長谷部まつりまで1カ月 告知のポスター完成|日本人 鎌倉時代が最も短命…15~34歳で死亡5割(…|日本橋浜町のまちづくり “ 手しごと と 緑 のみえ…|他

長谷部まつりまで1カ月 告知のポスター完成

2019/06/14 11:32
 毎年人気のある武者行列で主役・信連公を初めて務める江戸太神楽(だいかぐら)曲芸師の翁家勝丸(おきなやかつまる)さん(44)の写真を右下に置いたほか、背景色に赤と黒を使い、注目を集めやすいデザインを施した。B1判を五十枚、B2判を三百枚印刷し、主に県内の公共施設や道の駅、事業所などに掲示する。

日本人、鎌倉時代が最も短命…15~34歳で死亡5割(読売新聞オンライン)

2019/06/14 11:09
 中世の日本人は、他の時代に比べて短命だった可能性が高いことが、聖マリアンナ医科大の長岡朋人准教授(形質人類学)らのグループの研究でわかった。短命のピークは、中世前期の鎌倉時代にあたる12~14世紀頃とみられ、弥生時代や戦国時代に比べても短命なことがわかった。
 長岡准教授らは、弥生時代から江戸時代までの各地の遺跡から出土した人骨810体を調べ、骨盤の関節にある「腸骨耳状面」と呼ばれる部分を分析した。腸骨耳状面は、若いうちは滑らかだが、加齢とともにトゲ状の突起や穴が増える特徴があるため、死亡年齢を推定する有力な根拠になるという。分析には統計的手法も使い、子供は除き、死者の年齢を「若年」(15~34歳)、「中年」(35~54歳)、「老年」(55歳以上)に分類して構成を調べた。
 その結果、弥生時代(紀元前5~後3世紀)は、「若年」は2割程度で「中年」が3割程度、江戸時代前期(17世紀)は「若年」が3割程度、「中年」も3割程度だった。
 これに対して、中世前期(12~14世紀)は、「若年」が5割程度を占め、「中年」が3割程度で、約8割もの人が「老年」を迎えることなく死亡していたことがわかった。
 今回用いた中世人骨は、由比ガ浜中世集団墓地遺跡など、人骨が大量出土した神奈川県鎌倉市内の遺跡に限られるが、長岡准教授は、「男女比や年齢構成に大きな偏……

日本橋浜町のまちづくり。“「手しごと」と「緑」のみえるまち”をコンセプトに、ユニークな店と地域拠点が増加中

2019/06/14 11:05
東京都中央区には、町名に「日本橋」と付く町が21ある。そのうち「日本橋浜町(はまちょう/以下、浜町)」は、日本橋地区の端っこに当たる、隅田川に面した町だ。区内最大の浜町公園を擁し、都心の割に緑も多い。
細かな町割りが残り、下町情緒が漂う一方で、「伝統に凝り固まることなく、外から新しく入ってきた人も、おおらかに受け入れてくれる土地柄です」と、安田不動産株式会社の平田吉史さんは言う。安田不動産は古くから、この浜町のまちづくりに携わってきた。
同社HPの解説によれば、浜町は、徳川家康が江戸幕府を開いた1603年に、神田山(現在の駿河台)を切り崩し、埋め立ててつくった陸地の一部という。江戸時代には武家地と町地が混在するエリアだった。明治に入って浜町が旧日本橋区に組み入れられ、「日本橋浜町」となってからも、長く大名屋敷や花街が残っていたそうだ。
旧安田財閥の創始者・安田善次郎は、この浜町に注目し、小口の土地を少しずつ手に入れることから始めて、ついには島津家や細川家の屋敷があった広大な土地を取得した。安田不動産はその旧安田財閥の流れを汲む会社で、浜町一帯の土地を引き継いでいる。浜町にとっては「まちの大家さん」のような不動産会社だ。
浜町三丁目にある大型複合ビル「日本橋浜町Fタワー」「日本橋安田スカイゲート」「トルナーレ日本橋浜町」は、いずれも安田不動……

