日本髪で城下ぶらり 松江 23日にイベント|幻の茶 石鎚黒茶 高校生がスイーツ開発|肉寿司もビールもハイボールもチューハイも100円!…|他

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日本髪で城下ぶらり 松江、23日にイベント

2020/11/20 11:50
 松江城天守の国宝指定5周年を記念し、江戸文化のシンボルの一つ「古典日本髪」を広める催しが23日に松江歴史館(松江市殿町)で開かれる。結髪の実演や江戸時代の着物、髪飾りで彩ったモデル12人が城下を練り歩く。結髪と着物姿の女性が18日、市役所(松江市末次町)でPRした。
 国宝指定5周年の節目に、日本の伝統文化でありながら知名度の低い髪型を広く情報発信していこうと市民団体「古典日本髪・出雲髪結びの会」(石原美和会長)が主催する。
 同会で結髪を担当する美容師の中山ひろみさん(55)=東京都=は、江戸時代の花嫁衣装は黒が基調で、当日にモデルが着用する着物やべっ甲のかんざしは江戸時代の実物を使う予定だと、松浦正敬市長に説明した。
 23日は午前8時半から松江歴史館で結髪の実演を見学できるほか、同10時45分に同館を出発し、松江城本丸までの間を着飾った20~60代の女性12人が練り歩く光景が楽しめる。歴史館や沿道で撮影も可能。
 石原会長(53)は「松江は着物が似合う町。いろいろな着付けや髪型を楽しんでもらいたい」と話した。

幻の茶「石鎚黒茶」 高校生がスイーツ開発

2020/11/20 11:17
西条市の山間部に伝わる発酵茶、「石鎚黒茶」の試飲会が行われ、地元の高校生が開発した茶葉を使ったスイーツがお披露目された。
「石鎚黒茶」は、西条市小松町の旧石鎚村に伝わるお茶で、江戸時代ごろから作られてきたとされている。
蒸した茶葉を2回発酵させることで生まれる独特の酸味が特徴で、地元の団体や西条農業高校の生徒が製造し、伝統を守っている。
試飲会では高校生が開発した石鎚黒茶を生地に練りこんだクッキーやシフォンケーキがお披露目された。
ある女子生徒は「石鎚黒茶をより多くの人に知ってもらえるようにおいしいお菓子をどんどん作っていけたら」と話していた。
西条農業高校が開発した石鎚黒茶のスイーツは学校の行事などでの販売を検討しているという。

【肉寿司もビールもハイボールもチューハイも100円!】『神戸三宮肉寿司』がオープン4周年を記念して、11/24より3…

2020/11/20 11:10
肉寿司イメージ
【4周年記念】肉寿司が何貫食べても100円!ビール・ハイボール・チューハイ何杯飲んでも1杯100円!
2020年11月24日(火)~26日(木)の3日間限定で、人気の肉寿司を何貫食べても1貫100円、ビール・ハイボール・チューハイを何杯飲んでも1杯100円で提供いたします。
■肉寿司1貫100円メニュー
赤身、えんがわ、タン
・2020年11月24日(火)~26日(木)の3日間限定となります。
・お一人様につき、キャンペーン対象以外のフード、ドリンク各1オーダー制となります。
・別途、お通し代200円を頂戴いたします。
・他クーポン券、サービスの併用は不可となります。
・GoToトラベル、GoToEatお食事券はご利用可能です。
・お席は2時間制となります。(ラストオーダーは30分前となります。)
・ご予約はお席に限りがございますので、お電話でお取り頂く方がスムーズです。
※上記は全て税抜き価格となります。
『神戸三宮肉寿司』
所在地  : 兵庫県神戸市中央区北長狭通2-2-9北長狭7番 1・2F
営業時間 :月〜金 17:00〜24:00、土・日・祝 11:30〜24:00
定休日  : 年中無休
URL :https://tabelo……

