古墳時代の鏡を再現 市埋文センター 児童ら鋳造体験|意次くん キャラ登場 賄賂政治家は実は名君でイケメ…|徳一の足跡・仏都会津の源流 寺開基…本宮に 分…|他

古墳時代の鏡を再現 市埋文センター 児童ら鋳造体験

2019/08/11 10:56
 銅鏡は呪術や祭祀(さいし)の時に使われた。熱した合金を鋳型に流し込み、五分待って鋳型を開けると、直径五センチほどのレプリカが完成。のこぎりの形や玉の文様が入った。文様のない裏面は鏡として使えるよう、やすりで磨き上げた。

「意次くん」キャラ登場、賄賂政治家は実は名君でイケメン? 田沼意次生誕300年

2019/08/11 10:47
 静岡県牧之原市は、相良藩主として江戸時代に同市付近を治め、江戸幕府の老中として知られる田沼意次(おきつぐ)の生誕300年を記念して、PRキャラクター「意次くん」を製作した。民間の企業や団体などにも使ってもらい、「賄賂政治家」との悪評もある田沼意次のイメージアップを図る。
 田沼意次(1719~88年)は1758年に現在の牧之原市にあった相良藩の藩主となり、相良城や城下町の整備を行った。歴史の教科書などでは貿易振興などで積極的な経済政策を行った一方、「賄賂政治家」との批判もある。地元では幕府の財政を立て直した名君として親しまれている。
 キャラクターは同市出身の漫画家、針川智也さんがデザイン。「イケメン」として大奥で人気があったという逸話から、「端正で気品ある顔立ち」に仕上げているという。6種類あるデザイン原画は田沼意次侯生誕300年記念事業実行委員会が保管し、利用を希望する企業などに無償で提供する。
 意次くんの活躍次第では市の公認キャラクターに就任することもあるという。担当者は「イベントや商品パッケージなどに幅広く活用してもらい、田沼意次のイメージアップにつなげたい」としている。
 市は、意次の生誕300年をシティープロモーションの一環として取り入れており、他にも記念切手の販売などさまざまな事業を展開している。【高場悠】

【徳一の足跡・仏都会津の源流】寺開基...本宮に「分骨」続く信仰

2019/08/11 10:27
 仏都会津の礎を築いた平安初期の高僧・徳一(とくいつ)が、県内各地で創建や開基に関わった寺は多い。龍谷大名誉教授・浅田正博さんの調査では、県内で139カ所(廃寺含む)に上るという。これらの寺は宗派が変わっても、徳一のことを「菩薩(ぼさつ)」「大師」と崇拝している。
 徳一の痕跡は浜通りや中通りに満遍なくある。いわき市は特に徳一の足跡が集中している。徳一開基の寺が今も20ほどあり、伝承やゆかりの地も含めるとさらに増える。開基年は大同年間(806~810年)前後で、徳一像や位牌(いはい)を安置している。いわき湯本温泉にほど近い長谷寺は807(大同2)年に徳一が開基した伝承を持ち、今も徳一への信仰があつい。平四ツ波の忠教寺も806年に徳一が開山し、徳一の位牌が残る。遠野町には徳一の墓所とされる「徳一の入定所」があり、お堂がたたずんでいる。
 県北にも徳一伝承が残る。本宮市糠沢の観音寺は807年に徳一が開基したという伝承がある。徳一が薬師如来像を刻んで仏教興隆を祈願したという。境内には「徳一の墓」とされる鎌倉時代後期の宝塔(供養塔)が建立され、遺骨が分骨されたという。
 大玉村の相応寺は、徳一が807年に安達太良山の中腹にお堂を建てたのが始まりで、1560(永禄3)年に現在地に移った。室町時代後期の徳一像がある。江戸時代中期には、相応寺住職の実賀が荒廃……

