今週のイケメン:妻夫木聡 “ドラ泣き”しまくり 小…|秋田 地名 ケンミン性 齶田(あぎた)——古代 阿…|山車に魅せられて 半田・亀崎地区 彫刻物語ととも…|他

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今週のイケメン:妻夫木聡「“ドラ泣き”しまくり」 小栗旬主演のNHK大河に菅田将暉&中川大志が出演 前編

2020/11/29 11:00
 1週間のイケメン有名人の話題を紹介する「今週のイケメン」。今回(11月17~23日)は、俳優の妻夫木聡さんが映画のイベントに登壇した話題、俳優の小栗旬さんが主演を務める2022年放送のNHK大河ドラマに、俳優の菅田将暉さん、中川大志さんが出演するニュースなどが注目された。前後編で取り上げる。
 妻夫木さんは11月20日、東京都内で開催された、藤子・F・不二雄さん原作の人気マンガ「ドラえもん」の3DCGアニメの続編「STAND BY ME ドラえもん 2」の公開初日舞台あいさつに登場した。“大人のび太”の声優を務めた妻夫木さんは、誕生50周年を迎えた「ドラえもん」について「皆さんにとって、それぞれのドラえもんがあると思います。僕自身もドラえもんに夢をもらっているし、もうすぐ40歳になる今もドラえもんに夢をもらいたいと思っている自分がいます」と思いを語った。
 さらにのび太のおばあちゃんの声を演じた女優の宮本信子さんに対し「おばあちゃんの声が最高ですね。出てくるだけで泣いてしまう。“ドラ泣き”しまくりでした」と明かしていた。
 アニメは、原作の中でも名作として知られる「おばあちゃんのおもいで」をベースに、オリジナル要素を加えて再構築し、のび太としずかの結婚式当日を描く。
 小栗さんが北条義時役で主演を務める2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉……

【秋田「地名」ケンミン性】齶田(あぎた)——古代、阿倍比羅夫の蝦夷征討に由来をもつ県《47都道府県「地名の謎」》

2020/11/29 11:00
 日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
■古代にルーツを持つ地名も
《秋田県の由来》古代の蝦夷征討に由来をもつ 「秋田」という地名が、日本史上、最初に見られるのは『日本書紀』の斉明天皇4(658)年の条である。ここに阿倍比羅夫(あべのひらふ)が水軍を率いて蝦夷地へと遠征し、現在の秋田市周辺と考えられる「齶田(あぎた)の浦」に着いたことが記されているが、この「齶田」こそが「秋田」のルーツとされている。
 その後、天平宝字5(761)年には日本最北の古代城柵として秋田城が設置され、平安時代にかけて東北経営の重要な拠点となった。
 その後久保田藩を秋田藩に変え、今に至る。
《地名の由来》◉阿仁(あに):平安期の大兄と小兄 平安時代に米が沢と釜が沢という地域に、高倉長者の嫡子・庶子がおり、大兄・小兄と称したことが地名の由来と伝わる。
 天正19(1591)年の朱印状にある「秋田郡小阿仁村」との表記が、史料としての初見。……

<山車に魅せられて> 半田・亀崎地区 彫刻物語とともに修復

2020/11/29 10:27
 江戸時代に栄えた伝統彫刻「立川流」。各地の山車とも関係の深い流派だが、明治時代以降に断絶した。再興させたのが、六代目立川芳郎尚冨さん(69)=半田市亀崎町。彫師に弟子入りして磨いた技術と、立川本家からの後押しで得た史料などを糧に、緻密な彫刻をよみがえらせた。