【国家の流儀】日本は皇室を戴く立憲君主国 旧宮家の男系男子孫の方々に皇族復帰していただきたい

2020/11/20 11:00
 米大統領選ばかりが話題になったが、実は11月8日は、日本にとって重大な日であった。
 この日、秋篠宮文仁親王殿下が皇位継承順位1位の皇嗣になられたことを、天皇陛下が内外に広く宣明になられる「立皇嗣宣明の儀」が皇居で執り行われたのだ。
 現行憲法では「象徴」と規定されている天皇陛下について政府は「元首」だと解釈し、日本は立憲君主国だと考えてきた。例えば、47年前、田中角栄首相はこう答弁している。
 《現在の憲法のもとでも、天皇は国の象徴であるという面、さらには、ごく一部ではございますが、外交関係において国を代表する面を持っておられるのでありますから、そういう面をとらえて元首という定義によるならば、天皇は元首であるということにもなる》(1973年6月13日、参院本会議)
 よって今回の「立皇嗣宣明の儀」によって、立憲君主たる天皇陛下の後継者が、皇嗣の秋篠宮殿下であることが内外に示されたことになる。現行の皇室典範に基づき、その次の皇位継承者は悠仁親王殿下だが、こうした男系継承は皇室の伝統に基づいたものだ。
 ちなみに今回、菅義偉首相ら三権の長をはじめとする内外の代表が参列した「立皇嗣宣明の儀」がテレビでは大きく報じられた。長い歴史と伝統を誇る皇室の儀式はこれだけではない。

73歳で「妖怪博士」に 百鬼夜行研究、足かけ19年

2020/11/20 10:15
 名倉さんは同県蒲郡市出身。高校生の頃、病気のため大学進学を断念した。保育所や家具工房に長年勤めたが、53歳の時に愛知県立大文学部を受験し、晴れて合格した。
 「真珠庵本」と呼ばれる室町時代の絵師、土佐光信作と伝わる絵巻を研究テーマに選び、大学院に進学。29年に博士課程の単位を取得して退学してからも、自宅で論文を執筆、今年完成させ、ついに博士号を取得した。

晩秋告げる「神戸のイチョウ」 飯山で22・23日ライトアップ

2020/11/20 09:58
 飯山市瑞穂の神戸(ごうど)地区にある県天然記念物「神戸のイチョウ」が鮮やかな黄金色に染まり、晩秋の訪れを告げている。22、23日の夜には、地元住民有志10人ほどでつくる「神戸のイチョウ保存会」がライトアップを行う。
 イチョウは高さ約36メートル、目通り周囲(目の高さの幹回り)は約14・7メートル。地元では鎌倉時代後期に植えられたと伝わり、地域のシンボルとして古くから親しまれてきた。落葉の早さで初雪の時期や量を予測できる「雪例樹(ゆきだめしぎ)」とも呼ばれている。19日も見事に色づいたイチョウを撮影しに訪れる人の姿が見られた。
 点灯は両日午後5~9時ごろ。保存会会長の金井晃さん(68)は「巨木を見て、生命の尊さを感じてほしい」と話している。金井さんによると、天候次第だが、11月いっぱいは紅葉を楽しめそう。

【コラム】大県誕生から1300年(9)大県周辺を歩いてみよう!

2020/11/20 09:28
 それでは、大県周辺の文化財について紹介しましょう。
 まず、中心となるのは、鐸比古鐸比売(ぬでひこぬでひめ)神社です。平安時代の『延喜式』という書物に記された神社を式内社といいますが、鐸比古神社と鐸比売神社が式内社としてみえます。祭神は鐸比古命と鐸比売命です。古い神社には、「ヒコ」「ヒメ」という男女が対になることがありますが、大県郡には、ほかにも若倭彦・若倭姫神社と金山彦・金山媛神社があります。鐸比古鐸比売神社は、もとは背後の高尾山にある巨石がご神体であり、巨石近くにあった神社を現在地に降ろしたものです。鐸比古命の「鐸」という字は、銅鐸などと使われるように鐘などを意味します。金属に関わる神と考えられます。鐸比古命は鐸石別命(ぬでしわけのみこと)と同一とされますが、全国で鐸石別命を祀っている神社は、岡山県和気町の和気神社と鐸比古鐸比売神社だけです。
 高尾山周辺は弥生時代の高地性集落でもあります。弥生時代の人々は、普通は平地に住んでいるのですが、何らかの事情で高いところに住むことがありました。そのような住居跡を高地性集落といいます。高尾山高地性集落は、戦争の際に逃げ込む場所だったのでしょうか。それとも信仰に関わる遺跡だったのでしょうか。高尾山の斜面から多鈕細文鏡が出土しています。銅鏡の裏面に紐を通す孔(鈕)が二つあり、細かい文様があるので多鈕細文鏡と……

withコロナ時代の中国エンタメ最前線春節映画だけで1120億円の損失

2020/11/20 09:26
withコロナ時代の中国エンタメ最前線春節映画だけで1120億円の損失|ニフティニュース  ニフティニュース

11月20日「えびす講」を知っていますか?謎の神「エビス」の正体は?