壮大な眺め堪能

2019/06/14 11:04
 堺市の公式キャラクターで百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録応援キャラクターのハニワ課長が12日、王寺町畠田の明神山頂に現れ、同町マスコットの雪丸とともに同古墳群の眺望を楽しんだ。
 ハニワ課長は自身を堺市の職員と思い込み、同古墳群のPR活動をしている。…

あやめまつり:「奥の細道330年」イベントも あすから多賀城で /宮城

2019/06/14 11:04
 史都の初夏を彩る多賀城市の「あやめまつり」が15~29日、国特別史跡・多賀城跡のあやめ園(同市市川)で開かれる。31回目の今年は、奈良市との友好都市締結10周年や、松尾芭蕉が多賀城も訪れた「奥の細道」紀行330年に当たり、記念のイベントを盛り込んだ。
 史跡東側の湿地に広がる2・1ヘクタールの園内では、ハナショウブを中心にアヤメ、カキツバタを加えた約800種300万本のアヤメ類が、紫、白、黄、ピンクなどのあでやかな花を咲かせ始め、祭りの

京王プラザホテル 第39回 有田・伊万里やきもの夏まつり ~ 伝統の古伊万里と現代有田の調和~ :紀伊民報AGARA

2019/06/14 10:00
日本のやきもの文化の歴史と今に続く伝統を世界に発信
7月1日(月)~8月5日(月) 3階/アートロビーほか 入場無料
[画像1]https://digitalpr.jp/simg/438/33147/600_400_201905311448215cf0c025a552c.JPG
京王プラザホテル(東京:西新宿)は、7月1日(月)から8月5日(月)までホテルロビー等において『第39回 有田・伊万里やきもの夏まつり~伝統の古伊万里と現代有田の調和~』を開催いたします。江戸時代に華開きヨーロッパの王侯貴族を魅了した艶やかさを持つ古伊万里、そして400年の歴史を経て現在も進化を続けている現代有田作品、それぞれの魅力を一堂に展示販売、入場無料でお楽しみいただきます。食空間プロデューサーの丸山洋子さんらよるテーブルコーディネートも展示販売に華を添え、暮らしのなかでのやきものの楽しみ方をご提案するほか、7月25日(木)には、日本陶磁史を専門とする学習院大学教授の荒川正明氏とともに、館内に飾られた古伊万里作品を巡り、それぞれのうつわについての解説を聴いたあと、荒川氏とともに特別ディナーを楽しめるイベントも開催いたします。有田焼のイベントは今年で39回目を迎え、暮らしに彩りを求められるお客様層から長年にわたりご支持をいただいています。京王プラザホテルにご宿泊のお……

辻希美、新考案のヘアアレンジに酷評相次ぐ「弥生時代の人みたい」「ダサい」

2019/06/14 09:55
 タレントの辻希美(31)が11日、公式ブログを更新して話題になっている。 辻といえば先月、自身のYouTubeチャンネルを開設。すでに何本かの料理動画やメイク動画を更新し、ユーチューバーとして順調なスタートを切ったようだ。
 先日のブログ投稿では「今朝は簡単にお弁当にしちゃった!!10分で出来る簡単過ぎるお弁当ですが何故か普通ご飯より喜んで食べてくれる我が子達。そんなお弁当を…クックも狙ってました笑。食べたいねぇ笑。」とつづり、子どもたちのために作ったお弁当を公開。一部ネット上では「上手く作れたでしょ!って言わんばかりに角度変えて何枚もお弁当アップするよね」「いちいちお弁当箱に入れる意味がわからない。ワンプレートでいんじゃね?」などの厳しい声が集まり、注目を浴びたばかり。
 そんな辻がこの日、「出発!!」というタイトルでブログを更新。「最近、楽だし簡単だからお団子ヘアばかりずっとやっていたらたぁくんに『またその髪型??その髪型好きだね』と言われたので。今日はこちらも簡単だけど編み込み2つ団子にしてみたよ笑」とつづり、鏡越しに撮影した自撮り写真を投稿した。
 上から編み込んだ髪の毛を下でお団子のように結んでいるのだが、一部ネット上では「何この髪型?wwwダサい」「弥生時代にタイムスリップしたみたいな髪型だね」などの厳しい声が集まっている。……