映画『引っ越し大名!』、江戸時代の超難関プロジェクトに挑む若者たちを追う「プロジェクト 引っ越す者たち」特別映像を公開

2019/08/11 10:00
「超高速!参勤交代」シリーズで、これまでになかったユニークな視点で時代劇の新しいジャンルを開拓し、大ヒットを収めた土橋章宏の傑作時代小説「引っ越し大名三千里」。このたび、映画『のぼうの城』を手掛けた犬童一心監督がメガホンをとり、星野源ら豪華キャストを迎えて映画化された『引っ越し大名!』が8月30日に全国公開となる。
今回、本作で国替えという江戸時代の超難関プロジェクトに挑む若者たちの姿を追った「プロジェクト 引っ越す者たち」特別映像が公開された。
『引っ越し大名!』プロジェクト 引っ越す者たち特別映像 8月30日(金)全国公開
同映像では、引っ越しの総責任者となった星野源演じる春之介や、彼を手助けする鷹村源右衛門(高橋一生)、於蘭(高畑充希)、中西監物(濱田岳)らのシリアスな表情とともに、「1万人の大移動」、「移動距離600km」、「圧倒的資金不足」という無理難題とも思える国替えに立ち向かう若者たちの姿が切り取られている。さらには「リストラ」や「悪魔的パワハラ」といった、現代で働く人々なら誰もが耳にしたことがある言葉まで現れ、本作が時代劇でありながら現代で働く人々にも通じる物語であることが示された。またナレーションは、田口トモロヲが務め、某ドキュメンタリー番組を彷彿させるような胸熱な映像となっている。
「この作品はサラリーマンものとして作……

赤坂のイメージが変化 昭和から平成、令和の姿

2019/08/11 10:00
まずは、赤坂の名前の由来から見てみましょう。「赤坂」には諸説あり、主な説としては、現在の赤坂エリアに赤土の坂があり、そこから「赤い坂」、転じて「赤坂」となった説や、茜草が茂り茜坂と呼ばれ、それが赤坂になった説などが有力とされています。
赤坂の開発が始まったのは江戸時代になります。赤坂は高台にあったため、江戸城西部の防衛基地として徳川家康がこれを重要視し、紀州徳川家をはじめとして、多くの旗本や大名が住み、武家屋敷が並ぶようになりました。また、低地は外堀として整備され、江戸の上水として整備された「溜池」は、今も地名として残っています。
将軍徳川吉宗は幼少期を赤坂で過ごし、溜池で泳いだという逸話も残っています。豊川稲荷や氷川神社は、江戸時代に祀られたものが、今も移転などを経て、歴史的なスポットとして残っているのです。明治時代になると、花街として、料亭が立ち並ぶようになりました。軍人、政治家に主に利用されていたそうです。この流れは昭和になっても続き、赤坂=料亭の街というイメージができたのです。
昭和は、「大人の街」だった赤坂昭和の赤坂といえば、大人の街、歓楽街のイメージが強いのではないでしょうか。実際、戦争の空襲により赤坂の街は焼かれましたが、戦後、霞が関や国会に近いこともあり、料亭街として早くに復興しました。1955年には料亭80軒が並んでいたそうで……

「本巣の宝」掘り下げる 国史跡「船来山古墳群」で測量体験会

2019/08/11 09:08
 2月に国史跡となった本巣、岐阜市境の「船来山古墳群」で10日、本巣市内の子どもや住民ら約30人を招いた古墳の測量体験があった。市教育委員会に協力して未発掘の古墳を測量する岐阜農林高校環境科学科の3年生6人が講師を務め、「地域の宝」についての理解を深めた。
 古墳群のある船来山(116・5メートル)には290基の古墳が点在。全体の面積60・6ヘクタールのうち、発掘調査を終えた111基の古墳がある山の東側15・5ヘクタールが史跡指定を受けた。市教委と同高は2013年から毎年夏に、第2次の史跡指定を目指す山の西側で未発掘の古墳を年1基ほど、測量調査している。
 参加者は7月24日から8月9日まで高校生が測量した全長約20メートルの「4号墳」の測量を体験。樹木が生い茂る山の尾根沿いにあるため滑落に気を付けながら、レーザー機器や巻き尺などを使って標高の高さを測り、等高線を測量図に書き入れていった。参加した糸貫中2年の生徒(13)は「とても地道な作業。すごい」と語った。7月から測量に携わった同高3年の生徒(18)は「地元の文化財を測量できて誇りに思う」と話した。
 史跡指定を受けた山の東側は前方後円墳と円墳が多い。市教委によると、西側は測量調査の結果から、前方後方墳と方墳が多いとみられる。担当者は「船来山の高い価値を証明したい」と話している。

