夏のお取り寄せグルメ 台湾の味を再現した“もちもち…|スクーター大国・台湾の通勤快速 SYM が一挙上陸 …|都のサイト開発 国内外から大量の提案 台湾のIT相も|他

【夏のお取り寄せグルメ】台湾の味を再現した“もちもち蒸しパン”など5選

2020/07/26 20:29
夏になると、餃子や辛い麺の出番が多くなるという米田牧子さん。
「そこに【5】『山田製油』のごまらぁ油をひとかけすると、香り高くなり、食欲が湧きます。余計なものが一切入ってない、シンプルな作りなのもいいところ。また、スパイシーなカレーも、暑い時期のマストアイテムです。【2】『ヘンドリクス』のカレーは全部美味しいのですが、とろっとろのナスと、夏バテ防止に効く梅干しが入ったものは、暑い毎日を乗り切るためにぴったりです」
ちょっと食欲が落ちた時に活躍するのが、【1】『鹿港』の饅頭。具は入っておらず、そのまま食べるのはもちろん、肉や野菜を挟んだり、はちみつやジャムをつけるなど食べ方を工夫できる逸品。
「生地のキメが細かく、うっすらと甘い。スープにつけたり、間に何かを挟んだりと大活躍です」
夏の必需品、ビールのお気に入りは、【4】『うちゅうブルーイング』の宇宙DRAGON。
「柑橘やぶどうなどフレッシュフルーツのような味わい。生産数が少ないこともあり、見つけたら毎回、購入するようにしています」
疲れた体をいたわるために、野草のお茶も取り入れている。
「【3】『ソットチャッカ』の野草茶は、有機農業が盛んな島根の山奥で採れる野草から作られています。ミントやカモミールのような香りが爽やか。カキドオシには糖分を分解する働きがあるそうです。夏……

スクーター大国・台湾の通勤快速「SYM」が一挙上陸〈後編〉(WEBヤングマシン)

2020/07/26 18:32
3密回避の通勤手段
長期戦の様相を呈している新型コロナウイルス。3密を避けるために小型スクーターの需要が各地で伸びている中、台湾からの魅力的なメーカーが上陸。通勤快速に最適なSYMの個性的なマシンを2回に分けて紹介する。後編はこの4台。■マキシムTL|ジョイマックスZ250|クルージム250|ジェットS
スクーター大国・台湾の通勤快速「SYM」が一挙上陸〈前編〉
マキシムTL:SYM初の2気筒エンジンを搭載
SYMはTMAXやAK550に代表されるマキシスクーターのジャンルにも進出。「マキシムTL」は、前後50:50の荷重配分、スイングアーム&チェーンドライブ(ライバルはベルトドライブ)など、マキシスクーターのセオリーを踏襲しており、キャラクターがスポーティ路線であることは明白。しかもこのマキシムTLのために、SYMは自社初となる2気筒エンジンを製作したというから、その気合の入り方は尋常ではない。ただ排気量はライバルたちよりも100ccほど低い465ccに設定。パワーとスピードでライバルたちに真っ向勝負は挑まず、ほどよいパワーで扱いやすさを優先させる戦略のようだ。
―― 【SYM MAXSYM TL】……

都のサイト開発 国内外から大量の提案 台湾のIT相も

2020/07/26 10:00
シビックテック コロナに挑んだ3カ月③ ITを使って社会の課題を解決することを目的にした一般社団法人「コード・フォー・ジャパン(CfJ)」による東京都の「新型コロナウイルス感染症対策サイト」が公開された3月4日。国内の新型コロナウイルス感染者は、初めて1千人を超えた。
 東京芸大作曲科2年の渡辺響(20)はこの日、たまたま見たツイッターの投稿に目を留めた。
 都のサイトの技術の高さが話題になっていた。リンクをたどり、CfJに行き着いた。そして、チームに加わりたいと申し出た。
 渡辺がゲームを入り口にプログラミングを始めたのは小学5年生のときだ。一時期、熱は薄れたが、最近は、再び企業や国家がデータを支配しない分散型のネットワークなどに関心を持つようになった。

台湾で根を下ろした日本人シリーズ:「心に響く音を鳴らす」和太鼓指導者・奏者 熊谷新之助

2020/07/26 09:00
大けがを負った中学時代 熊谷新之助は三人兄弟の末っ子として、北九州市の八幡に生を受けた。ピアノ教師の母の奏でるピアノの音が好きだった彼は、幼い頃はよくピアノの下で昼寝をしていた。二人の兄のように、母から直接ピアノの手ほどきを受けることはなかったが、幼稚園では鼓笛隊の一員だった。小学校の演芸会でも打楽器担当、中学校の文化祭ではバンドのドラマーだった。少年時代から打楽器との縁は深かった。
新之助は運動神経も抜群だった。厳格だった父からは、二人の兄たちと共に、毎日、朝練習を課されていた。大相撲元小結の大潮が年の離れたいとこに当たるという血筋に加え、小学6年生で既に172センチメートルあった長身を生かし、地元の神社の相撲大会や小学校のバスケットボール部では花形選手だった。中学では次兄も所属していた軟式テニス部に入部した。
ところが、中学2年生の時に同級生との悪ふざけが元で、右手首の血管と指の神経3本をガラスで切断する大けがを負ってしまう。40キログラムあった右手の握力も一時は9キログラムまで落ち、指には今も後遺症が残る。それでも負けず嫌いだった彼は、箸やペン、ラケットも左手に持ち替えて練習を重ねた。
「やんちゃで、けがが絶えない子でした。母も慣れていたんでしょうね。手首をけがした時にも、母から言われたのは『あほちん』の一言だけでした。でも……