いばらき秋の味覚特集/茨城県|工芸館との連携に意欲 県美 いしかわの工芸展開幕|世界遺産効果はいつまで? *禍はブランド力磨く期…|他

いばらき秋の味覚特集/茨城県

2020/09/14 11:04
茨城県は梨の生産量全国2位を誇り、江戸時代から梨を栽培していた歴史ある梨産地のひとつです。
茨城県の昼夜の寒暖差の大きい気候と、豊かな水、恵まれた土壌は梨の栽培に適しています。
今年は、春に気温の変化が大きく、3月から4月初頭までの高温により花が早く咲きました。
その後、低温の影響を受けましたが、丁寧な管理を続け、また、5月以降は暖かかったこともあり、生育はかなり回復しました。
平年並みか、平年よりもやや早い出荷が見込まれます。
県オリジナル品種の恵水(けいすい)は、9月上中旬が出荷のピークです。
(今後の気象条件により出荷時期が前後する場合があります。)
その後も、あきづき、新高と続き、10月下旬頃まで梨を楽しむことができます!
※県内の主な生産地:筑西市、下妻市、かすみがうら市、石岡市、八千代町など

工芸館との連携に意欲 県美 いしかわの工芸展開幕

2020/09/14 10:40
 青柳館長は国立西洋美術館長、文化庁長官などを歴任し、現在は多摩美術大理事長、山梨県立美術館長、奈良県立橿原考古学研究所長を兼務。開会式では「コロナ禍の中で、もう一度、工芸の技術や美術を見直すことが、持続可能な社会構築に必要」と話した。開会式には国立工芸館の唐沢昌宏館長も出席。青柳館長とともに展示を見て回った。展示は十月十八日まで。会期中は無休。(松岡等)

世界遺産効果はいつまで? コロナ禍はブランド力磨く期間に

2020/09/14 10:30
目玉事業の気球遊覧も延期
 世界遺産登録1年となる7月、南海難波駅(大阪市中央区)で開かれた記念イベントには、同市の永藤英機市長をはじめ市のPRキャラクター「ハニワ部長」らが登場した。うちわやポストカードを配って登録1年をアピールしたが、横に控える市観光推進課の担当者は焦る気持ちを隠さなかった。「世界遺産効果が続くのは登録から2~3年ともいわれる。誘客に向けて、これからというときに水を差された」
 市の外郭団体による昨年までの試算によると、堺などの地元自治体を訪れる観光客数は平成27年度の1・8倍の約2千万人となると推計されていた。しかし、今年はその数に遠く及ばない。
 さらに、市が観光の目玉として計画していた古墳上空を気球で遊覧する事業も頓挫している。今年8月から実証実験を行う予定だったが、コロナの影響で、住民に対する事前説明会を進められていないからだ。
 住宅街の上空を飛ぶため、安全性やプライバシー保護に関する説明はおろそかにできない。市は個別訪問で説明し続けており、担当者は「訪れた人に上空から古墳を見ることでその価値を知ってもらいたい。実施に向けて必要な準備を進めていく」と話す。

<コラム>西安の大雁塔が日本でも復元されていた件

2020/09/14 09:50
西安の大雁塔といえば、『西遊記』の三蔵法師こと唐の高僧の玄奘がインドから持ち帰った経典や仏像を安置していることでも知られている。大雁塔のある大慈恩寺の前には玄奘の像が設置され、大雁塔の最上階の7層まで登ることが可能だ。眼下には大規模な再開発によって、唐の時代の街並みが再現されており、夜はド派手なライトアップが眩しそうだ。大雁塔の内部で玄奘の業績をまとめたDVDを購入、帰国してから鑑賞したところ、玄奘の強靭な体力、深い知恵、逆境を好転させた運には驚嘆させられた。なぜか『西遊記』の三蔵法師は実在の人物とは違って、ストーリーの中ではほぼトラブルメーカーだが、ある意味、ストーリーを盛り上げる重要な役割と言える。ついでに述べると作中の孫悟空は、天界で大暴れしてお釈迦様に封印されてからは弱体化が顕著で、牛魔王といった有名どころの妖怪とのバトルでは、ほぼ毎回、観世音菩薩などに助けを要請している。玄奘がインドから持ち帰り翻訳した経典がその後の仏教界に多大な影響を与えたのだが、あまり知られていないが、日本には復元された大雁塔も存在する。
愛知県蒲郡市西浦町の無量寺には玄奘三蔵ゆかりの中国西安の仏塔を三分の一に復元した日本大雁塔(高さは20メートル)が存在する。無量寺は平安時代に開山した古刹で、がん封じ寺としても知られている。日本大雁塔は構造上、登ることはできないようだが、境……