【戦国武将に学ぶ】石田三成~忠節が過ぎて人望失った「悲劇のエリート」~

2019/08/11 08:12
「五奉行一の実力者」などといわれる石田三成は1560(永禄3)年、近江国坂田郡石田郷(滋賀県長浜市石田町)で生まれています。近くの観音寺(異説もある)で、長浜城主となった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に見いだされ、はじめ小姓として仕え、やがて検地奉行など内政面での仕事が評価され、重く用いられるようになりました。
「計数の才」が認められる
 近江は近江商人の存在で知られるように商品流通活動が活発で、三成も「計数の才」があり、それが認められたようです。ちなみに、豊臣政権を支えた「五奉行」のうち、3人までが近江出身者で占められています。
 戦いのとき、最前線で働く武功派の福島正則、加藤清正らの槍(やり)働きも大事ですが、秀吉の頃には数万の大軍が動くわけですので、兵糧・弾薬などを運ぶ兵站(へいたん)奉行の働きも大事でした。秀吉は、三成ら奉行人の役割も槍働きと同じぐらい大事だと思っており、正則を尾張清洲城24万石にしたとき、三成に近江佐和山城19万4000石を与えています。
 三成も、自分のことを評価してくれる秀吉に感謝し、誠心誠意尽くしています。太閤(たいこう)検地の施行にあたっては全国を飛び回っており、鹿児島市にある薩摩島津家の資料館には、三成の「検地尺」が残っています。また、秀吉の九州攻めの後には、戦乱で荒れた博多の復興にあたり、さらには堺政所(ま……

重文・阿弥陀如来坐像修理へ 奈良の喜光寺

2019/08/11 07:17
 奈良時代の僧、行基ゆかりの喜光寺(奈良市)の本尊で重要文化財の阿弥陀如来坐像(ざぞう)(平安時代)が今秋から修理されることになった。大正14年以来、約90年ぶりの修理になる。
 喜光寺(菅原寺)は、東大寺大仏の造立にも協力した行基が活動の拠点とした寺院で、最期を迎えた地でもある。創建当初の本尊については不明だが、現在は阿弥陀如来坐像が本尊となっている。
 阿弥陀如来坐像は、木造で像高2・33メートル。木彫りの上に下地漆(うるし)を塗り、金箔(きんぱく)を施している。傷みが激しいため、今年度から3カ年の修理を計画。県文化財保存課によると、美術院の奈良国立博物館工房で、本体の剥落止めなどが行われ、来春に寺に戻る見込みとなっている。さらに、光背や台座の修理も予定されている。
 薬師寺長老の山田法胤住職は「阿弥陀如来さまもお喜びになっておられると思う。光背の補作も含めて長い修理となるが、行基さんの精神に基づき精進してまいりたい」としている。

墓の中で出産…女の幽霊、1年に1日だけ見られる寺

2019/08/11 06:58
 「産女の幽霊」の民話は、江戸時代、身ごもったまま同寺に埋葬された女性が、墓の中で赤ちゃんを出産。お乳の代わりにと、毎晩、近所のあめ屋に通い、わが子に与えていたという、母の愛情の深さを伝える話。
 像は古い木製で、大きさ約40センチ。白い着物を着せ、本堂に掲げられる。拝観前には、幽霊の物語の紙芝居が披露され、お乳の出が良くなるという米で作ったあめがふるまわれる。
 また、寺の近くには、当時、住民が水不足で困っていたところ、幽霊があめを売ってくれたお礼にと、水のありかを教えた「幽霊井戸」があったという。問い合わせは同寺(095・823・5863)へ。

