経済的な成長だけで 人々の幸福 を計れるのか? 経済…|古代にも和歌という名のTwitterがあった 和…|弥生の食材使い 磯城野高生が創作料理|他

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経済的な成長だけで「人々の幸福」を計れるのか? 経済学者が考える、GDPに反映されない「成長」の存在

2021/12/03 11:00
インターネットの発展で可視化された「格差」白戸翔氏(以下、白戸):ありがとうございました。もう気づけば1時間経ちました。ちょっと次の話題にいきたいと思います。今、社会主義とか計画経済というキーワードも出ましたけど、今は「脱資本主義」「脱成長」というワードがメディアを賑わせています。
この辺に関して、お二人の社会情勢の印象とか、なんでこういった言葉がホットになっているのかなど、お聞きできたらなと思います。大川内さんからお願いします。
大川内直子氏(以下、大川内):はい。これはぜひ山口先生のお話も聞きたいんですけど。やはり日本で経済格差は広がってますし、社会的な分断も注目されるようになってきたなと、普通に生活していて思います。
「上の世代は年金をいっぱいもらうのに自分はもらえない」という不満や世代間の格差があったり、同世代間でも、例えば外資系の金融機関に勤めてる人とエッセンシャルワーカーの人とで賃金が違って、「でも生み出してる社会的な価値はこっちのほうが高い/変わらないのに」という不満もあると思います。
いろんなところで不満があって、かつインターネットが広まって誰がどういう生活してるとか、誰がどういう給料もらってどういう考えだとかが見えやすくなってきたと。
大昔であれば、封建制の社会で生まれついた土地で親から引き継がれた仕事を淡々とこな……

「古代にも和歌という名のTwitterがあった」 和歌とツイートの共通性が話題に(まいどなニュース)

2021/12/03 10:50
「古代にも和歌という名のTwitterがあった」 和歌とツイートの共通性が話題に(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

弥生の食材使い 磯城野高生が創作料理

2021/12/03 10:00
 【奈良】国指定史跡の唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡(田原本町)で確認された弥生時代の食材を使って、県立磯城野高校の生徒らが創作料理を考案した。11月30日に同校で試作があり、12月19日に町内のシンポジウムで発表する。
 唐古・鍵考古学ミュージアム(同町阪手)で開催している企画展「弥生の食卓~唐古・鍵遺跡の食事~」にあわせ、同館側が持ちかけた。同校フードデザイン科シェフコースの3年生の生徒ら19人が、同館学芸員の柴田将幹さんから遺跡で出土した米や雑穀、クルミ、サバ、シジミといった食材の説明を受け、地元の郷土料理なども調べてアイデアを練った。
 試作では、そばの実やシジミを使ったおにぎり、サバや根菜を使ったカレーなど、約20種類の品が並んだ。弥生時代は歯ごたえのある食べ物が多かったと教わり、具材を大きめにしたり、シフォンケーキに黒米を混ぜたりといった工夫も。同コースの池田桜輔さん(18)は「なるべく簡単に作れて、現代の味を意識しました」と話した。
 立ち会った柴田さんは「米粉のシフォンケーキや、黒米のパンに生クリームをはさんだマリトッツォは、型に縛られない発想で驚きました。弥生の食材はあなどれないですね」と、多様なメニューを喜んだ。生徒らは今後、レシピを改良して、19日にある企画展の関連シンポジウムで発表する予定だ。(上田真美)
 企画展……

河北春秋(12/3):「蛇籠(じゃかご)編む」という夏の季語が…

2021/12/03 09:54
河北春秋(12/3):「蛇籠(じゃかご)編む」という夏の季語が…2021年12月03日 09:54 「蛇籠(じゃかご)編む」という夏の季語がある。竹を籠のように編み、大きな石を幾つも詰め込む。籠は直径60センチほどで長さは2~10メートル。形はまるで蛇のよう。水害を防ぐためにかつて川の中や堤防に置いたという▼アフガニスタンで活動し、2年前の12月4日、銃弾に倒れた医師の中村哲さん。生前、用水路の掘削について、こう語っていた。「石材は豊富なので、針金のカゴに石を詰めたものを蛇籠と言いますけれど、これを護岸に使いました」▼NHKのラジオ番組のインタビューをまとめた近著によると、日本の戦国時代から江戸時代にかけて完成した農業土木技術を参考にしたそうだ。蛇籠づくりも自分たちで。そうして乾燥した荒野に現地の人々と辛抱強く用水路を造り続けた▼この8月、イスラム主義組織タリバンの復権で事業は中断したが、現在は事業を再開している。一時しのぎの経済支援よりも自立を助ける地道な活動こそが何よりも大事。中村さんのそんな考えが現地で生きている証しだろう▼水路沿いに柳を植えた。根が蛇籠を包み込むように伸び、蛇籠の針金はさびてなくなる。「(柳は)ちょうど生きた蛇籠のように、この石を抱えて保護するわけですね」。青々と旺盛に成長する柳並木……