揺れ動く「性差の日本史」 歴博展に大きな反響 その理由とは

2020/11/29 10:01
 男女の区分はどのように生まれ、どう変化していったのか-。「ジェンダー」に注目して日本の歴史をひもとく企画展が、大きな反響を呼んでいる。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)で開催中の「性差(ジェンダー)の日本史」だ(12月6日まで)。新型コロナ対策のため現在、入場は事前予約制となっているが、既に土日の予約枠は埋まり、図録も異例の増刷を重ねるなど注目を集めている。
圧倒的な「遅れ」
 <とても面白かった!>
 <時代が進むごとに不平等→平等に進んだわけではない…とか学びが多い>
 <巡回はしないのか…>
 同展については開催前からSNS上で話題になり、おおむね好意的な反応が目立つ。実際に行くと、歴史が好きな中高年のみならず、若い男女の来場が多い。
 「正直、驚いています」。この展示プロジェクトの代表を務める歴博の横山百合子教授も、想定をはるかに超える反響だという。プロジェクトには館内外の専門家20人以上が参加。これまでの女性史研究の成果を広く発信するのが主な目的だ。
 そもそもジェンダーとは、文化的・社会的に作られる性差のこと。同展は、日本史における性差の変遷を「政治空間」「仕事とくらし」「性の売買」の3つの側面から、重要文化財など280点を超える資料で追ってゆく。開館以来37年、歴博でジェンダーを本格的に扱う企画は初……

本物の藍の色、後世に 阿波藍の伝統を継承する20代目

2020/11/29 10:00
 東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムに藍色が採用され、売り出し中の阿波藍。江戸時代から続く藍染めの天然染料「すくも」の伝統的な製造技術を受け継ぐのが佐藤阿波藍製造所(徳島県上板町)の20代目藍師、佐藤好昭さん(57)だ。藍染め文化の担い手に阿波藍への思いやこれまでの歩みを聞いた。
 ――「秋の褒章」で黄綬褒章を受章されました
 染料は一般の人々になじみがないので面はゆい感じがしますが、職人仕事をほめていただくのは光栄なこと。縁の下の力持ちに光を当てていただいたことが何よりもうれしい。自分の力というよりも、ご先祖の長年にわたる営みも含め、伝統を守り、受け継いできたことを評価していただいたのではないでしょうか。
 ――藍の葉を発酵させて作る「すくも」の染料としての等級を決める判定方法の技能も評価されています
 少量のすくもを左の手のひらにのせ、右手の親指で繰り返し練り、手に伝わる感触やにおいで染料としての完成度合いをはかり、「手板法」と呼びます。小学校に入る前の幼いころに曽祖父(故佐藤平助さん)から判定が終わった後のすくもをもらい、手でこねて遊んだのが始まりです。
 ――藍師の仕事を継ぐ決意をしたのはいつですか
 中学1年のころには家業を継ごうと心に決めました。化学染料に押されて苦境にあった阿波藍の良さが1960年代半ばごろ……

【話の肖像画】作家・安部龍太郎(65)(8)兄の死…生きた証し残したい

2020/11/29 10:00
 《昭和30(1955)年、福岡県南部の旧黒木町(現八女(やめ)市)に生まれた。「奥八女」と呼ばれる、標高450メートルくらいに位置する山の中だった。同じ黒木町出身者には、芸名にもとった、女優の黒木瞳(ひとみ)がいる》
 黒木さんは町の中心部だけど、僕はずっと山奥。とにかく周りは全部山なんです。生まれたとき、電気はきていたけど、水道はなくて、井戸や川から取っていました。昭和39(1964)年の東京オリンピックのころに、やっとテレビが入ったのかな。めったに見かけることのなかった自動車も通るようになりましたね。それまでは、洗濯機も冷蔵庫もなかった。都会への憧れはずっとありましたよ。「あの山の向こうには何があるんだろう?」って。20年前後に生まれた3人の兄はみんな、集団就職で都会へ出ました。そんな時代だったのです。
 僕の少年時代は最初、すごいいたずら小僧だった。毎日のように友達と、山で鳥を取ったり、川で魚を釣ったり。小学校ではソフトボールのピッチャー、学校対抗の試合が楽しみでした。本などほとんど読まなかったですね。
 でも、あるときから急にいろんなことを考えるようになって。仲間の中で“調整型のリーダー”になったようです(苦笑)。大正3(1914)年生まれで、戦争へ2度行った父親も、そんなタイプの性格でした。

「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(190)」 石から読み解く中世・近世のまちづくり(福井市・…

