最果タヒ 千年の時を経ても ロマンを届けてくれる …|代用天守 がいまに残る幕府の中枢 江戸城本丸跡──…|西宮市で海の安全を祈る渡御祭|他

最果タヒ「千年の時を経ても、ロマンを届けてくれる」 百人一首にみる“恋の歌”

2020/09/22 20:40
恋と共存していた時代好きと思う気持ちを伝えられるかどうか、ということを、今の人は考える。好きという気持ちを伝えられなくて、そのかわりSNSで呟いて、その気持ちをすこしだけ落ち着かせる人もいる。もちろん、伝えるために言葉を選んで、LINEしたり、直接言ったり。けれど、好きという気持ちを、「作品」として伝えるのが当たり前だった時代もある。歌で気持ちを詠み、伝えた平安時代のこと。
百人一首を訳する仕事をしていたころ、この「当たり前」さについて、わかる気もしながら、どこか、簡単にわかってはいけないような気もしていた。気持ちを伝えるということにどうして「作品」という形を選んだのか、それは当時の人にとってはその方が自然だったからで、その自然さは突き詰めても、今の私には共感が難しい。気持ちを自分だけのものだと捉えて、それを相手にさらけ出すかどうかを悩む今の人と違って、もしかしたら彼らにとっての恋は、人と人の間に流れる水のようなもの、自分だけのものではなく、恋は人と人の間に芽生えて、人々の営みの一部として育っていくものだと捉えていたのかもしれない。恋心が歌によって詠まれることで、他者に知られること、しかも作品として鑑賞されることに、今なら恥じらいを感じる人が多いだろう。けれど、人が無数にいる中で、その社会に恋心もまた無数に流れている、当時は妖怪や幽霊といった存在が当たり前……

「代用天守」がいまに残る幕府の中枢、江戸城本丸跡──東京にみつける江戸 第18回(GQ JAPAN)

2020/09/22 20:11
「代用天守」がいまに残る幕府の中枢、江戸城本丸跡──東京にみつける江戸 第18回(GQ JAPAN)  Yahoo!ニュース

西宮市で海の安全を祈る渡御祭

2020/09/22 19:25
商売繁盛の神様、「えべっさん」で知られる兵庫県西宮市の西宮神社で漁の安全などを祈る伝統の神事、「渡御祭」が行われました。
「渡御祭」は平安時代から続く秋の伝統行事で、網にかかったえびす像を漁師が持ち帰り、神社にまつったことが始まりと伝えられています。
きょうは西宮市のヨットハーバーに神職などおよそ60人が集まり、神社から運ばれたご神体を船に乗せたみこしに慎重に移して沖に向かいました。
そして神職が海の安全を祈願して祝詞を読み上げたあと、人形を使った「えびす舞」が奉納され、大漁を祈願していました。
ことしは新型コロナウイルスの影響で、参加する人や船の数を制限したほか、地域を練り歩く稚児行列も取りやめたということです。
会場を訪れた西宮市の40代男性は「ことしはコロナ禍で神事が見られないと思っていたので、縮小した形でしたがとてもよかったです」と話していました。
西宮神社の吉井良迪禰宜は「海の安全とともに、日本をとりまく悪い気を払えるようにお祈りしました。最近は、災害も多くえびす様のご加護で被害が少なくなることを祈っています」と話していました。

【いくつ読める?】千万町町、御器所、黄柳野…愛知県の難読地名〜中級編〜

2020/09/22 19:00
愛知県は、日本で4番目の人口を誇る都道府県。岡崎平野や濃尾平野、豊橋平野を有しており、肥よくな土地が広がっています。徳川家康や豊臣秀吉、織田信長といった戦国時代の武将を多数輩出した地域でもあります。そんな愛知には、どんな難読地名があるのでしょうか。今回は、愛知の難読地名中級編をお届けします。
福谷町(みよし市)福谷町はみよし市の緑が広がる地域。東名高速道路の三好ICは福谷町内にあります。

↓その答えは?

読み「うきがいちょう」
全国に「福谷」と書いて「ふくたに」と読む地名は点在していますが、「うきがい」と読むのは、日本国語大辞典によればみよし市の福谷町だけです。さて、福谷の由来ですが、猿投(さなげ)神社文書の「上葺(じょうしゅう)勧進帳」には、「浮谷郷」という地名が記されており、「うきがや」が転じて「うきがい」と呼ばれるようになったと考えられます。
しかし、浮谷を福谷と書くようになった経緯は不明です。1559年(永禄2年)に柴田勝家が攻撃した城は、「福谷城跡」と呼ばれており、当時から福谷と呼ばれていたことがわかります。
福谷城跡は室町時代後半に築造されたと伝わる城です。徳川家の家臣、酒井忠次が城主として近隣地域を治めていたこともあり、織田信長配下の柴田勝家との激しい攻防戦が繰り広げられたといわれています。発……

月見団子は球形だけじゃない!? 地域で違う「ご当地月見団子」とその成り立ち

2020/09/22 19:00
10月1日は「中秋の名月」。「十五夜」とも呼ばれるこの日に、誰しも一度は月を見ながらお団子を食べた経験があるはずです。素朴な味わいが、なんだか懐かしい気持ちにさせてくれますよね。
ところで「月見団子」と言えば、どんな形を思い浮かべますか? 白くて丸いお団子が、ピラミッド型に積まれているものを想像した人が多いのではないでしょうか。実はその月見団子、全国共通ではないんです。
地方の郷土料理に詳しい料理家の梶山葉月さんに、ご当地月見団子の特徴やレシピについて教えていただきました。
月見団子を供える風習はいつ始まった?
十五夜の風習は、平安時代が始まりとされています。もともとは一年でもっとも月が美しいとされるこの日に、秋が収穫時期となる里芋やサツマイモを供え、五穀豊穣を祈る行事でした。現在も使われる「芋名月」という別名は、ここから呼ばれるようになったものです。
その後、江戸時代に入ってから庶民の習慣としてお月見の文化が定着。同じく秋に収穫となる米の豊作を祈るため、月見団子を供える風習が生まれたのです。当時の人は月を神様と捉えていたので、月に見立てた真ん丸のお団子を準備することで、収穫への感謝を表しました。一緒に飾るススキも、稲穂に似ていたことから同様の意味が込められていたんですよ。
全国にはどんな月見団子がある?江戸時代にお団子をお供……