健康祈願の「大福梅」づくり 下関・亀山八幡宮

2021/12/03 09:30
 【山口】正月の縁起物「大福梅(おおふくうめ)」づくりが、下関市中之町の亀山八幡宮でピークを迎えている。塩漬けにした梅の実を真夏の天日で干し、ワラを束ねたワラすぼに5個ずつ詰める。平安時代に疫病が広がり、梅茶を振る舞って癒やしたという言い伝えにちなんだものだ。
 年の初めにお湯やお茶に浸して飲むと、一年を健康に過ごせるといわれる。1本600円で、約4千本用意する。(水田道雄)

【彩時記】大掃除 払い清め福を呼ぶ ~師走 12月~

2021/12/03 09:23
150年余り、時代を超えて親しまれている銘菓の誕生には、こんな逸話がある。同社広報担当によると、3代目鶴屋伊兵衛が、御所へ献上するみぞれ羹(かん)の寒天の配合を間違えてしまい、思案のあげく、もち米を加え、青柚子の芳香を添えて進上したところ、ことのほか喜ばれたのが原点だとか。
もち米の名産地、滋賀県産「滋賀羽(は)二重(ぶたえ)糯(もち)」を使用したやわらかな求(ぎゅう)肥(ひ)に、宮崎県産の青柚子と黄柚子をそれぞれジャムにして練り合わせる。仕上げにまぶした、きめ細かな和三盆糖は繊細な舌触りを生む。
豊かな柚子の香りに冬の訪れをかみしめながら、優しい甘みに癒やされる。個包装(100グラム)2個入り1188円。

<BOOK REVIEW>『三好一族――戦国最初の「天下人」』

2021/12/03 09:00
 しかし実際は、応仁の乱が起こってから信長上洛までに約100年が経過している。その間も歴史は紡がれていたわけで、信長が歴史の表舞台で飛躍する以前に「天下人」(全国を統一したという意味ではなく天皇を擁し京都を中心とした畿内の支配権を確立したという意味ではあるが)となった人物がいた。それが本書の主人公格である三好長慶だ。
 まさに応仁の乱前後から一次史料が現れる三好氏の栄枯盛衰を、天下人となった長慶の軌跡を核に解説する本書は、歴史物のエンタメコンテンツでもなかなか取り上げられないテーマに光を当てている。室町幕府や近畿の大名の動向は21世紀に入ってから研究の進展が著しい分野だという。学生時代に勉強した日本史からは得られなかった発見があるかも。(霹)
『三好一族――戦国最初の「天下人」』
天野忠幸 著
中央公論新社 刊 902円(税込)

「家康手植の蜜柑」マーマレードに金賞 静岡市

2021/12/03 08:00
「家康手植の蜜柑」マーマレードに金賞 静岡市  時事通信

江戸時代から続く伝統「たたき網漁」始まる 来年3月まで 福井

2021/12/03 07:49
地元の鳥浜漁協によりますと、初日の水揚げは例年に比べてやや少なかったということです。
三方湖で育つコイやフナは臭みが少ないのが特徴で、今後、水温が下がっていくとさらに脂がのり甘みが強くなるということです。
鳥浜漁協の田辺喜代春組合長は「たくさんの人が三方湖の魚を食べてくれるようになっているので水温が下がってさらに魚がとれるようになることを期待したい」と話していました。
伝統の「たたき網漁」は来年3月まで続きます。

