メモ用紙を使うたびに土偶が現れる! 青森県×トライア…|伝統の唄や踊りを次世代に 天草市で 子ども芸術祭|その痛み 本当に五十肩? 背泳ぎテスト で確認を|他

メモ用紙を使うたびに土偶が現れる! 青森県×トライアード共同開発の発掘型メモパッド「OMOSHIROIBLOCK 国…

2019/08/12 11:45
 「OMOSHIROIBLOCK」は、一枚一枚細工を施した上質な紙が重なっており、その紙を使用するたびにブロックから作品が現れ、完成されていく、トライアードが開発した「memory × moment × 彫刻」。
 今回発売された「OMOSHIROIBLOCK 国宝合掌土偶」は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録の気運を一層高めることを目指した商品。メモとして使っていくと、八戸市の縄文遺跡での出土状態を忠実に再現した「国宝 合掌土偶」の造形が徐々に現れるのが特徴の発掘型メモパッド。青森県では「縄文時代の土偶の発掘感をデスクの上で味わえる、まさに青森縄文おみやげの最高傑作」としています。
 素材は本体が紙、留め具が真鍮、ケースがアクリル製。サイズはW85×D82×H43mm。

伝統の唄や踊りを次世代に 天草市で「子ども芸術祭」

2019/08/12 11:00
倉岳小児童が披露した宮田棒踊り。山伏と武士の戦いを表現している=天草市  「くまもと子ども芸術祭2019in天草」が10、11日の両日、熊本県天草市東町の市民センターであった。県や同市などでつくる実行委員会主催。
 11日はステージの部があり、江戸時代の川の流れを変える工事...​

その痛み、本当に五十肩? 「背泳ぎテスト」で確認を

2019/08/12 10:00
 「四十肩も五十肩も発症した年齢が違うだけで、本質的には同じです」
 そう話すのは、独協医科大名誉教授で東都文京病院(東京都文京区)の玉井和哉副院長。江戸時代の文献にはすでに「五十肩」という言葉が使われていたという。医学的には「凍結肩」「肩関節周囲炎」と呼ばれる。肩の関節を構成する滑膜(かつまく)、靱(じん)帯、腱(けん)などに炎症が起き、関節を包む袋が縮こまり、動きが悪くなった状態だ。
 発症して間もないころは、痛みが主な症状だが、数カ月ほどたつと、関節が硬くなり、凍ったように肩が固まってしまう。40~50代の中年に多いが、なぜ起きるのか、どうやったら治るのか、はっきり分かっていないという。
 半年から2年ほどで痛みが自然に引くのが特徴だ。動かした時だけでなく、夜も眠れないほど痛むことがある。痛みがつらいときは、炎症を抑える薬や関節注射などで治療をする。痛みが落ち着いたら、運動療法で関節が硬くならないようにする。
 玉井さんが勧める運動法が「五…

初開催!浴衣で行きたい「浜離宮大江戸文化芸術祭」で令和の夏を締めくくろう!

2019/08/12 10:00
8月23日(金)、24日(土)の2日間限定で行われる「浴衣フェス IN 浜離宮」。内堀広場に建つ6メートルの櫓を囲み、17時から21時まで開催される。8月23日(金)は、スペシャルゲストDJとしてDJ KOO、8月24日(土)は浦浜アリサ、清水沙也佳、YORIが登場。また、日本を代表する和太鼓奏者・林英哲氏率いる風雲の会の精鋭メンバーによる和太鼓演奏もあり、夏の夜空に響く音色にお祭り気分が盛り上がること間違いなし。イベントには、浴衣ダンサーやコシノジュンコ氏デザインの江戸ポップな衣装をまとったモデルも登場する。
園内では浴衣のレンタル・販売のほかに、プロによる浴衣お見立て会も!

【一服どうぞ】心を無にする一時 裏千家前家元・千玄室

2019/08/12 07:52
 自分の考えや気持ちを他の人に伝えるときどのような方法をとるだろうか。直接話す場合もあるが、文字を書いて伝えるのではなかろうか。この識字であるが、それぞれに体を持っている。仮名は奈良時代に表音でできたものだから別にしなければならない。要は漢字であるが、おのおのに深い意味を持つ。だから使う字を間違えると全く意味をなさなくなる場合もある。
 新聞を読んでいると何を意味するためにこの字を使っているのかと首をかしげることがある。聞くところによるとこの頃は記事をもコンピューターで書くとのこと、そのために変換を間違えたまま紙面に載ることがあるようだ。そういえば私も色々なところで意見を求められることがあるが、以前のようにメモを取らず、直接打ち込んでいるのを目にする。まるで人間が人工知能(AI)になってしまったように感ずる。きちんと文字をつづり文章にすると小説なり文学になるのだが。
 これと対極にあるのが仏教の教えであり、中でも禅の教えであろう。「教外別伝 不立文字」。文字や言葉による伝達のほか、体験によって伝えるものこそが真理であり心から心へ伝わるとする意である。中国の六祖慧能(えのう)が、貧しい炭売りをしていた折のこと。とある家から聞こえてきた「金剛経」に耳が止まった。ぜひともこの教えを受けたいと思う。しかし簡単に弟子入りできるわけがない。私が昔僧堂に入ったとき……

