続 刀剣乱舞-花丸- 三日月宗近がビッグな“もちぷち…|紅白のヒガンバナ 眺望に彩り 西海・長尾城跡で見ごろ|警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識 房総半島を襲…|他

Contents

続『刀剣乱舞-花丸-』三日月宗近がビッグな“もちぷち”になって登場!

2021/09/17 11:18
 本日9月17日より予約受付が開始。本商品は、フリューが運営するホビーECサイト“F:NEX”で予約できます。
商品ページ
はこちら 平安時代の名刀“天下五剣”のひとつで、その中でも最も美しいと評される太刀“三日月宗近(みかづきむねちか)”を、フリューのデフォルメブランドシリーズ“もちぷち”のソファクッションとして商品化。

紅白のヒガンバナ 眺望に彩り 西海・長尾城跡で見ごろ

2021/09/17 11:00
 五島灘や平戸島などを望む長崎県西海市西海町中浦北郷の長尾城跡で、赤や白のヒガンバナが見ごろを迎えている。例年より1週間ほど早く、20日ごろまで楽しめそう。 長尾城跡は室町時代の山城跡で標高約180 ...

【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】房総半島を襲った未知の大津波 三重点で起きた大地震が原因か

2021/09/17 11:00
 いままで首都圏を襲ってきた房総沖の大地震の歴史は、房総半島の海岸段丘の隆起から分かっていると思われていた。海岸段丘が大地震のたびに飛び上がって土地が増えていったからである。
 大きな地震ほど段丘の面積が大きい。具体的には1923年の関東地震(マグニチュード=M=7・9)、その前は1673年の元禄関東地震(Mは推定8・2)。その前は約2900~3000年前、約4400~5000年前、約6200~7000年前。地震はいずれもフィリピン海プレートが首都圏の下に潜り込むことによって起きるものだと考えられてきた。
 海岸段丘からはその間には大きな地震はなかったように読みとれる。だが繰り返し起きる海溝型地震なのに間隔があいていたのは不思議だった。
 海岸段丘の隆起は、房総半島南西部の館山(たてやま)でも、南東部の千倉(ちくら)でも同じように見られたから、首都圏を襲ってきた房総沖の大地震に一般的なものと考えられていた。
 しかし、同じ房総半島でも付け根の東側、九十九里浜(くじゅうくりはま)ではこのような海岸段丘は見られない。
 そこで海岸近くの陸上約140カ所を掘ってみたらリストにはない大地震が見つかった。海の砂が3キロメートル以上内陸まで上がっているから大きな津波とそれを起こした大地震があったのに違いない。

調布・神代植物公園で白と紫の「お化けススキ」 可憐な冬桜も開花(みんなの経済新聞ネットワーク)

2021/09/17 10:30
調布・神代植物公園で白と紫の「お化けススキ」 可憐な冬桜も開花(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

河北春秋(9/17):竹を燃やすと中の空気がパーンとはぜる。昔…

2021/09/17 10:03
河北春秋(9/17):竹を燃やすと中の空気がパーンとはぜる。昔…2021年09月17日 10:03 竹を燃やすと中の空気がパーンとはぜる。昔、中国で元日に青竹をあぶって、その破裂音によって山の中にすむという悪鬼を追い払った。爆竹の由来だ。今の中国でも正月には各地で派手に火薬の爆竹を鳴らす▼北朝鮮がミサイルを飛ばすたびに、子どもの爆竹遊びをつい連想してしまう。周辺国にとっては危険極まる許せない蛮行で危機感が募る。同時に、かの国のリーダーの姿を思い浮かべながら、あきれ果てる気持ちもまた強まる▼北朝鮮が日本海に向けて弾道ミサイル2発を発射した。着弾場所を巡る報道が交錯したが、日本の排他的経済水域(EEZ)の端っこに落ちたらしい。米国をはじめとする国際社会の反発を考え、ためらいつつ、恐る恐る微妙な場所を狙ったかのよう▼新型コロナ感染症のパンデミック(世界的大流行)に、ほとんどの国は無縁ではない。ところが北朝鮮は「感染者は1人もいない」と豪語している。国境封鎖の成果だそうだが、封鎖によって経済が悪化し、食べ物にも事欠くありさまだ▼江戸時代のことわざに「にんじん飲んで首くくる」。高価な朝鮮ニンジンを飲んで病気は治ったが、分不相応な出費の結末は…。国の財政を傾けてまで、各種兵器の開発に血道を上げるかの国に、この古めかしい……