「令和」出典序文、公園に銘板 下野の天平の丘に改元機、8月設置

2019/06/14 07:27
 同じ時代の歌が万葉集に収められていることにちなみ、市は歌に出てくる植物を植えた「万葉植物園」を整備。令和の出典となった梅花の歌三十二首の序文「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ…」を書いたとされる大伴旅人の息子で万葉集の編者とされる大伴家持をはじめ、柿本人麻呂、額田王ら代表的な歌人や、防人(さきもり)の歌を記した石碑、銘板も二十カ所以上に設置してきた。

寿司、天ぷら、かまぼこ、ペペロンチーノ……淡路島ハモ料理はこんなにすごい!(南文枝)

2019/06/14 07:00
 京都の祇園祭や大阪の天神祭には欠かせない食材のハモ。ハモ料理といえば、 “落とし”(湯引き)が有名ですが、兵庫県の淡路島では、タマネギと煮込み、ほろほろの食感を楽しむ郷土料理「はもすき」が人気です。2019年6月10日、神戸市内のホテルで行われた「淡路島はもキャンペーン」で、その魅力を探ってきました。
タマネギの甘みが移っただし汁で炊いたハモは絶品 温めた割り下に、大きめに切った淡路島特産のタマネギとハモのあらをイン。タマネギの甘みが割り下に移ったころ合いを見て、骨切りされたハモの身を入れます。しばらくして、ぱっとハモの花が咲くと食べごろです。甘いだし汁が絡んだ身が、口の中でほろほろととろけます。なんとも上品で奥深い「はもすき」の味わいです。
「はもすき」のだいご味はこれにとどまりません。柔らかいハモの子(卵巣)や肝の味わいも絶品です。仕上げに島特産の手延べそうめんを入れ、最後のだしまで食べきるのが“淡路流”。だし汁のうま味を吸っためんはコクがあります。筆者は以前、締めにハモの子(卵巣)を入れ、卵でとじた「ハモの子丼」を食べたことがありますが、そちらもつぶつぶ食感のハモの子とご飯がよく合い、なかなかのお味でした。
「はもすき」の仕上げは島特産の手延べそうめん。ハモのうま味を吸った麺がおいしい江戸時代の書物には「淡路島の鱧」の表記が 温暖な海を……

【東京 今さら聞けない大人の町のお約束】 ~都会の旧町名を楽しむ町歩き(新宿編)~

2019/06/14 07:00
今回の大人の町のお約束は<都会に残る旧町名を楽しむ町歩き>。その舞台は巨大ターミナル駅がある新宿です。
四谷区、牛込区、淀橋区が合併して生まれ新宿区から多くの地名が消えたのは昭和40年。「○番○号」という「住居表示」のためでしたが、住民の反対などもあり、今も多くの旧町名が残っています。(荒木町、愛住町、鷹匠町、須賀町、矢来町、弁天町、若宮町、箪笥町、横寺町、山吹町、市谷船河原町、水道町、改代町…等々)
振り出しは駅の目の前、外国人観光客で大賑わいの「思い出横丁」。現在の西新宿一丁目ですが、旧町名は「角筈」でした。浅田次郎さんの短編小説「角筈にて」のタイトルにもなった由緒ある地名で、歌舞伎町あたりも含まれました。かつて角筈の先は郊外(というか農村)だったそうですが、その角筈が東洋一の歓楽街に発展するなんて、ちょっと不思議な気持ちになります。
思い出横丁を背中に交差点を渡り、少し歩くと「柏木公園(西新宿7-14)」。そう、次なる旧町名は公園名や区立小学校の行名にも残されている「柏木」です。柏木は西新宿と北新宿にまたがるエリアで、青梅街道沿いは早くから栄えたそうです。
そんな歴史もあってか、界隈には「柏木」の名を冠したビルやマンションがいくつも点在。中には<柏木MURA>と書かれたコンクリート打ちっぱなしの物件もありました。住民の方たちの「柏木……

