疫病除けに マンボウ ? 願い込めた木版画が和歌山に…|羽柴 と 豊臣 秀吉が家臣にあてた書状2点発見(…|和歌山・紀伊風土記の丘で 紀州の獅子と獅子頭 推し…|他

「羽柴」と「豊臣」 秀吉が家臣にあてた書状2点発見(産経新聞)

2021/04/06 21:16
「羽柴」と「豊臣」 秀吉が家臣にあてた書状2点発見(産経新聞) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

和歌山・紀伊風土記の丘で「紀州の獅子と獅子頭」 推し獅子舞ランキングも

2021/04/06 21:11
 獅子は悪を食べるとされ、獅子頭は祭りの行列を先導して邪気をはらい清めるために使われた。獅子の芸能は、飛鳥時代に仏教と共に日本へ伝わり、平安時代以降に奈良や京都の寺社の祭礼に採り入れられた。紀州の獅子は、八幡宮など中世荘園の鎮守社祭礼の中で定着したという。
 同展では、獅子頭の目や貌(かお)の特徴、祭りなどを紹介し、県内の獅子舞の様式分布図を展示する。日高地域の獅子頭は紙製で、香川県をはじめとする瀬戸内海沿岸で見られる技法が用いられ、木製の頭よりも安価で軽く、長時間の激しい演舞に適する。江戸時代後期になると、西日本各地を巡った芸能集団による「伊勢大神楽」などの影響から、笛や太鼓のおはやしに乗せ、奉納される獅子舞が熊野地域などに根付き、人々を楽しませる様式が加わったことを紹介する。
 ダイジェスト映像で、木ノ本の獅子舞(和歌山市)、藤白の獅子舞(海南市)、宮原神社の頭屋獅子(有田市)、広八幡の田楽(広川町)、横浜の獅子舞(由良町)、内原王子神社の頭屋獅子(日高町)、寒川祭の獅子舞(日高川町)、高芝の獅子舞(那智勝浦町)、三輪崎の獅子舞(新宮市)を紹介する。
 会期中、アンケートで好きな獅子舞を募集。同施設の公式SNSでランキングを発表している。
 学芸員の蘇理剛志さんは「獅子舞は体力が必要で、地域の若者が中心となって祭りを盛り上げてきた。獅……

福山城天守の防御鉄板を発見 専門家「驚きで大変貴重」

2021/04/06 20:49
 江戸時代前期の福山藩主水野家が築いた福山城(福山市丸之内)の天守北面に張られていたとされる鉄板2枚が見つかったと、福山市が6日発表した。同城は福山空襲(1945年)で焼失し、全国で唯一とされる防御施設は古写真でしか確認できておらず、貴重な発見という。
 市内の男性が、焼失した城の瓦などとともに保管していたものを同市に寄贈した。鉄板は幅7・6センチ、長さ24・3センチ、厚さ1・5~2ミリと、幅11・3センチ、長さ25・4センチ、厚さ2・5~2・8ミリの2枚。穴が数カ所あり、一部でびょうも残る。空襲の熱や経年劣化などで変形が見られる。
 市は明治期の古写真を基に、大きさやびょうの位置などが近似していることなどから、同城に張られていたものと判断した。今後、鉄の成分分析を行い産地や製造年代の特定を目指す。
 福山城は北側に堀がない構造上、敵に攻められやすかったことから天守に鉄板を張ったとされる。水野家の断絶後、城の受け取りに訪れた岡山藩家臣がまとめた古文書(1698年)に、福山城の北面は鉄で覆われ、ほかの三方は白亜だったとの記録が残ることなどから、鉄板は水野藩政から続いたとみられている。
 日本城郭協会の小和田哲男理事長は「福山城の鉄板張りは、大砲の射程距離がのびた江戸期に対応した象徴的な城だ。一部とはいえ鉄板が残っていたのは驚きで大変貴重だ。……

インスタで話題の目玉焼きアート! ほっこり笑って免疫力アップ?! マオ・ペカソ・ダイチこと大地真央の「#目玉焼きオリ…

2021/04/06 18:47
インスタで話題の目玉焼きアート! ほっこり笑って免疫力アップ?! マオ・ペカソ・ダイチこと大地真央の「#目玉焼きオリジナルアート展」大阪で開催決定!:時事ドットコム  時事通信

「羽柴」と「豊臣」 秀吉が家臣にあてた書状2点発見:イザ!