2020/11/29 09:31
2020年11月29日(日) 配信
石の技術のルーツとなった白山平泉寺(福井県勝山市) 6月19日、今年度の日本遺産21件が新規認定された。2015年以来認定を重ねてきた日本遺産はこれで104件となり、当初目標の100件に達した。
 改めて各地の日本遺産物語を振り返ると、どの地域も、その骨格作りには大いに苦労している。とくに複数市町村が関係する物語では、そこに共通の資源やストーリー素材を組み立て編集する必要があるからである。19年に認定された福井市と勝山市の日本遺産「石から読み解く中世・近世のまちづくり」もその1つである。
 この物語の発端は、室町時代後期(1450年ごろ)までの最盛期に、48社36堂6千の坊院を持ち8千人の僧兵を要したといわれる白山平泉寺(勝山市)である。白山信仰の拠点で、最盛期は比叡山延暦寺を凌ぐといわれた巨大な宗教都市があった。一向一揆により全山焼失するが、平成初期から始まった発掘調査では、苔むした社寺跡からは中世の石畳道が次々と姿を現し、石造りの泰澄大師廟や楠木正成の墓、無数の石仏などもみられる。
 平泉寺の石組技術は、福井の石のまちづくりのルーツとなり、その50年後に整備された一乗谷朝倉氏居館にも受け継がれた。城下町の入り口には巨石を5メートルもの高さに積み上げた城戸が威容を誇っている。朝倉氏の居館跡や家臣の屋敷……

三陸の豪商「奇跡の古文書」残った 津波で流出、回収し修復 岩手・大槌

2020/11/29 09:30
© 毎日新聞 提供 修復された古文書についての解説を聞く前川寛さん(右)=岩手県大槌町の町中央公民館で 岩手県大槌町教育委員会は、江戸時代の豪商、前川(通称・吉里吉里)善兵衛の本家(同町吉里吉里2)に保管されていた、歴代当主の交流や漁業経営についてつづった古文書を、町の文化財に指定した。子孫の夫婦が保管していたが、東日本大震災の津波で亡くなり、一度は古文書も流された。その後、町民が発見し、修復されていた。【中尾卓英】
 戦国末期、小田原から三陸に逃れて沿岸の漁業権を掌握した豪商の子孫が、代々前川善兵衛と名乗るようになった。四代善兵衛富昌(1691~1763年)は、日光東照宮修復のために7500両を盛岡藩に納めたほか、度重なる飢饉(ききん)で3万2000人以上におかゆを振る舞ったとされる。郷土芸能・虎舞も善兵衛がもたらしたと伝えられている。
 今回、文化財に指定された古文書は、江戸時代中期から昭和初期の文書など965点。木箱に入れて長年、本家の倉庫に保管されてきた。震災の津波で倉庫もろとも流されたが、地元消防団員が遺体捜索などの際に回収。県立博物館などによる「文化財レスキュー」で脱塩・洗浄され、9年がかりで解析された。その結果、大槌町の成り立ちなどを伝える貴重な資料と分かった。盛岡藩主らへの上申書や地元の神社の歴史、家系図なども含まれていた。
 ……

百人一首に撰ばれた100人の歌人たちの、誰も知らない“しょんぼり”エピソード満載! 『しょんぼり百人一首 ~それでも…

2020/11/29 09:00
――― 失恋し 島流しされ 呪われる しょんぼりだけど 撰ばれました ―――
失敗や苦労があったからこそ、名歌が生まれた!
百人一首に撰ばれた100人の歌人たちの、“ざんねんだけど愛おしい”しょんぼりエピソード集。
本書は、「百人一首」に撰ばれた100名の歌人たちにまつわる、苦労や失敗エピソードを集めた1冊です。平安時代の歌人と聞くと雅で華やかなイメージですが、実際には大失恋したり、島流しされたり、短歌をけなされたり、100名全員が“しょんぼり”な経験をしています。歌人たちの、“笑って泣ける”しょんぼりエピソードを読めば、百人一首が100倍あじわい深くなること間違いなし! 1話1~2ページ完結で読みやすく、短歌百首と現代語訳も掲載していますので、短歌の意味を理解しながら楽しむことができます。
遠い昔の歌人たちも、私たちのようにいろいろなことに思い悩みながら、それを「歌」にして乗り越え、強く生き抜きました。読者ひとりひとりに寄り添ってくれる歌とエピソードが、きっと見つかるはずです。
【内容例】
の小野小町は、キラキラ美女でも最期はドクロに!?
の崇徳院は、兄弟げんかに負けて島流しにされる!
の右近は、元恋人に天罰が下るように祈る!
の紫式部は、ベストセラー作家なのに職場になじめない!
の清原元輔は、みんな……

