堀はかつての入り江の名残! 日比谷入り江の埋め立て地…|奈良の味 ポテトチップス 奥大和柿の葉すし味 7月1…|北多摩の神職による 大祓詞 動画が話題 地域の神社5…|他

堀はかつての入り江の名残! 日比谷入り江の埋め立て地域を歩く──東京にみつける江戸 第14回

2020/07/13 11:55
和田倉門まで及んでいた日比谷入り江さて、日比谷堀を日比谷公園と反対の北方に向かいたい。300メートルほど進むと大きな土橋がある。江戸時代はここに木橋がかかり、馬場先門の枡形虎口があった。明治になっても枡形の石垣は残されていたが、明治37(1904)年、日露戦争の第1回戦勝祝賀祭の際、この門めがけて人が殺到し、20人の死者が出た。枡形虎口の防備力が、示されてなくていいところで示されてしまった格好だ。これを機に枡形は石垣ごと撤去され、2年後に凱旋道路が通されている
さらに300メートルほど進むと、また土橋があるが、これも江戸時代にはなかった。関東大震災後の再開発に際し、皇居から東京駅まで一本で行ける行幸通りが計画され、堀を埋めた土橋のうえに通されたのである。馬場先門と並び、道路を通すために石垣が大きく崩されてしまっている。

奈良の味『ポテトチップス 奥大和柿の葉すし味』7月13日(月)発売 江戸時代より続く郷土料理の味を再現!:時事ドットコム

2020/07/13 11:41
奈良の味『ポテトチップス 奥大和柿の葉すし味』7月13日(月)発売 江戸時代より続く郷土料理の味を再現!:時事ドットコム  時事通信

北多摩の神職による「大祓詞」動画が話題 地域の神社5社で撮影

2020/07/13 11:37
 動画では、青年神職が奏上する祝詞の声にピアノのメロディーを乗せ、荘厳でありながらモダンな雰囲気を演出している。演奏曲は現役神職の渡邊平藏さんが、雅楽「越殿楽(えてんらく)」をもとに作曲した。
 映像は北多摩地域の神社5社(大國魂神社・布多天神社・熊野神社・日枝神社・田無神社)でロケを行い、社殿や鳥居、手水舎、参道などのシーンに祈る人々の情景を合わせ日本の精神文化を表現している。みこが無病息災を祈りながら茅の輪をくぐったり、身に付いた穢れを白紙の人形(ひとがた)に託して流したり、夏越の祓らしい風景も登場する。
 視聴者からは「爽やかさ清々しさ、畏まったとこもありすてき」「ローマ字の振り仮名つきで自分も唱えてみたい」などのコメントが寄せられている。
 同会相談役で大國魂神社権宮司(おおくにたまじんじゃ ごんぐうじ)の猿渡惇(さわたり じゅん)さんは「このような試みはおそらく神社界では初めてでは。動画を通じて多くの人が、日本古来より伝わる大祓詞に触れていただく機会になれば」と話す。

乗れるのもあとわずか? 「あかね」で行く佐渡日帰り旅 予約受付中

2020/07/13 11:16
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新潟県上越市港町1の佐渡汽船直江津総合案内所は、親子ペアで楽しむ、直江津港発着日帰りプラン「高速カーフェリーあかね乗船体験の旅」を催行する。1日で砂金採りなども体験できるコースで、今年の夏は親子で佐渡の魅力に触れるのはいかが。
高速カーフェリー「あかね」
催行は、2020年7月26日、8月2、23、30日、9月22日。各コースとも、行きは直江津港を午前9時30分出港、同11時10分小木港着。帰りは小木港を午後4時30分発、直江津港に同6時10分着。
現地では、平安時代から採掘が始まったという佐渡最古の「西三川金山」跡地にあるゴールドパークでの砂金採り体験のほか、佐渡の歴史などをロボットが紹介する佐渡歴史伝説館の見学もできる。昼食は付かないが、小木港到着後に約90分間自由時間があるため、港周辺で佐渡の味覚も楽しめる。
ゴールドパークでの砂金採りにも挑戦できる
旅行代金は、親子2人1組(大人1人+小学生または未就学児1人。親子でなくても可)で1万2800円。追加料金は大人1人9900円、小学生1人2900円(未就学児は問い合わせ)。代金には2等往復指定席乗船代、ガイド付き島内観光バス、観光施設入館料などを含む。
各日最少催行は20人で、添乗員は同行しない。参加特典として、小学生を基本に1人につき1個、あかねのペ……