2021/04/06 18:42
 安土桃山時代に豊臣秀吉が但馬領主の流れをくむ家臣に宛てた書状2点が兵庫県たつの市新宮町の旧家から見つかり、同市龍野歴史文化資料館が6日発表した。2点は、覇権を確立しつつあった「羽柴」時代と天下人に上り詰めた「豊臣」時代に、それぞれ同じ人物に宛てた書状。天下統一を進めていく秀吉の一側面がうかがえる貴重な史料という。
 見つかったのは、天正11(1583)年8月1日付の領知宛行(あてがい)状と文禄3(1594)年10月17日付の朱印状。いずれも、但馬地方の領主だった垣(かき)屋(や)氏の分家筋に当たる、垣屋孫(まご)市(いち)という家臣に宛てて書かれた。
 領知宛行状には、羽柴秀吉が摂州菟原(うばら)郡(今の神戸市南東部)の森村200石を領地として孫市に与えることが記されている。
 また朱印状は、豊臣秀吉が菟原郡の本庄村200石について、検地をおこなった上で孫市に与えると書かれていた。
 同館が平成30年秋、江戸時代の龍野藩主・脇坂家の家臣だった旧家を調査し、家臣と婚姻関係にあった垣屋氏に関する文書が大量に見つかった。竹本敬市・元姫路大特別特任教授(古文書学)が整理・分析し、秀吉に詳しい県立歴史博物館の前田徹学芸員が2点を秀吉の書状と確認した。

古文書から村を読み解く/滋賀(BBCびわ湖放送)

2021/04/06 18:36
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「羽柴」「豊臣」…秀吉が家臣にあてた書状2点発見 兵庫・たつの市

2021/04/06 18:34
 安土桃山時代に豊臣秀吉が但馬領主の流れをくむ家臣に宛てた書状2点が兵庫県たつの市新宮町の旧家から見つかり、同市龍野歴史文化資料館が6日発表した。2点は、覇権を確立しつつあった「羽柴」時代と天下人に上り詰めた「豊臣」時代に、それぞれ同じ人物に宛てた書状。天下統一を進めていく秀吉の一側面がうかがえる貴重な史料という。
 見つかったのは、天正11(1583)年8月1日付の領知宛行(あてがい)状と文禄3(1594)年10月17日付の朱印状。いずれも、但馬地方の領主だった垣屋(かきや)氏の分家筋に当たる、垣屋孫市(まごいち)という家臣に宛てて書かれた。
 領知宛行状には、羽柴秀吉が摂州菟原(うばら)郡(今の神戸市南東部)の森村200石を領地として孫市に与えることが記されている。
 また朱印状は、豊臣秀吉が菟原郡の本庄村200石について、検地をおこなった上で孫市に与えると書かれていた。
 同館が平成30年秋、江戸時代の龍野藩主・脇坂家の家臣だった旧家を調査し、家臣と婚姻関係にあった垣屋氏に関する文書が大量に見つかった。竹本敬市・元姫路大特別特任教授(古文書学)が整理・分析し、秀吉に詳しい県立歴史博物館の前田徹学芸員が2点を秀吉の書状と確認した。
 天正11年頃の秀吉は羽柴姓。「賤ケ岳の戦い」で柴田勝家を破り、大坂城を築くなど織田信長の後継者と……

7千年前の沖縄にブタ多数 国内最古、中国大陸から?

2021/04/06 18:05
 沖縄本島に7千年以上前からブタが多数存在していたことを、名古屋大と沖縄県立埋蔵文化財センターが6日までに突き止めた。縄文時代の野国貝塚(同県嘉手納町)から出土したイノシシとされる骨の形を分析した結果、大部分が家畜化したブタだったと判明。年代測定では、国内でも最古のブタの骨とみられることも分かった。
 出土したブタは中国大陸から持ち込まれたと考えられ、名古屋大の新美倫子准教授(動物考古学)は「交流があまりないとされてきた縄文時代の中国大陸と日本列島の関係について、再検討する必要がある」と話している。
 野国貝塚ではこれまで、661頭分の骨が見つかっている。