鞆鍛冶の歴史語る刀剣寄贈 600年前に制作か 広島・福山の資料館

2021/09/17 10:00
 福山市鞆(とも)の浦歴史民俗資料館(広島県福山市鞆町後地)は、約600年前の室町時代の鞆地域で作られたとみられる刀剣(脇指〈わきざし〉)の寄贈を受け、15日に報道関係者向けに公開した。銘に「鞆津」と刻まれている。「津」とは港のことで、資料館は「鞆津という地名の銘を刻んだのは初めて目にする。港町で培われた鞆鍛冶(ともかじ)の歴史を知るうえで極めて貴重」としている。
 資料館によると、鞆は古くから港町として栄え、近世、近代には、いかりや船釘の生産地だったことで知られる。しかし、中世の刀鍛冶については、刀剣数点が紹介されているのにとどまるという。
 寄贈された脇指は長さ39・8センチ、反り0・9センチ。銘は「備後鞆津薮下 アサ三(ぞう)」。広島県銃砲刀剣類登録審査委員の石岡清秀さん(67)によると、薮下とは刀工集団がいた場所を示し、アサ三は刀工の名前とみられる。「制作は室町時代で、約600年前とみることができる。地鉄(じがね)も非常にすばらしい。備後刀の特徴がよく表れている」と評した。
 資料館が、鞆鍛冶をテーマにした特別展に向けて、刀剣類の情報を集めたところ、この脇指を所有していた福山市の森岡正男さん(85)が寄贈したいと申し出た。森岡さんは古武道と刀剣収集が趣味で、「長年、地元ゆかりの刀剣ということで、よくわからずに所蔵していた。鞆の歴史の解明……

江戸時代から来た江戸美人ちゃんとのルームシェア生活を描いた1コママンガ『ウチの江戸美人』が書籍化!

2021/09/17 09:26
『ウチの江戸美人』は、江戸時代から来た女性「江戸美人ちゃん」と現代の女性「現代女子ちゃん」のルームシェア生活を描いた、ポーラ文化研究所WEBサイト連載の1コママンガで、本書は『ウチの江戸美人』の書籍版となります。
著者は、イラストレーターのいずみ朔庵さん。着物や和柄など日本文化に関するものや、歴史、時代物を得意とし、特に江戸文化に造詣がく、企画、執筆、江戸解説などジャンルを超えて活躍してらっしゃいます。
本書にはWEBに連載した第1話~第53話に加え、各話のテーマに沿った解説や2人の日常を描いた4コママンガをいずみ朔庵氏が新たに描き下ろし。
異なる時代に生まれつつも、互いの価値観や好みを否定することなく、時に共有しながらおしゃれや趣味を楽しむ江戸美人ちゃんと現代女子ちゃんの姿を通じて、江戸と現代のよそおいや美意識の違いが身近に感じられる一冊となっています。
書籍版『ウチの江戸美人』は2021年9月27日から、一般書店およびAmazonほかネット書店で発売されます。
書籍版『ウチの江戸美人』
なおポーラ文化研究所では、同研究所が所蔵する江戸時代以前の古典籍、浮世絵を、高精細画像で無料オンライン公開していますので、こちらもぜひチェックしてみてください。
これは興味深い!化粧文化に関する江戸時代を中心とした古典籍・浮世絵が無料……

神戸・清盛隊が結成10周年 清盛隊の思いテーマの新曲発表も(みんなの経済新聞ネットワーク)

2021/09/17 09:00
神戸・清盛隊が結成10周年 清盛隊の思いテーマの新曲発表も(みんなの経済新聞ネットワーク)  Yahoo!ニュース

ニワトリは神聖な鳥。江戸時代は鶏肉を食べなかった理由と当時の鳥肉料理を紹介

2021/09/17 08:46
美味しそうな鶏もも肉
多くの日本人が「鳥肉」と聞いたらすぐに思い浮かぶであろうニワトリですが、実は江戸時代後期まで、あまり食べられていなかったそうです。
鳥の肉を食べることがタブーでなかったのは「二本足(後ろ足)で直立するから」とウサギを一羽、二羽と数えて(食べてもよい)鳥と見なしたことからもわかるのに、どうして日本人はニワトリをあまり食べなかったのでしょうか。
今回はその理由と、代わりに食べられていた鳥肉料理について紹介したいと思います。
■ニワトリは神聖な鳥だった
実は現代でもそうですが、ニワトリはお伊勢様、つまり天照大御神(アマテラスオオミカミ)の神使(しんし、みさき)です。