【日曜に書く】論説顧問・斎藤勉 ウクライナの若き国士の警鐘

2019/08/11 06:49
 ◆「日本を愛し」靖国参拝
 令和初の鎮魂の季節を前に、「終戦記念日の8月15日に過去3年、靖国神社参拝を続けています」というウクライナ青年に会った。大阪に住み、ネットの情報番組などで活躍しているグレンコ・アンドリー氏。31歳、気鋭の国際政治学者だ。「京大に留学した2013年からは靖国に30回以上も行っています。必ず境内の鎮霊社参拝も」
 京大では大著『古事記伝』で知られる江戸時代の碩学(せきがく)、本居宣長を研究し、修士論文は『(神)道思想に関する考察』。
 ソ連崩壊で宗教が自由化されて28年。「でも故郷キエフでは自ら教会に行ったことさえない」という青年がなぜ靖国へ?
 「まずは、彼ら英霊が日本のため、そして結果的には全世界の平和のために戦ったことへの感謝と鎮魂です。もう一つは、日本の“平和ボケ”があまりに絶望的なので、何とかしてください、と祈っているんです」
 名刺には「日本を愛し、祖国ウクライナの悲劇を教訓に、日本復活のため講演、執筆活動を行っている」と日本への心酔ぶりを率直に記している。
 日本とウクライナはロシアに対して同じ立ち位置にある。北方四島は終戦直後にソ連軍に不法占領され、ウクライナは14年、クリミア半島をロシアに併合された。ともに国の混乱に乗じた武力による領土奪取だ。
 ◆両国の「思考停止」の果て……

【茨城新聞】江戸時代の妖怪、概観 千葉 絵巻物や錦絵100点

2019/08/11 06:03
江戸時代に描かれた絵巻物や錦絵の妖怪を通して、近世の人々が怪異をどのように受け止めていたかを探る特集展示「もののけの夏-江戸文化の中の幽霊・妖怪」が、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)で開かれている。錦絵など資料100点を展示。…

【出口学長の哲学と宗教講義】哲学と宗教を学ぶ際に「絶対外せない3冊」その2・その3

2019/08/11 05:15
――前回は、「哲学や宗教を学ぶ必須の3冊」のうち、デカルトの『方法序説』についてご紹介いただいたので、今回はあとの2冊、『悲しき熱帯』と『クルアーン』について説明してください。
出口:クロード・レヴィ=ストロースは、ベルギー生まれの人類学者です(1908-2009)。東南アジアをはじめとして、世界各地の原住民の社会や文化の構造を研究していました。
レヴィ=ストロースは、「自由な人間が主体的に行動することで世界は変革できる」というサルトルの思想を否定し、「人間は自由な存在ではないし、主体的にもたいした行動はできない」との認識を示しました。そして、社会の構造が人間の意識を形づくると考えたのです。
――「社会の構造が人間の意識を形づくる」とは、どういうことですか?
出口:平たくいえば、「江戸時代という社会が江戸時代の日本人をつくり、戦後の日本という社会が現在の日本人をつくったのであって、同じ日本人でも、時代や社会が違えば、まったく異質なものですよ」というのがレヴィ=ストロース流の考え方です。
――それぞれの時代が、それぞれの時代の日本人をつくっただけであって、「どの時代にも当てはまる日本人の本質のようなものはない」ということですか?
出口:そうです。先進国ばかりではなく、未開の社会もあるし、人間は社会の構造に合わせて生きていくことし……

