貞子と歌舞伎のコラボ 10月3日から大阪松竹座(大阪…|縄文時代から戦後の遺物まで 旧岩崎邸庭園芝庭復元工事…|アニメ映画 この世界の片隅に 平安 昭和 くらし …|他

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貞子と歌舞伎のコラボ 10月3日から大阪松竹座(大阪日日新聞)

2022/09/23 11:13
貞子と歌舞伎のコラボ 10月3日から大阪松竹座(大阪日日新聞) - Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース

縄文時代から戦後の遺物まで 旧岩崎邸庭園芝庭復元工事の出土品を初公開

2022/09/23 10:30
 旧岩崎邸庭園は1896(明治29)年、三菱財閥創設者岩崎彌太郎の長男にして三菱第3代社長を務めた、岩崎久彌の邸宅として建てられました。当時の地名(下谷茅町)から「茅町本邸」と呼ばれ、ジョサイア・コンドルの設計による洋館と撞球室、明治期の名棟梁大河喜十郎による書院造の和館が現存しており、敷地全体が国の重要文化財に指定されています。
 敷地を管理する東京都では、1917(大正6)年に作られた「茅町本邸内実測図」をもとに、洋館の前に広がる芝庭を往時の姿に復元する工事を2021年度に実施。それにともない、表土をはがしての発掘調査も行われました。
 出土したのは縄文時代から戦後にいたるまで、この土地の歴史を物語る遺物。これらを初めて一般公開することとなりました。
 旧岩崎邸庭園の下に広がる不忍池は、縄文時代には東京湾の入り江だったところ。当時の土器破片(安行式土器)が遺構内から出土しました。
 また1945年の終戦後、ここは進駐軍により接収され、洋館はGHQの諜報機関「キャノン機関」の本部となりました。接収解除後の1952年、岩崎家から財産税の物納として国有財産となり、1970年まで最高裁判所司法修習所などとして活用されています。
 展示会では、出土したこの時代の遺物も展示。あわせて、旧岩崎邸庭園が位置する本郷台地の地形の変遷についての説明……

アニメ映画「この世界の片隅に」 平安、昭和「くらし」語る 上映会と監督イベント あす大田 /東京

2022/09/23 10:22
 太平洋戦争末期の広島県呉市を舞台に、主人公のすずと周囲の人たちの暮らしを描いて大ヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」の上映会と、監督の片渕須直さんが参加するトークイベントが24日、大田区の大田区民プラザで開かれる。
 片渕さんは製作時、戦時下の生活をリアルに伝えるため時代考証を重ね、その一つとして、1951…

日本最古級の宝庫「飛鳥」で見つけた!お参りしておきたい飛鳥大仏【奈良県明日香村】

2022/09/23 10:20
温泉・自然・ヨガで心身を潤すリトリート体験、東京&山梨お出かけスポット8選 私達を取り巻くライフスタイルの変化に伴い、身体と心の疲れを癒すリトリート体験が広まりを見せています。ヨガや瞑想、温泉、宿坊など癒しの形も様々。日常の忙しさから離れ、ウェルネスに繋がるアクティビティで心身をリセットして、美しく健やかな状態を取り戻す。そんな自分を磨くリトリート体験ができる東京&山梨のおすすめスポットをご紹介します。

坂東武者も平和ボケ?新調した鎧をネズミにかじられ…『吾妻鏡』が伝える吾妻四郎助光のエピソード【鎌倉殿の13人】

2022/09/23 10:03
鎌倉殿ひいては八幡大菩薩にご奉仕できる武士として最高峰の名誉であるにもかかわらず、何と言う体たらくでしょうか。
(名誉な反面、御家人たちにとっては負担が大きいため、中には敬遠する者も少なからずいたのです)
さすがにこれは何とかしなくちゃ……北条義時(ほうじょう よしとき)・北条時房(ときふさ)・大江広元(おおえ ひろもと)・三善康信(みよし やすのぶ)・二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。行政の子)が緊急ミーティングを開きました。
「……で、連中は何と言い訳を?」
「アイツは身内の不幸で喪中、ソイツは体調不良……まったくドイツもコイツも、神事を何と心得てやがるんだ!」
「ん、吾妻四郎(あづま しろう。助光)は?特に理由もなく欠席したのか?」
「「「ふざけやがって!」」」
という訳で、さっそく吾妻助光を呼び出して訊問します。
「おーおー吾妻の。てめぇハレの神事をバックレたぁ、大したご身分だなぁオイ?」
「そもそも昨日今日の新参じゃねぇンだから、若ぇ連中に示しがつかねぇべ!」
重鎮たちに責められて、吾妻助光は謝るよりありませんでした。
2ページ目 実は今回鎧を新調したンですが…