江戸の怪談集「百物語」からひも解く日本人の遊び心―怪異の「怖い」を遊び、妖怪の「カワイイ」を楽しむ

2020/09/14 09:20
コロナ禍で夏の風物詩であるお祭りや花火大会の多くが中止された2020年の夏。だが、季節限定の「お化け屋敷」は健在だったようだ。中には、襲い掛かる「亡者たち」とのソーシャルディスタンスが万全の「ドライブインお化け屋敷」や、Skype、Zoomを活用した「配信型リアルタイムホラー」など、感染対策を演出に生かしたイベントも登場した。
さまざまな趣向を凝らして「怖がる」ことを楽しむ文化は、江戸時代から現在まで、脈々と受け継がれていると、妖怪研究家の湯本豪一さんは言う。庶民が「怖さ」を楽しむことが一般的になった江戸時代に、怖い話を集めた「百物語」が、怪談会や書籍などさまざまな形式で展開されて大きな広がりを見せた。怪談会の「百物語」は、何本も灯りをともして、怪談が一話終わるごとに一つずつ灯りを消していき、最後の一つが消えて場が闇に包まれると怪異が起こるという言い伝えに基づいている。
「『百物語』の起源ははっきりしませんが、もともとは室町時代の武士の肝試しが始まりといわれています。それが怖さを楽しむ遊びとして庶民の間にも広がり、流行したのが江戸時代です」
諸国で集めた「証拠正しき」怪異談 「“百”と言っても、実際に100話の怪談を語るわけではありません。『八百万(やおよろず)の神』と表現するのと同様に、たくさんの怪談物語という意味です。百物語怪……

信長最大のピンチ「金ケ崎の退き口」と光秀 金ケ崎城と天筒山城

2020/09/14 09:11
【動画】金ケ崎城と天筒山城
1568(永禄11)年、織田信長は足利義昭を迎えて上洛。室町幕府13代将軍・足利義輝を死に追い込んだ三好三人衆は阿波に逃げ、松永久秀らは信長に降った。ところが1569(永禄12)年、三好三人衆が15代将軍となった義昭を襲撃。「信長公記」には、それを防いだ者のなかに「明智十兵衛」の名が記されている。
この働きが信長に認められたようで、明智光秀は信長の家臣に取り込まれ、義昭と信長の両方から知行をもらう立場となった。信長としては、光秀に義昭の監視役を期待していたのではないだろうか。義昭に近しかった光秀としては、複雑な立場になったと思われる。
義昭はやがて信長と敵対し、1573(天正元)年には京都を追放されることになる。両者の対立が本格化したのが、1570(元亀元)年の越前・朝倉攻めだ。
1570年4月、義昭の上洛命令に応じなかった朝倉義景を追討するため、信長は越前へ向けて京都を出発した。近江の坂本を通過して和邇(わに)に陣を取り、田中城(滋賀県高島市)に宿泊。熊川城(福井県若狭町)、国吉城(福井県美浜町)を経て、5日後には敦賀に侵入した。そして妙顕寺に本陣を構えると、一気に天筒山城(てづつやまじょう、福井県敦賀市)を陥落させたのだ。
信長は天筒山城を攻略した翌日にも、天筒山城と尾根続きにある金ケ崎城に攻め込むは……

ついつい…箸を“橋”のように食器に置く「渡し箸」、なぜNG?(オトナンサー)