2020/11/20 09:10
話変わって日本列島の西端、大陸に近い海に浮かぶ長崎県対馬は、古くより海洋民が漁労を営み暮らしてきた地域です。
島内には壮麗な和多津美(わたつみ)神社や海神神社が鎮座します。そして海辺にある亀の甲羅のような模様の浮き出た泥岩を「磯良恵比寿(いそらえびす)」と称し、祭事をおこない信仰してきました。この磯良恵比寿こそ、エビス信仰の原型ではないか、との説があります。
磯良とは海洋民の一族とされる安曇(あずみ)氏の祖神・安曇磯良で、神功皇后の三韓出兵の際に海流・干満を操る珠を献上して、侵攻を助けたとも伝えられる海神です。
また、入江に建つ和多津美神社の社殿前のじくじくとした浜辺には、足が三本で三角形をなす「磯良恵比寿の磐座」と称する不思議な鳥居があります。この異形の三柱鳥居は、京都の太秦、渡来民・秦氏の本拠地の蚕(絹織物)の社こと木ノ嶋神社にも存在します。秦氏は聖徳太子の側近としてキリスト教やユダヤの神話を日本に伝えたともいわれる渡来系氏族。なにやら、はるかシルクロードの彼方の中東、パレスチナ、イスラエルの気配を感じます。
遠い昔、紀元前1300~1200年ごろの時代、モーセに率いられたイスラエルの民は、エジプトを脱出してパレスチナの地にたどりつきます。この当時、西から地中海の東海岸域に、複数の「海の民」と呼ばれる集団も渡来し、パレスチナ地域に勢力……

【戦国こぼれ話】戦国時代の天皇家は「衰微」していたのか?厳しい懐具合だったのは事実なのだろうか?(渡邊大門)

2020/11/20 08:54
【戦国こぼれ話】戦国時代の天皇家は「衰微」していたのか?厳しい懐具合だったのは事実なのだろうか?(渡邊大門) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

光秀に攻められ自刃 藤原氏の流れ組む御家人【丹波の戦国武家を探る】(4)

2020/11/20 07:30
さて、余田氏が根を下ろした余田谷は、西の鴨内峠を越えれば同市の青垣を経て但馬へ、東は竹田を経て北に丹後、南に春日へと通じる要衝の地であった。地の利を押さえ、前山川を自然の濠とした余田城を本拠に力を蓄え、有力国衆へと成長していった余田氏の名が歴史に現れるのは、鎌倉時代の末期である。元弘三年(1333)、討幕の兵を挙げた足利尊氏の檄に応じてはせ参じた丹波武士の一人に余田氏も名を連ねていた。その後、市島町域を席捲する勢いがあったというが、その足跡を史料上からうかがい知ることはできない。
戦国時代になると赤井氏に従うようになり、天正三年(1575)、明智光秀の丹波攻めには荻野直正に従った。天正六年の暮れ、明智光春に攻められた監物為家は敗れて城を脱出、黒井城へ落ちのびる途中に力尽きて自刃した。その後、余田氏一族は余田谷に帰農したと伝えられている。
(家紋World・日本家紋研究会理事)
【余田城】尾根に曲輪を連ねた連郭式の山城。東の城と西の城とに分かれ、谷を隔てた南の山にも支城を構え余田谷城砦群を形成している。小牧・長久手の戦いに際して、徳川家康に呼応した赤井氏残党が籠城した。

» Blog Archive » よみがえる中世根来寺 21日展示施設開設へ

2020/11/20 07:00
日本中世三大遺跡に数えられる和歌山県岩出市の根来寺遺跡の展示施設が21日、グランドオープンを迎える。4月1日にプレオープンした半地下式倉庫や精巧な遺物レプリカに加え、発掘された階段遺構や石造物などが展示され、繁栄した根来寺の往時の姿を今に伝える施設となる。
根来寺は平安時代の終わりに覚鑁(かくばん)上人(1095~1144)によって高野山で開創された後、根来の地に移った。
戦国時代に日本に滞在したポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスは「当時日本で最も栄えた寺院の一つ」とし、世界図にも「Miaco(都)」などと並んで「Negra(根来)」と示され、繁栄ぶりが世界に伝えられていた。
だが1585年、豊臣(羽柴)秀吉の紀州攻めに伴う「天正の兵火」により、同寺は本尊三像、大塔、大師堂、山門のみを残して焼け落ちた。その痕跡は発掘調査によって発見されている。
1976年、県は大規模農道建設に伴い発掘調査を実施。「天正の兵火」時のものとみられる焼土層から中世の遺物が大量に見つかった。その後、県と岩出市が調査を続け、約300の子院がひしめく中世の根来寺の姿が明らかになった。
展示施設の総事業費は1億1000万円。全体の面積は約730平方㍍。すでにある半地下式倉庫展示施設と遺物レプリカに加え、解説板6カ所と階段遺構展示施設、石造物展示の設置の他、バリ……