板がないかまぼこ、四角に丸い焼き目「なんば焼」の魅力

2020/07/13 11:00
 一風変わった板なしかまぼこが和歌山県中部で綿々とつくられている。白い正方形で、真ん中に丸く大きな焼き目が入った「なんば焼(やき)」だ。老舗の製品は直径10センチを超え、弾力ある歯ざわりが特徴。かまぼこは板付きが定番で、板には水分を除くなどの役割があるが、なくてもおいしいかまぼこができるという。製造するのは十数業者のみ。県外にはあまり出回っていないが、独特の外観と味わいを愛する人は少なくない。
(張英壽)
板付きは安土桃山から
 全国の約600業者が加盟する日本かまぼこ協会によると、かまぼこに板がついたのは、安土桃山時代からとされる。板は、成形しやすいという利点のほか、蒸したり冷やしたりするときに、余分な水分を吸う効果もある。
 板付き以前は現在のちくわのように棒にすり身を巻いて焼いた形で、植物の蒲(がま)の穂に似ており、蒲の穂が鉾(ほこ)のようだったため、蒲鉾(かまぼこ)と呼ばれるようになったという。
 昭和50年発行の「かまぼこの歴史」(清水亘著)によると、古文書の「類聚雑要抄(るいじゅざつようしょう)」に、平安時代の1115年の祝宴に出されたかまぼこの図があり、串に巻かれたようなかまぼこが描かれている。
 日本のかまぼこは地方ごとに特色ある製品がつくられているが、小田原かまぼこに代表されるように板かまぼこが一般的だ。板な……

弥生時代の斐川って? 銅鐸、銅矛出土35周年で特別展

2020/07/13 10:40
 島根県出雲市斐川町神庭の荒神谷遺跡で多数の銅鐸(どうたく)と銅矛が見つかってから35周年になったことを記念した特別展が11日、現地の荒神谷博物館で開幕した。周辺の遺跡からの出土品を含めた約80点を展示し、弥生時代の斐川平野の全体像を浮かび上がらせる試みだ。
 荒神谷遺跡では1984年7月に銅剣358本が出土した興奮冷めやらぬ中、翌85年の7月から8月にかけて、地下レーダー、電気探査で銅鐸6個、銅矛16本が相次いで見つかった。
 今回の特別展で主役の銅鐸と銅矛は、市松模様がある珍しい「1号銅鐸」(模鋳品)、つり手に17個の刻み目があり、その意味合いが注目される「6号銅鐸」(複製品、模鋳品)のほか、中国や朝鮮半島で生産され、出雲で出土したこと自体が貴重な銅矛3点(模鋳品、複製品)を、他の遺跡の出土品と比較しながら展示した。銅鐸をあらためて整理すると、武器から祭祀(さいし)へと目的の変化が読み取れるという。
 また、荒神谷遺跡から西に3キロ離れた杉沢遺跡で出土した県内最古のガラス玉6個なども展示。近年判明した荒神谷北側の四隅突出墳丘墓の存在と合わせ、一帯を治めた有力者がいた可能性が考えられるという。
 企画した博物館の柏谷実加学芸主任は、複数の遺跡を関連付けた一帯の研究は道半ばとしつつ「荒神谷に近い集落の姿が少しずつ見えてきており、分かってき……

日本古来のクジラ食文化:守れないのは、シーシェパードではなかったのか!?(八木景子)