西九州新幹線 路線図・車両・料金とその沿線

2022/09/23 09:00
沿線の見どころ長崎市九州の西端、長崎県の南部に位置する人口約40万人の中核都市。江戸時代には西洋に開かれた日本唯一の貿易の窓口として栄え、ポルトガルやオランダ、中国など海外との交流で独特の文化が生まれた。1945年8月9日には、米軍機により原子爆弾が投下され7万人を超す犠牲者を出した。
「坂のまち」としても知られ、丘陵地から眺める長崎港を中心とした夜景は、モナコ、上海とともに「世界新三大夜景」に認定されている。市内には「明治日本の産業革命遺産」と「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡」、2つの世界遺産の構成資産がある。
長崎・稲佐山から眺めた長崎港(PIXTA)
グラバー園(長崎市)長崎市の代表的観光スポットのひとつ。長崎港を一望する丘に立地し、国指定重要文化財の旧グラバー住宅(世界遺産構成資産)、旧リンガー住宅、旧オルト住宅をメーンに、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築・復元。「居留地」時代の長崎の歴史・文化に触れることができる。園内各所は四季折々の花々で彩られ、7月中旬~10月上旬にはライトアップされる。路面電車大浦天主堂から徒歩7分。
グラバー園(PIXTA)
諫早公園(長崎県諫早市)戦国時代に築かれた山城跡を公園として整備。眼鏡橋(石造二連アーチ橋)といえば長崎市の中島川に架かる橋が有名だが、同公園内の池に架かる橋……

リアルに虫を再現 アクセサリーに MGプレス

2022/09/23 08:58
アゲハなどおなじみのものから、ツマグロヒョウモン、長野県に生息する絶滅危惧種のオオルリシジミなど、国内のチョウやガがリアルに再現される。「工房sasagani」の佐々木悠乃(ゆの)さん(26、松本市松原)が、手作りしているアクセサリーだ。
母親が虫好きで、自宅の庭にいるチョウの幼虫を育てるなど小さい頃から虫に親しんできた佐々木さん。高校時代に体調を崩し、現在も自宅で療養生活を続ける中で、自身が身に着けたいと思う虫をモチーフに、アクセサリーを作るようになった。
生きている本物になるべく忠実に作るのが佐々木さんのこだわり。チョウは雌雄、羽の表と裏の模様の違いも描き分け、鱗りん粉ぷんも表現するなど、丁寧に仕上げる。どれも、虫への愛情が詰まった一点物の作品たちだ。
庭が創作の源 愛情注ぎ観察おなじみのモンシロチョウやアゲハチョウ、黄褐色に斑点が特徴のツマグロヒョウモン。松本市の佐々木悠乃さんの自宅庭には、チョウをはじめたくさんの昆虫がやってくる。これらが佐々木さんの創作の源だ。
小さい頃から工作や絵を描くのが好きだったという佐々木さん。20歳の頃から自宅でイヤリングやピアス、ブローチなどのアクセサリー作りを始めた。最初は一般的なかわいらしいものや植物をモチーフにしたものが多かったが、次第に「自分が着けたいと思う虫のアクセサリーを作るようになった」……