2020/09/14 08:18
ついつい…箸を“橋”のように食器に置く「渡し箸」、なぜNG?(オトナンサー)  Yahoo!ニュース

幕末、イギリス船に乗っていた日本人の通訳は何者だったのか? 『音吉伝』

2020/09/14 06:41
 江戸時代の後半、なぜか漂流民が多発した。乗り組んでいた船が遭難し、外国の船や人に助けられ、思いもよらないほど遠くまで連れていかれる。そこで外国語や最新知識などを学んで、開国に向けての動きで重要な役割を果たすことになった人物も少なくなかった。本書『音吉伝―知られざる幕末の救世主―』(新葉館出版)の主人公、音吉もその一人だ。
モリソン号に乗っていた 音吉については、すでにノンフィクション作家の春名徹氏による『にっぽん音吉漂流記』(1979年、大宅賞)がある。作家の三浦綾子氏も小説『海嶺』(1981年)で扱っている。多少なりとも幕末に関心のある読者なら、音吉という名前ぐらいは知っているに違いない。
 本書がユニークなのは、著者の篠田泰之さんの経歴だ。1945年、岐阜県生まれ。61年に三和刃物工業株式会社(現カイインダストリーズ株式会社)入社。71年、正眼短期大学卒業(会社からの派遣)。2006年に同社を退社し、現在は「関の包丁研ぎ屋さん」をやっている。関市は刃物業で有名だが、篠田さんも伝統の地場産業を支えるベテラン刃物職人の一人のようだ。
 音吉に関心を持つようになったのは、『海嶺』を読んだのがきっかけだという。そして退職後に個人的に研究を積み重ねてきた。
 音吉は1819年、尾張国知多郡小野浦(現・愛知県知多郡美浜町)生まれの水夫。32年、……

【マンガ】盗賊に盗まれたら安く売って一儲けする「盗賊御礼」とは?(雷蔵,神楽坂 淳) @gendai_biz

2020/09/14 06:05
あらすじぼんくら同心・夫×しっかり者・妻。
夫婦で目指せ、大手柄!
時は江戸。南町奉行所の風烈廻り同心・紅藤月也は、ワケありの犯人にはついつい同情してしまう甘ちゃん。同心に絶対必要な付き人の「小者(こもの)」にも、また逃げられて……。次の小者を誰にするか? 月也の妻・沙耶が思いついたのは自分が男装して月也の小者を務めることでした!!

登山愛好家が知るべき「山の宗教」、その千年の歴史

2020/09/14 06:00
 趣味やレジャーの場であるとともに信仰の対象でもある日本の山々。もっとも、かつては山頂を目指して登るのは当たり前ではなく、稜線から見える周囲の眺望に気を留めることさえなかった時代もあった。日本人はいつから山に関心を持ち、信仰の対象としたのか。
 日本の「山の宗教」は山林修行者を担い手として、人と山との境界領域である裾野(のちに里山)を足場に展開してきた。原始の山林信仰や大陸からの宗教的影響、中世王権の宗教政策、山林修行者と貴族や民の関わり、参詣や霊山信仰の広がり、スポーツやレジャーとしての登山の誕生や「帰る場所」としての山の言説──。
 白山、富士山、三輪山、立山、高野山・・・。日本の山々と山林寺院を舞台に、裾野から頂上まで、古代から現代まで千年にわたる山の宗教の歴史について、『日本人と山の宗教』を上梓した東京大学史料編纂所・菊地大樹准教授に話を聞いた。(聞き手:與那嶺俊・シードプランニング研究員)
裾野こそが山の聖性を認識する場だった──山は現在の日本人にとって、登山やレジャーの場でありながら、宗教や信仰の対象でもあります。本書では、山の宗教は大陸伝来の仏教や各時代における政治や文化に影響されながら、長い時間をかけて、徐々に形成されてきたものであると語られています。

安斎レオ『京都国際マンガ・アニメフェア2020』に『KAMINO絵師展』出展!

2020/09/14 05:30
安斎レオ『京都国際マンガ・アニメフェア2020』に『KAMINO絵師展』出展!  ニフティニュース

信長・秀吉・秀忠 天下人3人の書状 「朱印状」と確認

2020/09/14 05:22
室町時代から江戸時代の京都では、4つの家からなる「四座雑色(しざぞうしき)」と呼ばれる組織が、ろう屋の管理や要人の警護などの警察業務を担当していました。
このうち1つの家に伝わったとみられる、およそ80点の文書を東京都内の男性が古美術商から購入し、東京大学史料編纂所が調査しました。
調査を行った村井祐樹准教授によりますと、このうちの3点は、織田信長、豊臣秀吉、それに徳川秀忠の3人の天下人が出した書状の原本と判断されました。
それぞれ後世の写しが残されていますが、立場の上の人が目下の人に出す「朱印状」だったことが新たに分かったということです。
このうち信長の書状は、それまで室町幕府から認められていた権益や税の免除を引き続き認めるという内容で、秀吉と秀忠のものは土地の所領を認める内容が記されています。
村井准教授は「四座雑色」の能力を各権力者が認めたうえで業務を指示していたことがうかがえるとして、「四座雑色と天下人との関係が総合的に分かり、天下人の朱印状がよい状態でまとまって見つかったことも非常に貴重だ」と話しています。