横浜・本牧の三溪園が紅葉に彩られた重要文化財2棟を期間限定公開。菊花の展示も

2020/11/20 06:40
11月21日から聴秋閣、春草蘆の公開を開始聴秋閣横浜の三渓園はこの秋、鮮やかな紅葉が周辺を彩る重要文化財建造物2棟と、三重塔の絶景を望む聴秋閣奥の遊歩道を公開します。
「聴秋閣」は二条城内にあったとされ、江戸幕府の第三代将軍、家光が自らの乳母である春日局に下賜したとされる楼閣建築です。「春草廬」は、織田信長の弟、有楽(うらく)の作といわれる三畳台目の茶室。いずれも樹々に囲まれ、紅葉の季節は一層美しく潚洒なたたずまいを見せます。
●聴秋閣
建築は江戸時代初期の元和9(1623)年。三溪園への移築は大正11(1922)年。徳川3代将軍家光が将軍宣下を受けるにあたり上洛した際、京都の二条城内に建てられたと伝えられ、のちに乳母の春日局(かすがのつぼね)に与えたと伝えられる楼閣建築です。
春草廬●春草廬
建築されたのは、小間が江戸時代、広間は三溪園に移築後に増設。移築は大正11(1922)年。京都宇治の三室戸寺金蔵院(みむろとじこんぞういん)にあった茶室で、古くは“九窓亭(くそうてい)”と呼ばれ、織田信長の弟で茶人として知られる織田有楽の作といわれる茶室。
・公開期間: 2020年11月21日(土)~12月6日(日)
・公開時間: 9:00~16:30
※三重塔を望む絶景が楽しめる聴秋閣奥の遊歩道も同期間開放します。建物は小……

恋野の伝説、芝居語り 「中将姫」に児童ら見入る 橋本 /和歌山

2020/11/20 06:35
 橋本市恋野地区に伝わる奈良時代の伝説の女性「中将姫」の物語を題材にした芝居語りが、地元の市立恋野小学校で開かれ、児童や地域住民らが見入った。昔の物語を題材にした1人芝居などを演じている、やすきひろこさんのオリジナルで、琴の演奏などに合わせて朗々と演じた。
 芝居語りは、継母からの刺客だった家臣が中将…

日本書紀編さん 藤原不比等没後 1300年記念 来年1月、奈良でイベント開催 /奈良

2020/11/20 06:34
 「日本書紀完成・藤原不比等没後1300年記念イベント」(県、文化庁など主催)が2021年1月23日、県コンベンションセンター(奈良市三条大路1)で開かれる。事前申込制(参加無料)で、12月21日必着。
 イベントは、20年が日本書紀編さんから1300年になるとともに、奈良時代の政治家・藤原不比等(6…

紅葉、鮮やかに輝く あすから金剛輪寺で庭園ライトアップ 愛荘 /滋賀

2020/11/20 06:33
 湖東三山の一つ、金剛輪寺(愛荘町松尾寺)は21~29日、名勝庭園のライトアップを初開催する。2006年の旧2町合併後も秦荘、愛知川に分かれたままだった観光協会が今年10月に合併したのを記念し、町観光協会として夜間イベントを企画した。
 金剛輪寺は奈良時代の高僧、行基が開山したとされる。行基が拝みながら仏像を彫っていると木肌から血が流れ落ち、観音様に魂が宿ったとして寺の本尊になったいう。伝説にちなんで毎秋の鮮やかな風景は「血染めの紅葉」と…

パチパチはじける謎の和菓子「てつはう最中」 Twitterで話題

2020/11/20 06:30
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口の中ではじける一風変わった和菓子がTwitterに投稿され、話題となっている。
それがこちら。
爆誕した長崎県松浦銘菓の最新作「てつはう」頂いた。
ぱかっと開き付属の火薬を入れると口の中でパチパチはじけて蒙古襲来
Twitterに投稿されたのは、長崎県松浦銘菓「てつはう最中」という名前のお菓子。どうやら付属の“火薬”ならぬ砂糖を最中に入れて食べると、口の中でパチパチするという。
 