祈りの世界の動物紹介 奈良博、夏休みの親子向け

2019/08/12 07:04
 仏や神の世界に登場する動物に着目した展覧会「いのりの世界のどうぶつえん」が奈良国立博物館(奈良市)で開かれている。夏休み中の子供たちが仏教美術に親しむ第一歩にしてもらおうと、「わくわくびじゅつギャラリー」と題して企画。期間中に国宝と重文を含む計65件が出展され、年齢を問わず楽しめそうだ。9月8日まで。
 祈りの世界になぜ動物や想像上の生き物が多く登場するのか、その秘密に迫ることで美術に興味を抱いたり、博物館を訪れたりするきっかけにしてもらうのが狙い。
 ほとけさまと獅子(しし)・象▽ほとけさまと様々などうぶつ▽神さまとどうぶつ-などのテーマごとに展示。重文の「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)騎獅(きし)像」(平安時代、文化庁蔵)や「普賢(ふげん)菩薩騎象像」(象は鎌倉時代、海住山寺蔵)が並んでいるほか、重文の「十二神将立像」(平安時代、東大寺蔵)もあり、十二支との関係もうかがえる。さらに、獅子・狛犬(こまいぬ)や舞楽面も展示。「地獄のなかのいきものたち」のコーナーもあり、子供たちの興味をひきそうだ。

<この人このまち>「よそ者」視点 町おこし

2019/08/12 06:09
 船岡城址公園など桜の名所として知られる宮城県柴田町。ただ、桜のシーズン以外に大きな観光行事はなく、交流人口拡大に課題を抱える。そんな町を元気にしようと、京都出身の「よそ者」晋山孝善さん(63)は町づくり会社「しばたの未来」を設立。社長として町おこしに奮闘する。(大河原支局・山口達也)
◎しばたの未来社長 晋山孝善さん(63)/ビジネスとして事業を永続する。やりがいだけで終わらない。
 −「しばたの未来」とは、どんな会社なのですか。
 「国の地方創生事業を受け、2016年2月に発足しました。柴田町も人口減少の流れが止まりません。人口減を緩やかにとどめ、町を元気にできるか。そのためのイベント企画や地場産を使った商品開発、販路開拓などを支援し、事業化していく会社です」
 「社員は自分も含め3人。大事なのはビジネスの視点を持つことです。非営利のNPOだと補助金が打ち切られれば継続は難しいし、やりがいだけで終わってしまう可能性もある。町おこし事業を永続するため株式会社にしました」
 −「よそ者」の晋山さんが、なぜ町おこしに携わったのですか。
 「柴田で人生の半分以上過ごし、世話になった町です。子どもたちも愛着、誇りを持って今後も住んでほしい。そうなることで人口減も止められる。その引き継ぎ役として、魅力ある町にしていきたいと思いました」……

Nagano Nippo Web » 老松場古墳群 前方後円墳を立証へ第3次調査

2019/08/12 06:00
伊那市東春近の「老松場古墳群」の第3次調査が今月から始まる。市教育委員会と関西大学文学部考古学研究室が3カ年計画で行っている調査の最終年で、これまでの調査で前方後円墳の可能性が高まっている1号墳についてさらに詳しい調査を進める方針だ。前方後円墳であれば上伊那地方では2例目、南信地方では最古級という。
老松場古墳群は東春近小学校北東側の段丘上にあり、古墳時代後期(6~7世紀)に築造されたとされる古墳が7基ある。このうち6基は円形の円墳だが、残り1基は二つの円形がつながった双円墳とみられていた。
地元では2015年から古墳群を古墳公園として整備していたが、その活動の中で当時の東春近小6年の児童から1号墳は双円墳ではなく、前方後円墳ではないかという疑問が浮上。改めて測量を行った結果、前方後円墳の可能性が出てきた。
これを受けて市教委は同研究室とともに本格的な調査を開始。昨年度の調査では、1号墳が「葺石」で覆われていたことが判明した。葺石は墳丘の表面に敷き詰めて装飾や盛り土の流出を防ぐためのもので、この配置などから前方後円墳であることが確実になったとしている。
今回の調査では、1号墳の前方と後円をつなぐくびれ部を中心に発掘。前方と後円が一体であることを立証し、前方後円墳であることを確定していきたい考えだ。
調査は9月上旬までの予定で、期間中……

いつから「馬」が「間」に? 神戸・北区の有間神社

2019/08/12 05:30
 1300年以上の歴史があり、古くは旧有馬郡16町村の総氏神として親しまれた有間神社(神戸市北区有野町有野)。境内を歩くと「有馬社」と彫られた石標を見つけた。「有間」と「有馬」、どっちが正しいの?
 こういう疑問は、やはり宮司さんに聞くのがいいだろう。「神社は地名の『有間』から名付けられました」。同神社の畑中一紀宮司(29)が、そう答えてくれた。
 旧有馬郡は六甲山頂から三田市までの南北に長い地域。飛鳥時代、有馬温泉で生まれたため、名前が「有間」となったという皇族・有間皇子の逸話などはあるが、地名の由来は定かではない。畑中宮司は「山と山の間にある地域だから『有間』となったのではないでしょうか」と推察する。
 その後、地名は有馬へと変化した。それに合わせたのか、同神社でも石標のように有馬と記した時代もあったとされるが、「いつしか本来の『間』に戻していた」(畑中宮司)という。詳しい経緯をご存じの方がいれば、ぜひご一報を。(篠原拓真)