江戸期改元の歴史触れて あきる野で企画展

2019/06/14 05:00
貨幣や米の値段一覧表
 江戸時代の元号の変遷をたどる企画展「江戸時代の郷土の古文書などに残る元号」が、あきる野市の五日市郷土館で開催されている。
 江戸時代の元号は慶長(1596~1615年)から慶応(1865~68年)まで、新天皇の即位のほかにも災害や飢饉(ききん)などの度に改められ、その数は36にのぼる。
 企画展では、当時から今のあきる野市にあった大悲願寺宛てに、初代仙台藩主の伊達政宗が元和9年(1623年)に出した書簡の写真パネルなど約50点を展示。貨幣や元号が記された食器類なども見ることができる。「天明後米一俵価格表」と題した一覧表には、天明元年(1781年)から昭和57年(1982年)までの米1俵の値段の変遷が1年ごとに記されている。
 同館は「令和を迎えたことを機に、過去の改元の歴史に触れてみては」としている。
 7月18日まで。入館無料。問い合わせは同館(042・596・4069)へ。

宮崎)都城の城跡たどる 市教委が報告書「新版」

2019/06/14 03:00
 宮崎県都城市教育委員会は、中世(鎌倉時代~戦国時代ごろ)の市内の城跡84カ所を紹介した報告書「【新版】都城市の中世城館」(A4判、79ページ)を出した。500部刊行し、2800円(税込み)で一般に販売している。
 1市4町の合併(2006年)以前、市教委は旧都城市内だけの中世城館を掲載した報告書を刊行。残部がなくなり、06年ごろに販売を中止したという。
 今回の新版は、旧市内の城跡に加え、高城、高崎、山田、山之口の旧4町内の城跡も、旧市町ごとに分けて紹介してある。
 市名の由来となった都城(鶴丸…

奈良)黒田大塚古墳 時代と共に墳丘改変

2019/06/14 03:00
 弥生時代の環濠(かんごう)集落跡の唐古・鍵遺跡で有名な奈良県田原本町だが、古墳時代の遺跡や古墳も残っている。町の西側にある黒田大塚古墳は6世紀初めに築かれた前方後円墳で、公園として整備されている。
 黒田大塚古墳は近鉄田原本線の黒田駅から徒歩3分。「最寄り駅からここまで近い古墳も珍しいですね」と話すのが、今回の案内人の田原本町教育委員会文化財保存課の清水琢哉さん(48)だ。
 古墳のくびれ部の階段から墳丘に登ってみた。高さは7~8メートルだが、周囲に高い建物が少ないので見晴らしが良い。東側は天理や桜井の山並み、西側には二上山が見えた。晴れていると、春日山や生駒山まで見えるという。
 北側に周濠(しゅうごう)をた…