刀剣「三条」女子に最適な美しさで展示 飾りたい!ファン必携パンフ無料配布、岐阜・関ケ原町

2022/09/23 08:18
 名工とうたわれた平安時代の刀工・三条宗近が手がけた国指定重要文化財の「太刀 銘三条」が、岐阜県関ケ原町関ケ原の岐阜関ケ原古戦場記念館で特別公開されている。金属の総本宮として知られる南宮大社(同県垂井町)の所蔵品で、通常は年1回、文化の日にだけ同大社で公開される。岐阜関ケ原古戦場記念館で10月23日まで開催中の特集展示「南宮山のその時 その後 そして今」のメインを飾っている。
 宗近の手による太刀は全国に5振りしか現存しないと言われる。「三条」の銘が入ったこの太刀は、細かな刃紋と大きな反りが入った刀身の美しさが特長。同館学芸員の鵜飼裕紀さんは「女性のファンが多いので、身長150センチの方の目線でちょうど光の当たり具合が美しいように計算して展示した」と明かす。
 ファンを喜ばせているのが、三条の実物大の写真を掲載した細長いパンフレット。「三条を部屋に飾りたい」というファンの願望に応えて鵜飼さんが編集、来場者に無料で配布している。さらに同館の入場券を持って隣町の南宮大社でお参りをすると、三条をデザインした特別なしおりがもらえる。
 会場で三条と並んで展示されるのは、美濃の刀工・兼定が手がけた剣「和泉守藤原兼定作」(同大社所蔵)。歴代兼定の中でも特に名高い2代目、通称「之定(のさだ)」の作だ。ほかにも同大社が所蔵する国重要文化財2点を展示し、歴史ファ……

栃木県立博物館40周年企画展 鑑真和上と下野薬師寺の歩み 仏像や古文書など150点余

2022/09/23 07:55
 唐の高僧・鑑真は奈良時代に日本に戒律と戒壇を伝え、奈良に唐招提寺を開いた。下野市の下野薬師寺には正式な僧侶になるため鑑真が伝えた作法で戒を授ける戒壇が東国で唯一設置され、奈良の「東大寺」、福岡の「観世音寺」と並ぶ「天下三戒壇」と称された。下野薬師寺は一時衰退するが、足利尊氏により「安国寺」と改称されて存続、二〇一七年に寺名が下野薬師寺に戻された。

18年間放置 市川の国史跡「北下瓦窯跡」 保存活用へ盛り土 26日から工事着手

2022/09/23 07:39
 千葉県市川市国分の国史跡「北下瓦窯(かわらがま)跡」が二〇〇四年の発掘調査後、ブルーシートをかぶせるなどの暫定的な保存措置しか施されていなかったことから、市教育委員会は二十二日、保存・活用に向けた盛り土工事が二十六日から行われると明らかにした。市教委は同遺跡の全ての土地を購入するため、二三年度予算案に用地取得費を盛り込むとともに、有識者を交えた専門組織を設置し、保存策などを検討する。(保母哲)

桃太郎伝説のまちで古墳めぐりを スタンプ集めて「御墳印」に 岡山 /岡山

2022/09/23 05:32
 岡山県の日本遺産「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま」の構成文化財である県内7カ所の古墳を巡ってもらおうと、日本遺産の推進協議会(事務局・岡山市)がそれぞれの古墳の特徴を捉えたデザインのスタンプを作った。御朱印ならぬ「御墳印」と名付け、スタンプを集めるための御墳印帳も制作した。
 推進協議会は「伝説ゆかりの場所と併せて訪れ、古墳の魅力や桃太郎のストーリー全体を感じてほしい」とアピールしている。
 桃太郎伝説は、古代吉備国と大和朝廷の対立の歴史から生まれたとされる。県内に残る古墳は吉備国に強大な勢力があった証しで、伝説を知るのに重要な遺跡という。

43年ぶり「斑鳩町史」 最新の研究成果を盛り込む /奈良

2022/09/23 05:29
 斑鳩町は「新修 斑鳩町史 上巻」(A4判、本文661ページ)を刊行した。法隆寺や藤ノ木古墳をはじめとした町内の文化財や遺跡、聖徳太子などに関する最新の研究成果が盛り込まれ、巻頭のカラー写真も充実した内容になっている。
 1979年の「町史」発刊から約40年が経過したことを受け、2017年の町制施行7…

帰郷する考古資料紹介 松本、市立博物館から返還控え

2022/09/23 05:05
 松本市立博物館の移転新築に伴い、出土した県内の市町村に返還が決まった遺物の一部を紹介する企画展「“帰るモノたち”共に歩んだ考古資料展―松本を去る前にちょっとだけお見せします」が、同市考古博物館で開かれている。十一月二十七日まで。...