<記者席>謎のエリア

2021/09/17 08:30
 「謎のエリア」−。佐賀県議会一般質問で、国指定特別史跡の吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の現状をただした議員は、今なお残る遺跡の未調査区域をこう表現した。「発掘すれば新たな発見があり、より弥生時代の実像に迫 ...

秋季特別展「きものと刃」

2021/09/17 08:00
本展は、当館所蔵の刀、脇差、などの「刀剣類」と、大正時代を中心とした田中本家の人々の「衣裳」のコラボレーション企画展です。
近年、幕末~大正時代が舞台のアニメ・映画作品が人気です。人々の興味は、ストーリーや登場人物だけではなく、刀や衣裳、時代背景にも関心が集まっています。
江戸時代中期の豪商である田中本家は、須坂藩より名字帯刀を許され、南北朝・室町・江戸時代の刀剣が代々伝えられてきました。そして、田中本家の人々が生活のなかで着用した衣裳も良好な状態で残されており、祝着、振袖など華やかなものから、陣羽織、火事装束など多彩なジャンルのものが伝えられています。
刀や着物は、物語の中では共存していても、美術品としてはジャンルが違うため、それぞれ単体の展覧会になることが一般的です。この展覧会では、刀剣類と衣裳をコラボレーションさせることで、当時の雰囲気や作品世界を楽しむ手がかりになればと思い企画しました。
人の想いを繋いで、当館が今日まで託されてきた着物と刀が、皆様の想像力を刺激できれば幸いです。
秋季特別展「きものと刃」
期間:2021年9月11日(土)~12月12日(日)
会場:田中本家博物館
開館時間: 平日(水~金) 11時~15時半
      土・日・祝   10時~16時
入館料: 大人1000円 ……

細川忠興が記した書物の裏に石田三成らの自筆書状

2021/09/17 06:27
今回、調査されたのは細川忠興が能に関して記し、その後、巻物にして保管されていた書物です。
調査を行った東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授によりますと、一部で裏側に書かれた文字が透けて見える部分があり、何かの裏紙を再利用したものと思われていましたが、詳しいことはわかっていませんでした。
解体すると15点ほどの書状や記録の裏紙が使われていました。
この中には、石田三成と古田織部、それに前田玄以といった一緒に豊臣秀吉に仕えていた武将から忠興に送られた書状が5点、忠興が自分で記した書状の下書きが3点、闘茶と呼ばれるお茶を飲んでその銘柄を当てる当時の遊びを行った際の記録が3点などでした。
石田三成の書状は、前段部分であいさつとして忠興が参加した茶会の感想を尋ねたあと、秀吉からもらった金の使いみちについて記しています。
三成の自筆の文字は黒くはっきりと記されていて、後段にいくにつれ書きたいことを詰め込むように行の間隔が狭くなっています。
また、古田織部からの書状では、忠興に対して「刀を貸してほしい」という趣旨に続いて、「あまり大きいものは困る」と細かい要望を記しています。
専門家はこの時期に行われた後陽成天皇の即位式に持って行くための刀を借りる用件だったと考えられるとしています。
古田織部からの書状は合わせて3点あり、いずれも……

市川「下総国分尼寺跡」南側 四面庇の柱穴跡発見 格の高い建物か /千葉

2021/09/17 06:07
 市川市国分の国指定史跡「下総国分尼寺(にじ)跡」から南に約70メートルの位置に、奈良・平安時代のものと見られる建物跡が見つかった。中心の部屋「身舎(もや)」の周囲にも部屋がある「四面庇(ひさし)建物」の形式で、格の高い建物の可能性があるという。国分尼寺に付随する建物とみられ、発掘調査をした同市教委はどのような性格の建物かなど調査を進める。【小林多美子】
 国分尼寺は奈良時代の741年に聖武天皇が国家鎮護のため、国分寺とともに諸国に建立を命じた。県北部を中心に茨城県などの一部も治めた「下総国」の国府は現在の同市国府台に置かれ、両寺はその近くに建立された。