明智光秀ゆかりの地へ(その3) 光秀が愛した坂本へ(山村純也)

2020/11/29 08:30
明智光秀ゆかりの地へ(その3) 光秀が愛した坂本へ(山村純也) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

エロス的親愛で結ばれた男たち 平安時代の男の友情

2020/11/29 08:01
『伊勢物語』に描かれた、平安貴族社会の男たちについて見ていきましょう。『伊勢物語』というと、男女の恋の話というイメージが強いかもしれませんが、男同士の友情や人生の悲哀、また政治世界での力関係も印象深く描かれています。在原業平がとりわけ深く心を通じ合わせた三人の男の一人、紀有常に関する章段を、作家の高樹のぶ子さん(※)が読み解きます。
※高樹さんの「高」の字は、正しくは「はしごだか」です。
*  *  *
業平と彼ら(紀有常、源融、惟喬親王)との関係性にはある共通点があります。それは、エロス的親愛です。エロス的親愛とは、性愛ではなく、身体的な感覚で相手とつながりを持つことです。業平は感性の触手をたくさん持っていますが、言い換えればそれは、身体の感覚が多方面に敏感に開いているということです。ですから業平は、自分に向けられたちょっとした言動で「この人はだめだ」と判断したらすぐに逃げ出しますが、解ってもらえると思ったらスッと寄り添っていく。そうした直感的な身体感覚でつながり合う者同士にあるのが、エロス的親愛です。
では実際の章段を読んでいきましょう。まずは紀有常です。
有常は業平の年上の友人で、妻の父親にあたる人です。紀氏はもともと書や学問に優れた血筋ですが、当時は藤原氏の権勢に圧されて斜陽気味、到達した最高の位階も従四位下(じゅしいげ)と……

<再発見!伊豆学講座>疫病対策 悪霊払いや井戸替えで

2020/11/29 07:17
 もうひとつ信仰をあげると、ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)が疫病や悪霊を退けるというもので、祇園神社、津島神社で祭るものである。平安初期に京の都では怨霊のたたりを和らげる呪術が盛んに行われ、祇園社はその中心となった。やがて牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊の信仰と結びつき、その信仰は全国に流布した。

湖北の儒学者ら紹介 雨森芳洲など 江戸期の国際交流知って 長浜で来月7日まで特別展 /滋賀

2020/11/29 06:42
 江戸時代に国際交流を実践していた湖北地域ゆかりの儒学者を紹介する特別陳列「湖北長浜の国際人~雨森芳洲と松井原泉(げんせん)・文貫(ぶんかん)~」が長浜市高月町渡岸寺の高月観音の里歴史民俗資料館で開かれている。12月7日まで。
 雨森芳洲(1668~1755年)は現在の長浜市高月町雨森出身とされる儒学者で、対馬藩(長崎県)に仕えて朝鮮との外交を担い、外交使節の朝鮮通信使の江戸行きにも2度随行した。
 松井原泉(1698~1762年)と息子の文貫(1744~94年)は当時の雨森村に隣接する井口村出身。原泉は膳所藩に仕えて朝鮮通信使の接伴役を務め、文貫も朝鮮文人と交流を深めた。