2020/07/13 10:30
縄文時代から継承してきているクジラの食文化クジラの食文化は縄文時代から日本で受け継がれ、祝事などではクジラが大きいことから「商売繁盛しますように」と縁起のものとして祀ってきた珍しい食材でもある。
消えていく文化、栄える文化がある中で、クジラの食文化においては、自ら衰退させてきた食文化ではなく、1970年代から栄えた反捕鯨活動による人命に関わる嫌がらせや政治的な外圧の双方によって衰退の道を余儀なくされてきた食文化としても顕著である。
今、存続の危機に立たされている。なぜだろうか。
江藤拓農林水産相の会見「海外から評価されている」は本当か?日本は昨年6月にIWCから脱退し、江藤拓農林水産相は、商業捕鯨が再開されて1年経過した今年の6月30日の記者会見で、「海外からはおおむね冷静な反応を得ている。わが国の対応が非常に評価されているということではないか」と述べているが、実態は、クジラ業を営む民間の企業が苦しめられている。
国際条約の権利放棄、新たな代替え条約なし、捕獲頭数の減少、消えていく補助金IWC脱退の声明を出した際、捕獲頭数の増加や、公海で捕鯨を行えるようにする新たな条約の案などが打ち出されると思われた。そして、海外メディアは前のめりで批判した。
しかし、日本側には準備がなかった。「感情的にIWCを脱退したのではなく、数年前からの計画……

400年の歴史を語る益田氏の名城 七尾城と三宅御土居跡

2020/07/13 10:16
【動画】七尾城と三宅御土居跡
豪族・益田氏が本拠にした城七尾城というと、上杉謙信が攻め落とした能登守護・畠山氏の居城を連想するかもしれないが、石見(島根県西部)にも七尾城と呼ばれる壮大な山城がある。現在の益田市にある、益田氏の本拠だ。
南北朝時代、石見では中小の豪族が乱立してそれぞれの領地を支配していた。益田氏もそのひとつで、石見西部では、益田氏、吉見氏、三隅氏、周布氏、永安氏らが自主性を持って割拠していた。出雲の尼子氏や安芸の毛利氏、周防・長門の大内氏のような一国以上を領有する強大な一族は台頭しなかったが、南北朝の内乱を終息させた大内氏が石見守護となった後も、大内氏の影響下で勢力を張っていた。やがて毛利氏や大内氏などの勢力争いの狭間で翻弄され、各地で激しい戦いが勃発。その過程で、城も発達していったようだ。
南北朝の動乱が始まると益田氏は北朝方に属し、三隅氏、周布氏、福屋氏など南朝方についた有力領主と対立した。やがて益田氏は大内氏の重臣である陶(すえ)氏と姻戚関係となって大内氏の傘下で活躍し、石見の国人領主として筆頭の地位を確立していった。
厳島合戦を転機に城を強化か益田氏が約400年間にわたり本拠とした城が、益田城とも呼ばれる七尾城だ。1336(延元元)年には、南朝方の三隅氏が益田氏が籠城(ろうじょう)する七尾城の「北尾崎の木戸」を攻め……

博多織元OKANOが初のオンライン展示会を開催:時事ドットコム

2020/07/13 09:41
博多織元OKANOが初のオンライン展示会を開催:時事ドットコム  時事通信

今日は何の日:7月13日

2020/07/13 09:18
天皇「生前退位の意向」表面化2016(平成28)年 明仁天皇(当時82、現上皇)が数年以内に皇太子徳仁親王(同56、現天皇)へ天皇位を譲る「生前退位(譲位)」の意向を示されていることが明らかになった。天皇は同年8月8日に「身体の衰えを考慮する時、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」などと「おことば」として表明。皇室典範では譲位を想定しておらず、その規定はない。政府は明仁天皇に限って譲位を認めることとし、皇室典範特例法を制定。19(同31)年4月30日天皇が退位し、翌日の5月1日に皇太子が第126代天皇に即位した。
関連記事上皇陛下と安倍首相:10年越しの「すれ違い」その他の出来事3.11並みの貞観地震発生869年(貞観11年5月26日) 三陸海岸東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として大地震が発生し、東北地方の太平洋側に発生。巨大津波が沿岸に押し寄せた。貞観(じょうがん)地震または貞観津波地震と呼ばれる。三陸沖では1千年に1度の周期で大規模な津波被害が起きており、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災と平安時代前期の貞観地震が該当するとされる。平安時代に編さんされた史書『日本三代実録』に貞観地震に関する記述がある。東日本大震災後の地質調査により、貞観地震と浸水域がほぼ一致していることが分かった。
明治政府……