日本の海水浴は最初、「医療目的」で行われた…大磯が発祥の地

2021/09/17 05:11
医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎ 【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー海水を利用した治療法日本の海水浴のルーツは、海水を利用した治療法、「潮湯治(しおとうじ)」にあります。現代のような海水浴が普及するずっと前から、海水に体を浸して病気を治す潮湯治が行われていました。平安時代に、すでに潮湯治を詠んだとみられる歌が残っていますから、かなり古くから行われていたのでしょう。潮湯治は江戸時代にも盛んだったようで、多くの人が海岸に行って、海水に浸かって病気を治していました。
 
潮湯治は皮膚病のほか、神経痛や老廃物の除去にも効果があり、今でいうデトックス効果があったようです。つまり、潮湯治には温泉と同じような効果があったのですが、温泉と違って海辺の近くに住んでいれば、いつでも潮湯治が可能でした。そのため、潮湯治は各地で行われていたようです。このように、海水に体を浸す行為は、一見すると海水浴に見えなくもありませんが、現代でいう海水浴とは、まったく違った別物と言っていいでしょう。
日本初の海水浴場日本初の海水浴場は、1885年に医療を目的として、神奈川県の大磯に開設されました。開設したのは、医師で政治家の松本順(まつもとじゅん)でした。松本順は、オランダの医学書で海水浴の治療効果を知り、長崎の蘭医……

江戸時代のスイーツ男子「徳川家茂」には30本も虫歯があった

2021/09/17 05:09
医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎ 【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー徳川家茂とスイーツ家茂は、とにかく甘いものが好きだったようで、家茂に関する資料には、いろんなスイーツの名前が出てきます。子供の頃に好きだったのは、渋柿の渋を樽酒で抜いた、甘い樽柿でした。
 
家茂が15歳の頃、桜田門外の変が起こりましたが、その際家茂は、水戸藩士らに襲撃された井伊直弼に、自分が好きな氷砂糖を送ったと言われています。しかし、すでに井伊直弼は首を討たれて死んでいたので、この氷砂糖を食べることはありませんでした。家茂がまだ少年ということもあり、直弼は急病のため、登城できないと伝えられていたので、見舞いの品として氷砂糖を送ったのでしょう。
 
家茂は長州征討の準備を進める中、大坂城で体調が急変し、妻の和宮から砂糖が送られ、義母の篤姫からも大小豆が送られましたが、これらを口にすることなくこの世を去りました。
 
幕末という激動の時代に、将軍として務めるのは、かなりのプレッシャーがあったことでしょう。しかも、家茂は父や叔父が早死にしたため、わずか4歳で紀伊藩主の座に就きました。さらに、13歳という若さで、徳川家の将軍になります。
 
17歳になると、孝明天皇の妹・和宮と結婚するこ……

徳川家康も愛用…日本人が入れ歯に使っていた「驚きの素材」

2021/09/17 05:09
医師限定メルマガ「GGO for Doctor」▶︎▶︎ 【医師限定/参加特典付】1時間で不動産投資の“すべて”がわかるWEBセミナー徳川家康と歯周病歯周病は歯の周りに炎症を起こす病気で、歯と歯茎の間に細菌が増殖することが原因です。歯周病は、放っておくと歯が抜け落ちる厄介な病気で、最終的には家康も、木製の入れ歯に頼らざるを得なかったのでしょう。
 
人はストレスを感じると、「ノルアドレナリン」というホルモン物質が分泌されます。ノルアドレナリンは、集中力を維持するのに必要なホルモンですが、過度に分泌されると、歯周病菌の発現を促す作用があります。そのため、ストレスが多いと歯周病になりやすいのですが、おそらく家康もそうだったのでしょう。
 
ちなみに、歯周病は口の中だけの病気ではなく、さまざま全身疾患と関連していることがわかっています。たとえば、歯周病菌が原因で血管に沈殿物が溜まることによって、心疾患や脳血管障害などにつながる可能性が指摘されています。
 