大和国を巡って18年攻防。松永久秀と筒井順慶、ライバル関係の真相【麒麟がくる 満喫リポート】

2020/11/29 06:05
大河ドラマ『麒麟がくる』の中でも描かれた大和国をめぐる松永久秀(演・吉田鋼太郎)と筒井順慶(演・駿河太郎)の攻防は、18年にも及ぶ長期に渡った。その真相とは?
かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)の元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏がリポートする。
* * *
戦国時代の大和国(奈良県)は、大名不在の国と言われていた。すでに鎌倉・室町時代から大寺社である興福寺の力が強く、幕府は守護所を置かず、その役割を興福寺が果たしていたからだといわれてる。
しかし、戦国時代も後半に差し掛かると、大和国内でも国衆(国人領主)たちが力を持ち始め、領内の統治権を独占する戦国大名に成長しようと蠢動していた。
この大和の支配をめぐり、長く抗争を繰り広げたのが、松永久秀と筒井順慶だ。松永久秀は、室町幕府の管領を務めた細川家の重臣、三好長慶に仕えた土豪だったと考えられている。
一方の筒井氏は代々、興福寺の塔頭一乗院の衆徒(僧侶)の家柄で、同時に大和盆地の北部を支配する国衆でもあった。
順慶の父順昭は、大和国内の有力国衆を次々に支配下に入れる活躍をみせたが、28歳の若さで病に倒れた。残された嫡男の順慶(当時は出家前で藤勝〈ふじかつ〉と名乗っていた)はまだ……

「鬼切丸」って?学問の神様「北野天満宮」が受験生以外にも人気の理由(秋尾 沙戸子,東村 アキコ)

2020/11/29 06:02
天神さまは、正しくは天神社もしくは天満宮という。祀られているのは菅原道真公だ。彼は歌に書に秀(ひい)でた才能を持つ平安時代の優秀な学者で、宇多天皇、醍醐天皇二代にわたってご寵愛(ちょうあい)を受け、学者でありながら政治家として右大臣にまで昇りつめた。政治家のポストが貴族で占められていた時代に、学者が右大臣の座に就くなどとは、異例中の異例。当然のように彼の出世は貴族の嫉妬を買った。なかでも左大臣の藤原時平の妬みは半端なく、彼の策略によって道真公は無実の罪で九州の大宰府に飛ばされる。のち、二度と京都に戻ることはなく、大宰府で命を落とした。
ところが、道真公亡き後、彼を陥(おとしい)れた藤原一族が次々に変死を遂げた。天皇の住居である清涼殿に雷が落ち、やがて天皇までが亡くなった。疫病蔓延や天変地異も続いた。よもや菅原道真の祟(たた)りではあるまいか。都では大騒ぎになった。そして道真公を「天神」(=雷や天候をつかさどる神)とみなして、平安京を護る神として祀られることになった。これが後の北野天満宮であり、いまや全国に12000社もある「天神さん」の総本社である。
その北野天満宮が最近、受験生でもない若い女性たちに人気なのだ。天下の名刀「鬼切丸」が収められているからである。
「鬼切丸」――。以前なら聞き逃したその名前も、『鬼滅の刃』を観てしまったら、素通りで……

<湖国の現場2020> 長浜の安念寺観音堂、修繕費のCFが成功

2020/11/29 05:00
 「いも観音」の愛称で知られる仏像10体を収める安念寺の観音堂(長浜市木之本町)の修繕費をインターネット上で募るクラウドファンディング(CF)が10月末で終了した。8月13日に始まり、342人から計約557万円が集まった。当初目標の200万円のみならず、150万円上積みした第2目標の350万円も達成した。集落で仏像を守り、継承する湖北地域の観音文化は、高齢化や資金不足などの課題を抱える。CFは一つの突破口になるのか、期待が集まる。

時代違う三つの遺構確認 七尾城・調度丸跡の発掘調査

2020/11/29 05:00
 発掘調査では約百平方メートルの範囲を地表から約一・三メートルの深さまで掘削。地層が三つに分かれていることを確認した。山の岩盤を削り曲輪(くるわ)を造成した下層、石が列のように並んでいる中層、石塁が設置された上層と重なっていた。中層では、整地のために焼け焦げた土を詰めていることから、当時火災があったとみられる。