母方の家系調査…90代の老人からの手紙で判明した先祖の足跡

2019/08/11 05:14
やってみなければわからない「戸籍以上の調査」「戸籍以上の調査」は、「戸籍調査」のように、国の公的資料である程度の成果がほぼ保証されているわけではないので、いろんなケースが考えられます。郷土誌に載っているかどうかも、調べてみないとわかりません。同姓の方にアンケートを送った場合、どの程度協力いただけるかも、やってみないとわかりません。墓や過去帳が現存するかも調べてみないとわからないのです。これまでやってきた戸籍以上の調査のなかでも、うまく先祖を遡れたケースでは、
●本家や寺に過去帳があり400年前(江戸時代初期)まで判明
●地元に当家の江戸時代以前の具体的なルーツの伝承(源平藤橘、藤原氏のいずれであるなど)が残されていて、1000年以上前まで判明
などがありました。決して多くはないですが、こういうこともあります。まったく何もわからないとういうことは少ないですが、情報がないことはありえます。菩提寺や本家は確定できたが、過去帳や墓は消失して無くなっている、というケースもありえます。先祖の記録が焼失しているのはとても残念ですが、そのような場合でもただ残念がるのではなく、「ずっと気になっているよりも、無いことがわかってよかったかもしれない」と、成果がないことも一つの成果と受け止める覚悟が必要です。
一方で心配なのが、戸籍に保管期限があったように「戸籍……

墓をはうナメクジ拝む 加子母で奇祭

2019/08/11 05:08
 地蔵尊には、鎌倉時代に高僧として活躍した文覚(もんがく)上人の墓がある。上人は、横恋慕した袈裟(けさ)御前を誤ってあやめたことを悔やんで出家し、御前の命日の旧暦七月九日、化身のナメクジが墓に現れると伝わる。地元の小郷(おご)地区では、この日に訪れると、一度で九万九千回の参拝になるとされ、多くの人を集めている。

墓の多様化 慰霊の在り方を見つめたい

2019/08/11 05:00
 先祖代々の墓を撤去して更地に戻す墓じまいが増えている。墓を守る後継ぎがいないことや、将来的に、子や孫に墓守をさせるのはしのびないといった親の気遣いがうかがえる。
 遺骨を地方から都市部の居住地近くに移す改葬も目立つ。件数は今や、年間10万件を数える。都市部に暮らす人にとって、遠方の墓を訪ねる時間的、経済的余裕がないという事情が背景にある。
 全日本仏教会の調査では、自宅から菩提(ぼだい)寺まで1時間以上かかる人のうち、約5割が「これからは(寺との)付き合いは減少する」と答えた。2時間以上かかる人の約4割は「近い将来全く縁がなくなる」と回答した。
 家族が先祖代々の墓を守る伝統は、もはや当たり前のことではなくなるのではないか。
 墓の形態も多様化している。宗派を問わずに永代供養する合葬墓や、骨つぼに入れた遺骨を屋内に並べる納骨堂が近年、人気を集めている。遺骨を桜の木などの下に埋める樹木葬の墓も見られる。
 遺骨を合葬墓などに移して、祖先の墓の無縁墓化を防ぎたいという人は多い。維持管理に負担がかからないことも、多様化の理由だろう。各自の事情に合わせた供養の広がりは自然な流れだ。
 自治体が墓の管理を支援する動きもある。兵庫県加西市は、墓参りに来られない人のために、ふるさと納税の返礼として、墓の現状確認や掃除の代行をしている。……

彦根との交流さらに 親善都市提携50年祝う 佐野市

2019/08/11 05:00
 【佐野】市と滋賀県彦根市の親善都市提携50周年を記念した式典が10日、市内のホテルで行われた。
 両市は江戸時代、佐野の一部が彦根藩の飛び地だったという歴史的なつながりがある。このため両市の関係を再認識しようと1969年8月7日、彦根市民会館で親善都市提携を調印。2012年1月には災害時における相互支援協定を結んでいる。