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台湾旅券、「脱中国」加速しデザイン変更、「チャイナエアライン」の改名も浮上

2020/09/12 20:30
台湾旅券、「脱中国」加速しデザイン変更、「チャイナエアライン」の改名も浮上  ニフティニュース

台湾を変えた日本人シリーズ:花蓮に私営移民村を最初に立ち上げた日本人 賀田金三郎

2020/09/12 09:00
台湾移民第1号の賀田移民村 台湾総督府は1909(明治42)年に官営移民事業に着手、1910年に台湾東部の花蓮港庁に最初の移民村として設立されたのが「吉野村」、その後、1913年に「豊田村」、1914年に「林田村」が相次いで、設立された。
実は、官営移民に先だって、私営移民が行われていた。その中心になったのが賀田金三郎(かだきんざぶろう)という人物だ。台湾で賀田組を立ち上げ、民間で移民を募り、賀田村を造った男である。
賀田金三郎(筆者提供)
賀田金三郎は1857(安政4)年11月2日、山口県萩市で賀田家の長男として誕生した。同じ年の6月4日に岩手県水沢市では後藤新平が生まれている。二人はやがて台湾で出会うことになる。
金三郎が出生した頃の賀田家は二代目久兵衛が「坂田屋」の屋号で札差(仲買人)を営んでおり、全盛期を迎えていた。しかし、1880(明治13)年に父が、翌年には母が永眠した。金三郎24歳の時であった。金三郎が家督を継ぎ、弟の富次郎は上京し、大倉組(のちの大倉財閥)に就職した。「坂田屋」を継いだ金三郎は猪突(ちょとつ)猛進的に働くが、商いがうまくいかずわずか3年後には、藤田組(のちの藤田観光)に移籍していた富次郎を頼って上京。共に藤田組にて働くことになった。
1887(明治20)年4月、大倉組と藤田組は共同出……

沖縄 竹富島の漂流物体 台湾の研究機関の無人標的機か

2020/09/12 01:22
今月8日、竹富島の海岸でオレンジ色に塗装され、表面にアルファベットと数字が書かれた航空機のような物体が見つかりました。
これについて沖縄防衛局は、アメリカ軍から「軍のものではない」と連絡があったとし、石垣海上保安部が監視を続けていました。
こうした中、台湾で武器などの研究開発を進める公的な研究機関「中山科学研究院」が、11日、この物体は機関が所有する無人標的機とみられると発表しました。
この機関の広報担当者はNHKの取材に対し、日本のメディアの報道で、機体に書かれた文字や色、外観などを確認し、先月の訓練の際に悪天候によって海に墜落し漂着したとみられるとしています。
今後、日本にある台湾の窓口機関を通じて、詳しい確認作業を進めるということです。