日本の夏・昆虫の夏 アゲハチョウの美しい翅は ミステ…|有田陶片物語 古伊万里とは 江戸期の総称か 製品群…|市川三郷町 網倉の虫送り

日本の夏・昆虫の夏。アゲハチョウの美しい翅は、ミステリアスな歴史のつづれ織りだった

2019/07/29 20:34
ところで、「チョウ」という日本語の昆虫名は、漢語の「蝶」の音読み(dié ティエ)から来るもので、対応する訓読みはありません。ということは、外来語が伝わるまではチョウには呼び名がなかったようにもとられますが、10世紀初頭頃に成立した漢和辞書「新撰字鏡(しんせんじきょう・昌住撰)」によれば、古来日本では蝶を「加波比良古」=かはひらこと称していたと記されています。現在でも地方の方言ではチョウを「ひいる」「ひひる」と呼ぶ地域もありますが、一般的とは言いがたいですよね。川などの水辺でよく見かけ、ひらひらと飛ぶ様子からでしょうか。オノマトペから来る「ひらこ」という呼び名はかわいらしいですし「チョウ」よりも日本人的な感覚からはしっくり来る気がするのですが、なぜかこの言葉は廃れてしまいました。一説ではチョウを古来日本では死者の魂に見立てる信仰があり、不吉なものとしてとらえていたために、その名を人々が口にしたがらなかったからだ、とも言われます。が、千虫譜などの古い博物図鑑を見ますと、江戸時代以前の人々はチョウと蛾を同じものとして見ていて区別しておらず、前述した「ひいる」「ひひる」も、チョウだけではなくガの意味でも使われました。「倭名類聚抄(935年頃 源順)では、今で言うモンシロチョウ属を「野蛾」と記しています。「蛾」=ガというのも、漢語の読みから(呉音・漢音とも)から来ていま……

〈有田陶片物語〉古伊万里とは 江戸期の総称か、製品群の呼称

2019/07/29 20:10
 有田の中で、比較的よく目や耳にする言葉に“古伊万里”がある。文字通り古い伊万里焼という意味だが、もちろん伊万里産の焼き物ということではない。
 江戸時代に重い焼き物を大量に運ぶには、船を利用するしか方法がなかった。有田で誕生した磁器は、同じ佐賀本藩の近隣の港である伊万里まで陸路で運ばれ、そこから船積みされて全国へと運ばれた。その後、隣の大村藩や平戸藩でも磁器が生産され、各藩の港からも積み出されるようになったものの、すでに名称が定着していたため、肥前磁器の総称として“伊万里焼”と呼ばれたのである。
 つまり、もともと“古伊万里”とは、古い肥前の民窯磁器の意味であり、大正から昭和初期ごろに名称が定着している。ところが昭和30年代には、研究の進展とともに、“古伊万里”の中から“初期伊万里”が分離され、“柿右衛門”や“古九谷”も有田の民窯製品であることが明らかになってきた。
 これに伴い、“初期伊万里”から“古九谷”、そして“柿右衛門”へと続く、製品の時期的な様式変化として捉えられるようになり、“古伊万里”はそれに続く、金襴手(きんらんで)などに象徴される対称的な構図を一面に配した、華やかな製品群の呼称となったのである。
 しかし、現在でも元の区分の名残で、江戸時代の伊万里焼の総称としても使われることも珍しくない。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

市川三郷町 網倉の虫送り

2019/07/29 19:43
市川三郷町落居の網倉地区で29日夜、秋の豊作を祈る虫送りが行われた。夕暮れの小路を照らす幻想的な灯り…。「虫送り」は松明の灯りに虫を集めて農作物を守ろうと江戸時代から続く網倉地区の伝統行事。今では子どもたちが松明の代わりに火を灯した缶をさお竹に吊るして、集落を練り歩く。以前は各地でさかんに行われた「虫送り」は農薬の普及で伝統を守る集落は減った。地域に100枚以上あった水田はもうないが今では地域を活気づかせる祭りとして欠かせない年中行事となっている。地域に暮らす住民は今では20数世帯になり、子どもの数も減ったがこの日ばかりは離れて暮らす親戚が集まり、賑やかな声が響く。