鎌倉時代前後の史跡散策地図制作 富士山観光交流ビューロー

2021/12/03 06:43
鎌倉時代前後の史跡をまとめた歴史散策ガイドマップをPRする職員=富士市内  ガイドマップはA4判。源平合戦の際に源頼朝がよろいを脱いで体を洗ったとされる鎧ケ淵親水公園(富士市原田)、巻き狩りにまつわる「陣馬の滝」(富士宮市猪之頭)「狩宿の下馬桜」(同市狩宿)など頼朝ゆかりの地を紹介。頼朝の家来・工藤祐経への仇(あだ)討ちを果たした曽我兄弟の墓のある曽我寺(富士市久沢)など、日本三大仇討ち「曽我兄弟の仇討ち」にまつわる場所も多数、地図上に落とし込んだ。
 裏面には、全20カ所の写真と簡単な解説文を掲載した。
 3千部を印刷し、両市の観光スポットなどで配布する。担当者は「富士地域は鎌倉前後にゆかりが深い。周遊して歴史に触れてほしい」と話す。

下北方古墳 歴史的な意義や出土品など紹介 宮崎市教委が図録刊行 /宮崎

2021/12/03 06:29
 宮崎市下北方町塚原の下北方古墳群にある5号地下式横穴墓(5世紀半ば)の図録「下北方5号地下式横穴墓が語る古墳時代とみやざき」(A4判98ページ)を市教委が刊行した。非売品で、市内図書館などにある。
 5号地下式横穴墓から出土した金製の耳飾りなどの副葬品479点は、一括して国重要文化財に指定されている…

ぶらり尾道・寺めぐり:地蔵持ち上がれば、願い成就 大山寺 /広島

2021/12/03 06:22
 西国寺山の山裾にあり、尾道市の町並みを一望できる大山寺。境内東端にある地蔵堂は、6体の重軽(おもかる)地蔵が鎮座する。軽く持ち上がれば願いごとが成就し、てこでも動かなければ不首尾に終わるという言い伝えからこう呼ばれる。かつては占い地蔵とも呼ばれ、病気快癒や家内安全、受験合格を願う近郷近在の人々に親しまれている。
 鐘楼は1972年、100年ぶりに復元されたもの。小林和作筆による「諸行無常」の銘がある。

島と心つないで「60年」 音戸大橋開通 5日に記念式典 呉 /広島

2021/12/03 06:22
 平安時代末期に平清盛が切り開いたと伝えられる呉市の海峡「音戸の瀬戸」(幅約90メートル)。本州側と倉橋島に架かる「音戸大橋」が3日、開通から60年を迎える。1961年に瀬戸内海で初めて本州側と離島を結ぶ橋として、当時としては世界に類を見ないらせんの高架橋とともに完成。それまで船で渡るしかなかった音戸の瀬戸を見下ろす生活道として住民に親しまれ、島しょ部の発展にも寄与してきた。5日には“還暦”を祝い、住民らによる式典が開かれる。【池田一生】
 海上部分の主橋りょうは長さ172メートル、幅6・5メートル。1000トン級の船舶航行を維持するため、桁下は23・5メートルだ。島の同市音戸町(旧音戸町)側には、音戸大橋の特徴の一つ、半径24メートルで「2周半」する形の長さ432メートルのらせん高架橋が続く。本州の呉市警固屋側では長さ580メートルの「の」の字形のループ道路とつながる。

連続講座・奈良へ:/13 観音堂改修「今でよかった」 来秋までに落慶予定 聖林寺、倉本住職と語る /奈良

2021/12/03 06:12
 西山厚・帝塚山大客員教授がゲストを招く連続講座「奈良へ」(東アジア仏教文化研究所、奈良市生涯学習財団主催、毎日新聞奈良支局後援)の第13回が11月27日、奈良市立中部公民館で開かれた。奈良時代を代表する仏像である聖林寺(桜井市)の国宝・十一面観音菩薩(ぼさつ)像について、同寺の倉本明佳(みょうか)住職と語った。
 観音像が安置される観音堂(収蔵庫)は1959年に鉄筋コンクリートで造られたが、老朽化したため6月から改修工事が進む。これを受け観音像は2021年6~9月に東京国立博物館の特別展に出陳され、22年2~3月には奈良国立博物館に巡回する。像が県外に出たのは初めてといい、倉本さんは「多くのオファーを断り続けていたが、改修工事を知ってもらうためには大事ではないかと思い切った」と語った。出陳に向けた梱包(こ…

結婚の媒介として仲人の制度はいつ成立し、時が流れるなかで、いかに変容したのか―阪井 裕一郎『仲人の近代 見合い結婚の…

2021/12/03 06:05
結婚の媒介として仲人の制度はいつ成立し、時が流れるなかで、いかに変容したのか―阪井 裕一郎『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』張 競による書評(ALL REVIEWS) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