また、歯周病菌は糖尿病を発症しやすく、肺炎や骨粗しょう症なども起きやすくなるなど、さまざまな弊害があります。家康は人一倍健康に関心があり、自分で薬草を煎じて飲んでいました。家康は自分亡き後に、徳川幕府の転覆を企む輩がいることを憂い、できるだけ長生きしようとしていました。つまり、可……

<美のありか> 「袋法師絵巻(部分)」(サントリー美術館蔵) ばかばかしさに人間味

2021/09/17 05:00
 一見、優雅な王朝絵巻。まず目を引くのは、女主人らしき高貴な女性だ。こちらを向いた顔には、みだれ髪がはらりと落ちかかる。屏風(びょうぶ)で囲われた、一段高い畳に伏せっている。女性の背後には、紅葉模様の赤い大きな袋。視線を下げると…。「え?」と、思わず声が出た。誰、これ。

「糠塚」も若狭国首長の墓か 脇袋古墳群、花園大研究室が調査発表:中日新聞Web

2021/09/17 05:00
 国指定史跡の古墳を三基抱える若狭町の脇袋古墳群を調査している花園大考古学研究室は、詳細が不明だった糠塚(ぬかづか)古墳が全長五十メートル超の前方後円墳と推定されると発表した。大きさや出土埴輪(はにわ)から他の三基と同じ古代若狭国の首長の墓である可能性が高い。古墳の周濠(しゅうごう)には高低差が確認され、水を調整する構造があったとみられる。研究チーム代表の高橋克寿教授(59)は「これほど狭い範囲に代々の首長の墓が集まるのは珍しい。優れた土木技術があったと考えられる」と説明する。(林侑太郎)...

歴史豊か 明日香駆けて

2021/09/17 05:00
読売新聞社の運営するサイト 発言小町「発言小町」は、読売新聞が運営する女性向け掲示板で、女性のホンネが分かる「ネット版井戸端会議」の場です。
ヨミドクターyomiDr.(ヨミドクター)は、読売新聞の医療・介護・健康情報サイトです。
OTEKOMACHI「OTEKOMACHI(大手小町)」は読売新聞が運営する、働く女性を応援するサイトです。
idea marketidea market(アイデア マーケット)」は、読売新聞が運営するクラウドファンディングのサイトです。
美術展ナビ読売新聞が運営する美術館・博物館情報の総合ポータルページです。読売新聞主催の展覧会の他、全国美術館の情報を紹介します。
紡ぐプロジェクト文化庁、宮内庁、読売新聞社で行う「紡ぐプロジェクト」公式サイト。日本美術と伝統芸能など日本文化の魅力を伝えます。
読売調査研究機構東京、北海道、東北、中部、北陸を拠点に、著名な講師を招いた講演会や対談、読売新聞記者によるセミナーなどを開催しています。
……

281歳まで生きたとされる「延命長寿の神様」が、あの桃太郎?

2021/09/17 02:50
 日本人なら誰もが知る桃太郎。鬼退治をした桃太郎のモデルとなったのがキビツヒコ(吉備津彦)です。281歳まで生きたとされる延命長寿の神様で、第7代・孝霊(こうれい)天皇の皇子でした。四道将軍と呼ばれる4人の将軍のひとりとして、兵庫県南部から山口県までを征服したとされます。その際、部下3人と悪党を退治した逸話があるのだとか。
 キビツヒコを祭る神社は、岡山市の吉備津神社と吉備津彦神社が代表です。こちらに参拝した知人の経営者は事業の調子が回復しました。再起を図るのに良い神社ですね。
 キビツヒコを祖神とする吉備氏は、古代日本で葛城氏の次に強力な氏族。4世紀から5世紀初め、ヤマト王権に対抗するほど強大な勢力があり、吉備政権とも吉備王国とも呼ばれるほどでした。キビツヒコは「山陽地方最強の神様」なのです。
 日本最大の前方後円墳で有名な第16代・仁徳(にんとく)天皇は岡山を訪れたとき、キビツヒコの業績を称えて吉備津神社を創建しました。将軍から神に昇格(?)したわけですね。この吉備津神社の拝殿・本殿は、国宝指定される独自の建築様式で、室町幕府の第3代将軍・足利義満により、約25年かけて建設されました。
 個人的に印象に残っているのは、鳴釜神事(なるかましんじ)で、米を炊く御釜の鳴り具合によって吉凶・禍福を占う謎の神事ですが、その神事を執り行う建物から……