人間の排泄物も無駄にしない。花の香りが吹き込むコンポストトイレ

2020/07/13 08:00
このtemple of poopを建設したZELTINIは、製品とサービスにより世界をより良くすることを目指す地域に根ざしたデザイン会社で、地球の資源への影響を最小限に抑える持続可能なビジネスの創出に努めている。このトイレの他にも、自転車とボートになる電動キャンピングカーや水陸両用の船など、どの作品も非常に斬新でユニークだ。
コンポストトイレの大きな利点は、水を全く使用せずに排泄物を処理できることだ。水を使うことができない場所や下水処理設備がない場所に設置することで、水不足や水質・土壌汚染のソリューションになるため、近年では建設現場への導入も検討されている。また、排泄物を堆肥化するとほとんど無臭の腐植土となるため、トイレの臭いが発生しにくいこともポイントである。
コンポストの技術自体は古くから使われており、日本でも江戸時代には、人間の堆肥を活用していた。こうした「資源を無駄にせず循環させる」という自然界の仕組みに基づく考え方は、常に持続可能な未来をつくるヒントとなる。私たちの日々の営みが、環境に及ぼす影響に目を向けることを忘れず、より良いソリューションを模索していきたい。
【参照サイト】ZELTINI

大航海の時代、日本では大地震が頻発する中、3英傑が天下統一を果たす(福和伸夫)

2020/07/13 07:01
大航海時代に2つの大国に分割された世界 1492年にコロンブスが西インド諸島を発見し、1522年にはマゼランのスペイン艦隊が世界一周を成し遂げ、地球が球体であることが証明されました。1529年には、コペルニクスが地動説を唱えます。ポルトガルとスペインの領土争いの中、両国が世界の線引きを行い、1494年のトルデシリャス条約で大西洋上に、1529年のサラゴサ条約で太平洋上に線を引きました。その結果、ブラジルを除いたアメリカ大陸の大部分とそこから西側のニューギニア島の中央までがスペイン領、他がポルトガル領とされました。日本の上にも境界線が通されました。
 この間、インドでは1526年にイスラム教のムガール帝国が成立し、アメリカ大陸では天然痘などの流行もあって1533年にスペインによってインカ帝国が滅ぼされます。 東南アジアの諸国は、スペイン領のフィリピンを除いてポルトガル側に含まれましたので、ポルトガルが東回りでアジアに進出してきました。その拠点がインドのゴアで、その後、マレー半島のマラッカや、明のマカオも拠点にしました。
 その後、1580年に、ポルトガル王家が断絶したため、ポルトガル王家の血を引くスペイン国王のフェリペ2世がポルトガル王を兼ね、ポルトガルはスペインに併合されました。この結果、スペインはポルトガル領も手に入れ、太陽の沈まぬ国になりました。……

【歴史、そうだったのか】巨大な城館、陶磁器、アイヌとのかかわり…東北の雄・南部氏の知られざる「勢威」

2020/07/13 06:47
 戦国時代、北奥羽(現在の東北北部)に広大な領土を有し、江戸時代には盛岡藩主となった有力大名、南部氏。16世紀前半まで本拠地としていた国史跡「聖寿寺館(しょうじゅじたて)跡」(青森県南部町)では30年近く発掘作業が続いており、成果の一端が東京都江戸東京博物館(墨田区)で展示されている。中央との関係の深さをうかがわせる高級陶磁器、北の先住民族・アイヌゆかりの品…遺物の数々からは、「東北の雄」の知られざる勢威が見えてくる。(橋本昌宗)
当時の東北で最大級 聖寿寺館跡の発掘作業を行っている南部町教育委員会によると、南部氏は甲斐源氏の一族で、鎌倉時代の末頃までには奥羽に入り、その後「本三戸(もとさんのへ)城」とも呼ばれた聖寿寺館を拠点と定めたとみられる。
 文献によると、聖寿寺館は、戦国時代に現在の青森県や秋田県一帯を掌握して「三日月の丸くなるまで南部領」とうたわれた南部晴政の代だった天文8(1539)年、家臣の放火で焼失したとされる。南部氏はその後、居城を三戸(さんのへ)城(同県三戸町)、盛岡城(盛岡市)と移した。
 中世の城館は、同じ場所に新たな城が建てられたり近代以降に宅地開発される場合が多いが、聖寿寺館の場合、跡地で大規模な都市開発などが行われなかったため、当時の貴重な遺構や遺物がそのまま残る形となった。