鶴岡八幡宮「例大祭」 トラックによる神輿巡行

2022/09/23 00:00
 鶴岡八幡宮で9月14日から16日、毎年恒例の「例大祭」が行われた。例年は、総代や氏子、崇敬者など200人を超える参列者が招かれて開催されるが、新型コロナウイルスの影響で、今年も規模を縮小。狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら的を射抜く「流鏑馬神事(やぶさめしんじ)」も中止となった。
 鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』によると、例大祭の始まりは1187年で、以来絶えることなく800年以上続き、同宮で最も重要な祭事とされる。
 コロナ下の2年前からは、様式が変わった。15日の「神幸祭」では、人が担ぐのではなくトラックに載せられた3基の神輿が、若宮大路の二ノ鳥居前まで巡行。その際に、神職が沿道の家屋や店舗前で立ち止まり、お祓いした。
 大阪から訪れた20代の女性観光客は、「トラックに載った神輿を見たのは初めて。例年とは違うけれど、楽しむことができた」と語った。

大河ドラマに「愛甲三郎」 名前が登場、地元に縁

2022/09/23 00:00
 地元ゆかりの鎌倉時代の武将・愛甲三郎季隆の名前が大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した。
 愛甲三郎は源頼朝などに仕え、弓の名人だったと伝わっている。13人の御家人のうちの一人、畠山重忠が北条氏と戦った際は、重忠を討ち取ったのが愛甲三郎とされる。
 9月18日夜放送の第36回「武士の鑑」では重忠と主人公・北条義時との壮絶な一騎打ちや殴り合いが繰り広げられた。重忠が愛甲三郎の矢を受け絶命するシーンはなかったが、戦いの後の報告の場面では「(重忠が)手負いのところ愛甲三郎季隆が射とめました」と名前が登場した。この回の再放送はあす24日(土)午後1時5分から。
 さらに番組公式ツイッターでは吾妻鑑を引用し「愛甲季隆の放った矢が重忠を射抜き、重忠は戦死」と紹介した。
 放送後のツイッター上では「名前だけ出演できた」「出て良かった」「三谷さんや制作陣の歴史へのリスペクトを感じる」という感想をはじめ、愛甲西の屋敷跡の写真や地元の銘菓「愛甲三郎まんじゅう」の写真の投稿などが相次いだ。
 13人のうちの一人、和田義盛が反旗を翻した際、愛甲三郎は和田方につき、討死したと伝わっている。和田義盛の乱は今後放送される見込みで愛甲三郎が登場するチャンスは残っている。

今も残る風習「お月見泥棒」 矢作で日本版ハロウィン十五夜に菓子もらう子ども

2022/09/23 00:00
 一年を通して最も美しいとされる「中秋の名月」を眺める「十五夜」。今年は9月10日だった。一般的には、秋の収穫物を供え、その実りに感謝する行事として親しまれているが、矢作地区では「お月見泥棒」と呼ばれるユニークな風習が、古来より受け継がれている。
 十五夜の習わしは、中国から伝わり、日本では平安時代に広まったと言われている。当時の貴族たちは、見上げる月明かりに照らされながら、酒を酌み交わしたり、詩歌を詠んだりして、秋の夜長を楽しんだそうだ。江戸時代になると、庶民の間でも実りの象徴として満月を鑑賞し、ススキや米で作った団子を月に見立てて供え、収穫の感謝と次の年の豊作を祈願するようになった。
 月見を満喫していたのは、何も大人だけではない。かつて子どもは「月からの使者」とされ、それぞれの家に供えられた食べ物を好きに盗むことができる「お月見泥棒」という風習もあった。子どもに食べてもらうと、縁起が良いとされた。日本版ハロウィンのようだが、今も行っている地域は少なくなった。
寺院に響く掛け声
 「じゅーごやまーんじゅーけーらっせ(十五夜饅頭下さいな)」
 青みを帯びた月の光が静かに流れ込む午後5時。円徳寺(和田)の境内に、子どもたちの掛け声が響き渡った。「はいどうぞ」。本堂の前に用意された菓子やジュースを持参した袋に詰め、自宅に持ち帰っていっ……