二ッポン古代史の反乱 藤原仲麻呂の乱 の裏に怪僧道鏡|伊勢角屋麦酒 伊勢志摩に伝わる厄除けラベルのクラ…|益田の宝 を知って 偉人や民話 冊子で紹介 NPO…|他

二ッポン古代史の反乱「藤原仲麻呂の乱」の裏に怪僧道鏡

2020/05/23 17:30
 藤原仲麻呂は官職名を自身が好む唐風に改め、淳仁天皇から「ひろく恵む美」という意味で「恵美」姓を、「暴を禁じ、強に勝つ」という意味で「押勝」の名を与えられ、恵美押勝としても知られる。『続日本記』には天性聡く敏い人と記され、奈良時代に政権を担った藤原不比等の息子である藤原四兄弟の長男・武智麻呂を父に持つ。
 四兄弟が相次いで天然痘に倒れたことから一族ではない橘諸兄が政権を握る中、仲麻呂は三五歳だった天平一二年(740)に、藤原広嗣の乱の発生に動揺した聖武天皇の東国行幸に、将軍として同行。同じ一族で叔母の光明皇后の後押しもあり、順調に出世を遂げた。
 とはいえ、太政官が当時、諸兄に握られていたため、仲麻呂は聖武天皇の譲位に伴い、皇后宮職(皇后の家政機関)を発展拡大させて紫微中台を創設し、天平勝宝元年(749)に、その長官(紫微令)に就任。
 こうした権限強化もあり、紫微中台はやがて太政官を抑えるようになり、同年には聖武天皇の譲位を受け、いとこに当たる女帝・孝謙天皇(聖武天皇と光明皇后の娘)が即位。仲麻呂は後に彼女と対立することになるものの、当初は即位がプラスに働いた。
 同七年(755)には聖武上皇が重病に陥ったことから、政権を指示されていた橘諸兄が失脚。彼が二年後の天平宝字元年(757)一月、失意のうちにこの世を去ると、仲麻呂は紫微令を紫微……

「伊勢角屋麦酒」 伊勢志摩に伝わる厄除けラベルのクラフトビール、限定販売

2020/05/23 16:30
 「伊勢角屋麦酒(通称=イセカドビール)」は、同社21代目の鈴木成宗(なりひろ)社長が1997(平成9)年に立ち上げたクラフトビール。国内外のコンペティションで数多くのメダルを獲得し、中でも「ペールエール」は、「ビール界のオスカー」ともいわれる世界で最も歴史のある英「IBA(The International Brewing Awards)」で2017(平成29)年と2019年の2大会連続でゴールドメダルを受賞した。
 「コロナウイルス退散セット」は、伊勢志摩地方の風習で1年中玄関に飾るしめ縄の木札に書かれる文字「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんのかもん)」「笑門(しょうもん)」や海女が魔除けとして身に付ける星と格子のマーク「セイマンドウマン(ドーマンセイマン)」と「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」をかたどったデザインラベル3種に、限定ビール3種の計6本のセット(各330ミリリットル瓶入り)。
 白を基調とした期間限定ラベルは、「ペールエール」を「蘇民将来子孫家門」、「ねこにひき」を「笑門」、「ヒメホワイト」を「急々如律令」の文字をデザインし付け替えた。限定ビールは、「グレープフルーツ・セッションIPA KAKEKO(カケコ)」、「ジンジャーヘイジーIPA」、「マヌカハニーホワイトエール」。
 同社執行役員営業部長の松岡嘉広さ……

「益田の宝」を知って 偉人や民話、冊子で紹介 NPO発行、英文併記で教育にも /島根

2020/05/23 13:48
 郷土の偉人の顕彰活動などに取り組む益田市の「NPO-MASUDA」が、同市鎌手地区の偉人と民話を紹介する冊子「ふるさと益田のお話 鎌手編」(A5判、18ページ)を発行した。同市を全国へPRするため、まず市民に地元の宝を知ってもらおうと企画。英文も併記して子どもたちの英語教育に役立ててもらう狙いも込めた。【竹内之浩】
 冊子では同地区の開拓と福祉に尽力した奈良時代の女性、額田部蘇提売(ぬかたべのそでめ)の伝記と、地区の沖合にある高島を舞台にした民話「おいせ物語」を取り上げた。

信長、秀吉、家康+光秀が従軍した戦国史跡「金ケ崎の絶景」【「半島をゆく」越前・若狭編 】(サライ.jp)

2020/05/23 13:02
今回の案内人・敦賀市教育委員会の奥村香子さんのご説明によると、敦賀市域は「けいさん」と市民から親しまれている氣比神宮が鎮座する町の東側地域が、古代以来の中心だったそうである。確かに、当社から港に至るラインが、古来のメインルートとみてよいだろう。
境内を散策すると、金ケ崎城から手筒山城にかけての山並みを借景にしているように感じられた。そうなのである。南北朝時代には宮司の氣比氏治が金ヶ崎城を築いて奮戦したが、北朝方に敗れ一門は討ち死したという。
やはり、一体の関係にあったのである。なお、中鳥居の右手前には「旗掛松」があった。延元元年(1336)に氏治が南朝の後醍醐天皇を迎え、氣比大明神の神旗を掲げた松といわれる。
社殿は、何度も戦火にあい、そのたびに建て替えられた。当社には、多くのいにしえの人々が参拝した痕跡がある。たとえば、俳聖・松尾芭蕉である。境内には芭蕉像と立派な句碑があり、私たち一行も足を止めた。

石舞台古墳 一般公開を再開

2020/05/23 12:43
奈良県明日香村の観光名所、石舞台古墳でも、きょうから一般公開が再開され、さっそく家族連れなどが訪れていました。
明日香村の石舞台古墳は、飛鳥時代の権力者、蘇我馬子の墓とされる巨大な石室で、年間およそ20万人が訪れる観光名所です。
国の緊急事態宣言を受けて先月18日から休業していましたが、きょうおよそ1か月ぶりに一般公開を再開し、さっそく歴史ファンや家族連れなどが訪れていました。
感染対策として入口には消毒液が置かれ、訪れた人が間隔を取るための目印が付けられています。
兵庫県川西市から訪れた50代の夫婦は、「古墳が好きでもう一度来たい場所だったので、緊急事態宣言が解除されきょう見ることが出来て、とてもありがたいです」と話していました。
また古墳周辺の飲食店や土産物店も、感染対策を行ったうえで営業を再開しました。
飲食店の店長は、「明日香は緑が多くてゆったりとした場所なので来てもらえるとうれしいです」と話していました。