伊勢西国巡礼、語り合う 放送作家と住職 「観音」の魅力解説 /三重

2021/12/03 05:30
 平安時代から約1200年の歴史があるとされる「伊勢西国三十三所観音霊場」巡礼の魅力を解説するトークライブが、五十鈴塾右王舎(伊勢市宇治浦田)で開かれた。巡礼を「もう一つのお伊勢まいり」と提案する松尾観音寺(同市楠部町)の木造隆誠住職と、巡礼コースを取材するコラムニストで放送作家の千種清美さん(明和町)が語り合った。
 県内各地の観音寺を順番に回る巡礼コースは、伊勢神宮のある伊勢市周辺を出発し、主に伊勢湾沿いを北上し桑名方面に向かう。古くから伊勢神宮の参拝者らに親しまれていたが、詳しい文献が少ない上、寺院の統廃合が進み大正時代以降は忘れ去られつつあった。

北池と水路 接続部確認

2021/12/03 05:00
発言小町「発言小町」は、読売新聞が運営する女性向け掲示板で、女性のホンネが分かる「ネット版井戸端会議」の場です。
ヨミドクターyomiDr.(ヨミドクター)は、読売新聞の医療・介護・健康情報サイトです。
OTEKOMACHI「OTEKOMACHI(大手小町)」は読売新聞が運営する、働く女性を応援するサイトです。
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美術展ナビ読売新聞が運営する美術館・博物館情報の総合ポータルページです。読売新聞主催の展覧会の他、全国美術館の情報を紹介します。
紡ぐプロジェクト文化庁、宮内庁、読売新聞社で行う「紡ぐプロジェクト」公式サイト。日本美術と伝統芸能など日本文化の魅力を伝えます。
読売調査研究機構東京、北海道、東北、中部、北陸を拠点に、著名な講師を招いた講演会や対談、読売新聞記者によるセミナーなどを開催しています。
教育ネットワーク読売新聞の教育プログ……

愛荘の金剛苑がコロナ禍で閉園 10、11日は無料開放

2021/12/03 05:00
 伝統的工芸品の近江上布や秦荘紬(つむぎ)の製造販売をする愛荘町元持の「川口織物」が運営する同町蚊野外の「手おりの里金剛苑(えん)」が、十一日に閉園する。十、十一の両日は、感謝を込めて苑内を無料開放する。(石曽根和花)...

妻木晩田遺跡 見栄え重視? 石を配置 仙谷1号墓 突出部に3通り

2021/12/03 04:00
 鳥取県は1日、弥生時代の集落遺跡の国史跡・妻木晩田遺跡(鳥取県大山町、米子市)にある四隅突出型墳丘墓「仙谷1号墓」(弥生時代後期半ば)で、突出部に3通りで置かれた石を確認したと発表した。 ...

鎌倉のとっておき 〈第123回〉 鎌倉と古代の道

2021/12/03 00:00
 鎌倉は源頼朝によって幕府が開かれた後、中世都市として栄えたという印象が強い。しかし源頼朝が鎌倉に入る以前には、郡衙(郡家)が置かれ、鎌倉郡の中心といえる場所だった。
 鎌倉郡衙(郡家)跡は御成小学校付近から見つかり、今小路通りの西側に位置したので、今小路西遺跡と名付けられた。
 遺跡からは「糒五斗天平五年七月十四日」と書かれた奈良時代の木簡が見つかっている。これは備蓄米と考えられ、税の徴収や運上に関係するのではないかと言われている。
 こうした税を集積する場所は交通の要地が選ばれた。当時の鎌倉は今よりも海面が高く、現在の鎌倉駅付近まで河川または浅瀬が入り込んでいたという。このことから鎌倉郡衙(郡家)は海からもアクセスできたとされている。
 さらにかつての東海道は海道という名が示すように海路でつながり、三浦半島から房総半島へ渡る海の道が広がっていた。このため房総半島の南が都に近くなり上総、北が下総という国名になった(国名は都に近い方から上下、前中後となる)。三浦半島の付け根に位置する鎌倉は、房総半島へと続く、まさに東海道の要地だったといえる。
 このように古代の鎌倉は、海の恵みによって富が集まり栄える場所であった。各地と繋がる鎌倉。今小路通りと郡衙(郡家)跡もその象徴の一つだといえる。浮田定則