投稿した「たかぎ七彦」(@7hiko)さんは、松浦市が主催する「元寇サミット」という11月8日に開催されたイベントで、この「てつはう最中」を手に入れたという。
ちなみに、元寇サミットは、鎌倉時代に蒙古軍が日本を襲った「元寇」ゆかりの長崎県内3つの市(松浦市・壱岐市・対馬市)が連携し、貴重な歴史を地域の活性化に生かそうというイベント。沈没した元軍の船などが見つかった鷹島の海底遺跡の調査開始から40年を記念して初めて開かれた。
長崎県の内外から約300人が参加し、このイベントのために作った「てつはう最中」は350個が完売したという。
Twitter……

三英傑や天皇らの書状、一堂に 江戸期の私設図書館収蔵、一般初公開 豊橋市図書館 /愛知

2020/11/20 06:20
 豊橋市中央図書館(同市羽根井町)で、織田信長など戦国三英傑や戦国時代の天皇による書状など約280点の貴重な資料が展示されている。市内にあった江戸時代の私設図書館「羽田八幡宮文庫」の収蔵品で、いずれも研究者により本物と確認されている資料だ。7月に市有形文化財に指定されており、一般公開は初めて。【川瀬慎一朗】
 信長の書状は、石山本願寺攻めの際に起きた家臣の反乱を受け、家臣の筒井順慶に警備などを命じた指令書で、信長が印章に使った「天下布武」の朱印も確認できる。冒頭には惟任日向守(明智光秀)の名前も。豊臣秀吉が宇喜多秀家らに宛てた書状は朝鮮出兵の目的を記したもので、風向きが良くなったら海を渡って攻めに行くので道や橋などを作って整備しておくよう指示している。

承久の乱、解説板一新 戦没者八百回忌 よりわかりやすく 前渡不動山 /岐阜

2020/11/20 06:19
 鎌倉時代の承久の乱(1221年)で激戦地となった「摩(ま)免(め)戸(ど)」に近い各務原市前渡東町の前渡不動山駐車場にある解説板「承久の乱と各務原」と、不動山中腹の仏眼院(ぶつげんいん)境内にある「承久の乱合戦供養塔」脇の解説板が今年10月、一新された。奉仕団体・前渡不動山発展会が「承久の乱戦没者八百回忌」法要に合わせて市に呼びかけ、市教育委員会が解説文の内容をよりわかりやすくした。【立松勝】
 承久の乱は源頼朝、頼家、実朝の源氏3代が没後、院政をした後鳥羽上皇が鎌倉幕府の二代執権・北条義時を追討するために発令した戦乱。1221年6月5日、上皇を警護する西面の武士、藤原秀康を総司令官とする上皇軍と、義時の嫡男・北条泰時を大将軍とする幕府軍が、木曽川を挟む摩免戸で大将同士の決戦を繰り広げ、幕府軍が圧勝した。

特別展・相模川流域のみほとけ:平塚 光明寺・観音三十三応現身立像(毘沙門天身) 善福寺・阿弥陀如来立像 /神奈川

2020/11/20 06:13
相模国の政治中心地 寺院多く建立  連載の最後は、平塚市の仏像だ。平塚市域には、相模国府が奈良時代から平安時代後期まで置かれた。国府は現在の県庁のような地方行政機関で、この地域が相模国の政治の中心であった。そのためか、この地域には寺院が多く建てられたようだ。
 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」には、12世紀末に平塚市域に存在した寺院が複数記される。そのうち、鎌倉幕府が主催した法要にも深く関わっていたのが、金目観音寺(かなめかんのんじ)、現在の光明寺(こうみょうじ)である。
 光明寺は、奈良時代の創建と伝えられ、本尊は平安時代の聖観音菩薩立像(しょうかんのんぼさつりゅうぞう)。坂東三十三観音霊場の第七番の札所で、厨子(ずし)(国指定重要文化財)、観音堂(県指定文化財)、金剛力士像(同)など、多くの文化財を伝える。

截金 無形遺産の美きらり 県美術館 北陸ゆかり3人展

2020/11/20 05:00
 山本さんによると、主流の「断切(たちきり)金箔」ではしなやかさや美しい曲線を表現できず「縁付」が不可欠。山本さんは「よく『今は縁付の在庫がない』『職人が減っている』と耳にし、なんとかならないかと思っていた。世界無形遺産となって、作品を支える側にも光が当たり、技術保存につながってほしい」と話した。