平安時代から重宝されてた赤紫蘇の脅威のパワー!酢とのコラボで健康やダイエットにも最適なんです

2019/06/14 02:40
赤紫蘇
赤紫蘇の効能って? 日本でも平安時代から栽培されて重宝されてきた紫蘇ですが、それは香りがよかったから、という理由だけではなさそうです。では、昔の人は紫蘇の何がよくて大切に育ててきたのでしょう。
それは、おそらく、昔から人々が、赤紫蘇のもつすごい効能に気が付いていたからだと思われます。
もともと紫蘇は、ヒマラヤやビルマなどが原産地で、日本には、中国を経由して入ってきたと言われています。中国では、食中毒を起こして死にかけていた人々が紫蘇を食べて生き返ったという言い伝えがあって、「紫蘇」という名前の由来はその蘇生力にあると言われています。
実際に紫蘇には、カロテン、ビタミンB群、ビタミンC、カルシウム、鉄分、そしてカリウムが豊富に含まれているだけでなく、ペリルアルデヒド(シソアルデヒド)という成分が含まれています。これは紫蘇の香りの成分で、強い防腐・殺菌作用を持っているので、お弁当シートなどに使われています。
これに加えて赤紫蘇に含まれているロズマリンというポリフェノールは、強力な抗酸化作用を発揮し、さらに、肝臓の解毒機能を促進してくれる成分だ、と考えられています。

柿生文化を読む

2019/06/14 00:00
 早野の小字名に「富士山下」と呼ぶところがあります。これはこの地の上に「富士浅間神社」があったからで、その頂上は「仙元山」とも称する富士塚で、今は雑木に覆われ全く昔の面影はありませんが、標高僅か60m余ながら、大山丹沢連峰・富士山を望む眺望の地で、新編武蔵風土記稿早野村の項には「浅間社、除地一段一畝、村の北にあり」と記され、元禄15年(1702)早野村検地水帳にも「山壱反六畝二歩」とこの富士塚の存在が示されており、当時この地に富士信仰があったことを物語っています。この富士浅間社は、明治の合社令で「子ノ神社」に合祀されますが、現在、富士塚の下に稲荷社があり、その堂内に「富士山」と刻まれた鳥居の額石(年代不明)が納められています。
 霊峰富士山を崇拝する富士信仰は古くは室町時代にあったと言われますが、最も盛んになるのは江戸中期、享保年間(1716〜35)8代将軍吉宗の頃からでした。特に享保の改革や大飢饉は、江戸庶民や農民に社会不安を与えて修験道者を生み、修験者の布教は「六根清浄、六根清浄」と富士浅間社詣での「富士講」となり、これは江戸中心に808講、講中8万人と言われ、降って、天明年間(1781〜88)天保年間(1830〜43)に起こる江戸町民の窮乏や農民不況には世直し的信仰となり、各地に登山成就碑や、富士礼拝の富士塚が築造されていきます。
 従って麻生……

鎌倉文華館 開館記念し企画展 頼朝の書状など展示中

2019/06/14 00:00
 鎌倉の歴史や文化などの新たな発信拠点「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」が6月8日に開館した。それを記念し、境内の出土品や鎌倉文士ゆかりの品などを展覧した企画展「季節展示・夏」が7月15日(月)まで開催されている。
 企画展では、鶴岡八幡宮が所蔵する鎌倉時代の「源頼朝袖判書状」や県指定文化財の「堆黒箱(ついこくばこ)」、江戸時代の「大太刀」、歌人・与謝野晶子が高徳院の鎌倉大仏を歌った掛軸など29点を展示。武士の精神的よりどころだったという同宮の歴史から鎌倉文士に至るまで、展示パネルや映像資料を交えながら紹介している。
市民が保存後押し
 同館は建築家ル・コルビュジエに師事した坂倉準三が設計し、1951年に開館した旧県立近代美術館の本館だった建物を活用したもの。同美術館は16年3月、県と同宮との借地契約の終了に伴い閉館し、建物は解体される予定だった。
 しかし、市民による署名運動を経て、保存が決定。16年11月には文化的価値が高い建物として、県指定重要文化財に指定され、同宮に建物と土地が返還された。
 その後、同宮は鎌倉の歴史・文化を伝える施設として活用することを決定し、安全性を向上させるための耐震工事やエレベーター新設によるバリアフリー化を図ってきた。
 今年4月20日から5月6日まで、プレオープンとして坂倉氏の軌跡を辿る企画展……