本も発展するでしょう」という言葉に対して、同じ汽車の道連れとなった「髭の男」に「(日本は)亡びるね」とまで言わせている。
 日露戦争の奇跡的勝利から3年を経て、遅れ馳せながら世界の列強に比肩しようとする日本は、漱石の目には揺らぐ礎石の上に建てられた速成の楼閣に映った……