誕生から1200年 加賀国たどる 小松の河田山古墳群史跡資料館

2020/11/20 05:00
 加賀国は八二三(弘仁十四)年に誕生し、現在のかほく市から加賀市にかけての一帯を統治した。加賀国の国府は小松市古府町か、能美市との市境付近にあったとされている。当時、小松、能美の両市は能美郡と呼ばれる一つの地域だった。立国千二百年の節目を盛り上げようと実行委が展示を企画した。

150年の時を経て…足柄地蔵尊が開帳へ 檀家ら準備着々

2020/11/20 05:00
キャリア会員はコース変更をお願いします。
クレジットカード決済会員は新コースに自動移行するので特に作業は不要です。
新しいコースの概要、変更はこちら

古墳時代描く絵本原画展 前橋 みどり在住・能美さん

2020/11/20 05:00
 能美さんは、みどり市を拠点に、歴史の一場面や物語を描くことをテーマに活動している。群馬県展にも46年連続で作品を出品しているが、今年は新型コロナウイルスの影響で県展が中止となったため、れんが蔵での個展開催となった。島根県生まれで、出雲や石見に残る多くの信仰や伝説を聞いて幼少期を過ごしたことで歴史に興味を持つようになったという。
 絵本では、古墳時代の馬飼いが生活する様子を描いた。会場では人々の生活が榛名山の噴火で一変するまでを描いた一連の原画34点と、取材旅行中の景色を描いた絵画30点を展示している。作品には、古墳時代の人骨が発見された渋川市の金井東裏遺跡の土を使用したものもあり、顔を近づけて鑑賞する来場者の姿もあった。桐生市から訪れた男性(79)は「古代人の生活を大きな絵で直接見ると迫力がある」と感心した様子だった。
 26日まで。午前10時~午後7時(土日と最終日は午後5時)。入場無料。問い合わせは能美さんのアトリエ(0277・76・0265)へ。

ぐるっと東日本・アートを歩く:芸術さんぽ 塚本美術館(千葉県佐倉市) 日本刀や外装600点 /東京

2020/11/20 02:00
 かつて城下町として栄えた佐倉市。その風情を色濃く残す目抜き通り「新町通り」から一本入った住宅街にひっそりとたたずんでいる。国内でも珍しい日本刀専門の美術館である。
 開館は1983年。佐倉出身の実業家、故塚本素山の収集品を基に、日本刀や外装約600点を所蔵する。
 室町時代の同田貫(どうだぬき)正国作の刀や、新選組の隊士・沖田総司も愛用した加州清光作の刀、紀州徳川家伝来で数が極めて少ない江(ごうの)(郷)義弘作の脇差しに長曽祢虎徹(ながそねこてつ)作の刀--。
 当代屈指の刀工による名作ぞろいで、常時約30点ずつ展示。3カ月ごとに入れ替える。

連載 第71回「新編相模風土記稿」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

2020/11/20 00:00
 江戸時代の天保十二(1811)年に完成したと言われる『新編相模国風土記稿』のうち、「三崎町」を「美佐木末智(みさきまち)」と記述しています。さらに、「近隣城村及び向ヶ崎・二町谷・東岡・中之町・岡原・宮川の七村は昔此(この)地の属里(ぞくり)なりしが後年各村となりしと云ふ。」とあって、ここに記されている七村を加えれば、現在の「三崎町」と同じ地域となりましょう。

 三崎町は江戸時代から漁港として栄え、町の様子を「人家櫛比(じんかじっぴ)」と述べています。人家がくしの歯のようにぎっしりならんでいるさまを、このように述べているのです。他の書物にも「三崎津」や「三崎浦」などと記されていたようです。

 さらに、海岸の眺望について東は「房陽(房総)の諸山、西方は小網代や諸磯の海浜から鎌倉、江ノ島が見え、遠くは富峰(富士山)や雨降(大山)箱根の諸岳や真名鶴崎や伊豆の伊東浦が望見できる景色に勝れた地であるとも記されています。

 また、「鎌府」(鎌倉幕府)が盛んな頃は「遊覧」の地として、山荘(御所と呼ばれた)を設けられたのでした。

 『玉葉集』(八代集の一つ。京極為兼撰、正和元年/1312年撰進)に、源実朝が此の地に遊覧されたときの詠歌が記載されています。

 「みさきと云ふ所へまかり侍(はべ……